青山 誠(達人)の記事一覧

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エンタメの新天地・丸の内界隈に君臨した〝スイングの女王〟だが、その栄華は短く儚なかった……【笠置シズ子の東京を歩く2】
昭和13年(1938)4月、笠木シズ子は新たに旗揚げされた松竹楽劇団(SDG)に移籍して上京する。SDGは松竹の洋画系映画館で上映の合間に催すショーを目的に結成された劇団で、少女歌劇とは違い男女の共演による本格的なミュージカルをめざしていた。
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ブレイク前夜の笠置シズ子と、エンタメの街・浅草【笠置シズ子の東京を歩く1】
NHK朝ドラ『ブギウギ』の主人公モデルとされる笠置シズ子。戦後初の東京のご当地ソング「東京ブギウギ」を大ヒットさせた彼女だが……イメージはコテコテの関西人。実際、四国生まれの大阪育ちである。そんな彼女と東京の、最初に縁が生まれた地が浅草だった。
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『蒲田行進曲』を聴きながら、かつてのキネマの天地・蒲田を歩く【街の歌が聴こえる/蒲田編】
列車のドアが閉まる寸前のタイミングで、聞き覚えのある発車メロディーが耳に入ってくる。「そうだった。ここも名曲の舞台だよなぁ」と、懐かしく哀愁をおびた曲調に誘われて、つい列車を降りてしまった……。
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いまどきの街って、男女の“別れ話”には不向きな感じかも~西島美恵子『池上線』『池上線ふたたび』【街の歌が聴こえる/東急池上線編】
80年代前半の頃だったと思う。当時はパチンコがブームで、私も平日の昼間からよく入り浸っていたのだが。その頃、店内の有線放送でよく聴かれたのが『池上線』だった。すごい衝撃を受けたとかハマッたというわけではない。池上線なんて乗ったこともなかったし、歌詞の意味など考えることもなく、パチンコをやりながら聞き流していただけなのだけど。何十年が経過したいまも、あのサビのところが耳に残って離れてない。
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「泪橋を逆に渡る」って、どっちの方角に歩けばいいのだろうか!?~小池朝雄『ジョーの子守唄』、野狐禅『泪橋』、岡林信康『山谷ブルース』【街の歌が聴こえる/山谷編】
1967年の年末から少年マガジンで連載が開始された『あしたのジョー』は、子供よりむしろ大学生や大人たちが熱中して読んだといわれる。よど号ハイジャック犯が「われわれは明日のジョーである」なんて犯行声明を出すなど反響は大きかった。
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街に流れる空気も人々の感覚も、他の日本の街とは違う。外国同然……確かに。~BORO『大阪で生まれた女』、村田英雄『王将』、ウルフルズ『大阪ストラット』【街の歌が聴こえる/大阪編】
70年代末の大阪を歌った名曲『大阪で生まれた女』って、じつは18番まであるとっても長い曲。フルバージョンで唄うと30分以上にもなるのだが、1979年にレコード化されたのは4番と6番、16番だけ。最初に4番の歌詞をもってきたのは、当時の若者たちが共感しやすい「ディスコ」という言葉が入っていたからだという。
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オトナになった渋谷……だけど、大人を困惑させたりもする~鈴木雅之・菊池桃子『渋谷で5時』、広末涼子『MajiでKoiする5秒前』、欅坂46『サイレントマジョリティー』【街の歌が聴こえる/渋谷編】
「渋谷がオトナになる日」というキャッチコピーで『渋谷マークシティ』が開業したのが、20世紀最末の西暦2000年。ここから渋谷の変貌は始まった。
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横浜はご当地ソングの宝庫。歌の舞台は、海と港だけじゃない~青江三奈『伊勢佐木町ブルース』、淡谷のり子『別れのブルース』、荒井由実『海を見ていた午後』【街の歌が聴こえる/横浜編】
歌謡曲や民謡などで、横浜を歌った楽曲の数は1000を超えるという。おそらく日本で最も多くの“ご当地ソング”を生んできた街なのだが、そのなかでも、「横浜のご当地ソングといえば?」というアンケート調査を地元のヨコハマ経済新聞が実施し、1位になったのが『伊勢佐木町ブルース』。得票数1925票は、過半数の53.97%を占める圧倒的な数字である(※)。
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歌詞の虚実。時が経てば、同じ眺めも違って見える!?~広瀬香美『ロマンスの神様』、たま『まちあわせ』、さだまさし『檸檬』【街の歌が聴こえる/神保町・小川町編】
地下鉄新宿線・小川町駅のB7出口をでると、頭上には坊主頭の顔が現れる。これを見て『まちあわせ』の歌詞が思い浮かぶ人は多いと思う。顔の看板を掲げた建物は、かなり年季が入っている。周囲を高層のビルに囲まれた小さな木造モルタルは、そこだけ陥没しているように見える。建物のサイズからすると巨大すぎる顔の看板が、なおさら目立って存在感を放っていた。
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アルプス化粧室ってなによ?~狩人『あずさ2号』、猫『地下鉄にのって』、神聖かまってちゃん『新宿駅』の情景【街の歌が聴こえる/新宿編】
電車の中には大勢の人がいるのに、誰も会話をしていない。外国人観光客の間ではこの静かな車内が、渋谷スクランブル交差点の人流とならぶ東京観光の目玉になっているとか。「車内での会話はお控えください」と繰り返しアナウンスされるコロナ過の昨今は、さらにそれが顕著になっている。しかし、昔からそうだったのか?
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