境木地蔵とは?
昔々、大きなお地蔵様が鎌倉の由比ヶ浜に打ち上げられました。
あまりにも大きかったので引き上げることもできず、浜にそのままにしていたのですが、ある時洪水があり、お地蔵様は再び海へと押し流されていってしまいます。
それから何十年かが経ち、今度は腰越の浜に同じお地蔵様が打ち上げられました。
お地蔵様をかわいそうに思った漁師たちは、村人に声をかけて総出で引き上げることに。
そして大勢の力で無事に引き上げられたお地蔵様は、村で大切に祀られたといいます。
しかしある夜、お地蔵様が漁師の夢に現れました。
夢の中でお地蔵様は「わたしは江戸の方へ行きたい。牛車に乗せ、動かなくなったところに置いてほしい。そうしたらこの海が荒れぬように守り、大漁を約束する」と言ったといいます。
目覚めた漁師が村の皆にその話をしてみると、なんと村人たちも同じ夢を見たというのです。
これはお地蔵様のお告げに違いないと思い、腰越の漁師を数百人集めてお地蔵様を牛車に乗せ江戸を目指します。
やがて境木のあたりまで行くと、押しても引いても牛車が動かなくなりました。「ここがお告げの場所なのだろう」と思った漁師たちは、お地蔵様を安置して腰越に帰っていきます。
一方で、いきなり謎のお地蔵様を置いていかれた境木の百姓たちは驚き、薄気味悪さを感じながらも大切に祀ったといいます。
すると今度は百姓たちの夢にお地蔵様が現れ、「雨風をしのげるお堂を建ててはくれないか」と言うのです。
その夢の通りにお堂を建てたところ、境木のあたりは見違えるほどにぎやかになって、商家や茶屋も繁盛するようになったそうです。
フィールドワーク①保土ケ谷区境木町を歩く
境木地蔵は旧東海道の権太坂の頂上にあるようです。
東戸塚駅から横浜市営バスで行くこともできますが、今回は歩いて行ってみることにしましょう。
東戸塚駅の東口からスタートし、オーロラモールの前を通り過ぎます。
駅から歩いて5分も経たないうちに坂が見えてきました。
今回は旧東海道ではなく、東戸塚駅からの最短ルートである権太坂泉線沿いを歩いて境木地蔵に行くことにします。
この権太坂泉線は、横浜市保土ケ谷区狩場町の権太坂(国道1号)付近を起点に、横浜市泉区和泉町の環状4号の交差点「かもめパーク入口」までを結んでいる約9.58kmの道路だそうです。
振り返るとなかなかの勾配。
環状2号と交わる交差点「環2境木」をさらに権太坂1丁目方面へ進みます。
東戸塚駅からおよそ1.3kmほどの距離を歩き、境木地蔵尊前に到着しました。
フィールドワーク②境木地蔵尊と境木商店街
階段の上に朱色の屋根が美しいお堂があるのが見えます。
背後を緑に守られ、境木地蔵が本堂に祀られていました。
地蔵堂はもとは良翁寺という寺院の境内にあったそうですが、関東大震災で廃寺となったそうです。
境木地蔵を祀るお堂のある敷地内は、しんとした清浄な空気が漂っているようで、思わず背筋を伸ばしてしまいました。
境木地蔵尊の由来の碑。境木の土地名についての記述があります。
ざっくりと「かつて武蔵国と相模国の国境であり、そのしるしが置かれていた場所である」と書かれています。
江戸時代には傍示杭(ぼうじぐい)または境杭(さかいぐい)という境界を示すための木製の標柱が立てられていて、それが境木の名前の由来となったという説や、境界にけやきの大木があったことが由来という説もあるそう。
取材直前に知ったのですが、この近くには「境木商店街」という商店街があるとのことで、こちらにもふらりと立ち寄ってみました。
境木地蔵から歩いてすぐの場所にある商店街では、5~8月の最終金曜日に縁日や地蔵尊祭が行われているそう。
商店街の和菓子店では「境木地蔵尊ご利益まんじゅう」として、境木地蔵の焼印の入ったお饅頭なども販売されています。
調査を終えて
民話では漁師や村人が協力してお地蔵様を運んだと軽く説明されていますが、車もない時代に石でできた重たいお地蔵様を運ぶのために急な坂を登ったのか……と思うと、昔の人々の信心深さというものは、現代人とはやっぱり少し違うものなのだなあと感じました。
なお境木商店街は「横浜の秘境商店街」とも呼ばれているそうです。
脚に自信のある方は徒歩、自信のない方はバスで、境木地蔵と境木商店街を訪れてみてはいかがでしょうか。
取材・文・撮影=望月柚花
【参考サイト】
・横浜市保土ケ谷区ホームページ「権太坂」https://www.city.yokohama.lg.jp/hodogaya/shokai/rekishi/sanpo/gonta.html
【参考資料】
・保土ヶ谷観光名所「境木地蔵由来の碑」
神奈川県横浜市保土ケ谷区境木本町2