岩手県盛岡市生まれ。公私ともに17年以上、日本酒を呑みつづけ、全国の酒蔵や酒場を取材し、数々の週刊誌や月刊誌「dancyu」「散歩の達人」などで執筆。日本酒セミナーの講師としても活動中。著書に『蔵を継ぐ』(双葉社)、『いつも、日本酒のことばかり。』(イースト・プレス)
しぼりたての新酒が本番の季節
新年あけましておめでとうございます。昨年はコロナ禍でやきもきしているうちに一年が過ぎ、なんだか実感がわかないまま年を越したような気がしていますが、今のところちゃんと生きていることに感謝しながら、本年も変わらず日本酒とともに過ごしたいと思います。
さて、毎年10月くらいから新酒、つまりしぼったばかりの日本酒が出回りはじめますが、日本酒の世界では年明けからがいよいよ本番。日本酒の主役として市場を席巻します。この頃になると、親交がある蔵元さんたちから新酒の便りが送られてくるのですが、群馬県の「群馬泉」からは今の時期限定の初しぼりが届きました。今年も無事にお酒ができたんだなあと、胸が熱くなってうれしくなる私。
宅急便の送り状に控えめに書かれていた、蔵元の言葉にもじーん。ええ、飲みますとも飲みますとも。昨年のコロナ禍でたいへんな状況だった蔵元を想像するとなおさら、一滴たりとも口から逃すまいとつい鼻息が荒くなります。
蔵元によると、今年も酒質をしっかりつくりこんだ自信作とのこと。少し澱(米の成分)が入ったうすにごりなのですが、まずは上澄みの透明部分だけいただきます。
定番の「群馬泉」は、日本酒の枯れ専(枯れた魅力があるおじさまを好む女性のこと)みたいな人たち、とは言っても、どちらかというと女性よりも日本酒愛好家の男性に支持されていて、常温や燗酒でおいしい枯れ感がある骨太なお酒なのですが、初しぼりは別物です。ぴちぴちっとした躍動感があり、ドライでシャープ。ぐ〜っと喉の奥まで押し寄せてくる元気な味わいで、お酒の生命をそのまま飲んでいるような、勢いがあります。
おせちのあまりものでつまみをつくる
さあ、「群馬泉」に合いそうなつまみをつくりましょう。初しぼりのドライなキレ感はきっと油ものに合うと思った私は、おせちであまったかまぼこと伊達巻を揚げてみることにしました。
余談ですが、ふだんの晩酌やそば屋さんではかまぼこをよく食べるのに、おせちに入るとどうして箸が伸びないんでしょう。伊達巻にいたっては、酒飲みの私にとっては甘すぎる味なので、余計に。みなさんも、おせちの重箱の隅に余らせることってありませんか? 今回はそれを使いたいと思います。
材料は、かまぼこ、伊達巻、なめこやしめじなどのキノコ(キノコはなんでも。ただとろみになるなめこは必須です)、塩ふたつまみ、濃口醤油(愛用はミツル醤油)とめんつゆ(おなじみのにんべんゴールド)、片栗粉、サラダ油などを適宜。
かまぼこと伊達巻に片栗粉をまんべんなくまぶしたら、フライパンに少し多めにサラダ油を入れて熱し、かまぼこと伊達巻を並べて揚げ焼きにします。
両面がきつね色になるまで揚げ焼きにしたら、キッチンペーパーに乗せて余計な油を取り、皿に盛りつけておきます。
フライパンは洗わずにそのまま使います。もし油が多すぎたらキッチンペーパーで軽くふき取り、油と片栗粉の揚げカスが残った状態の中に、キノコを入れて塩をふり、再び火をつけてよく炒めます。
キノコがしっとりしてきたら、醤油とめんつゆをそれぞれ静かに半回しほど加え、水をおちょこ一杯ぶんくらい加えて軽く煮ます。味見して足りない調味料は適宜、入れてくださいね。
全体にとろみがついたら、かまぼこと伊達巻の皿とは別の器に注ぎます。食べる直前にあんかけをかけて完成。全部かけずにとっておいて、たまにあんかけだけをつまみにしてもいいですよ。あつあつをいただきましょう。
上澄みを飲んだあとは、澱の部分も入れてぐびぐび。ドライな味に米の旨味が加わるとさらに豊かな味わいになりますね。この酒は、きのこや醤油の旨味によく合って、揚げものの油もきれいに流してくれるので、飲み心地がよく、箸も盃も止まりません。意外や意外の伊達巻が、今回はいい仕事をしています。伊達巻の甘みが醤油のいいアクセントになって甘しょっぱくなり、さらにお酒が進んじゃいます。
つくり手が奏でる日本酒
新酒のことを考えていたら、ふと思い出したことがあります。
音楽の仕事をしている知人に教えてもらったのですが、クラシックの世界では、オーケストラを統率する指揮者のもと発せられる音を、「歌」と言うことがあるそうです。指揮者は、指揮棒を振ってオーケストラをまとめる責任者にとどまらず、奏者が弾いた音が自分の「歌」になる。楽譜は同じでも、音と音の間にどう溜めをつくるのか、あるいはどう音に緩急をつけるのかによって、曲の表情が違う「歌」になるというのです。なるほど、これはお酒にも当てはまると思いました。
酒づくりのリーダーである蔵元または杜氏とは、蔵人だけではなく、微生物の統率者です。日本酒は、どんな統率者に導かれるかで酒質が決まり、それがそのままお酒の個性になります。同じ米と水を使っても、つくり手の統率次第で米に繁殖する菌の生え方や発酵具合が変わり、日本酒の味や表情が違ってくるのです。ですから、できたばかりの新酒とは、酒づくりのいわば指揮者が奏でた産声の「歌」なのではないでしょうか。
お酒も生の音楽(演奏)と一緒で、できたお酒はそのときしか味わえない一度きりのものです。とくに新酒は、より季節が限定されるので味わうのは今しかできません(時間が経てば新酒ではなく“夏酒”や“ひやおろし”など季節商品に形を変えて出荷される)。つくり手のみなさんはよく「酒づくりは毎年が一年生」と言っているのですが、生き物を相手にするゆえ、いつも同じものができるとは限らないんですね。そう考えると、無性にわくわくする私。2度と味わうことができない今の新酒を、より愛でたいという気持ちがつよくなります。
「群馬泉」の初しぼりも、もっともっと愛でたくなった私は、いつものお決まりのパターンですね。この酒は新酒の中ではめずらしく燗酒でもおいしいので、瓶ごと湯にドボン。きっと一本じゃ足りないので2本つけてしまいました。初しぼりはあたためると、旨味がこっくりして豊満な味になります。ドライで豊満。う〜ん、めちゃくちゃスタイルのいい女性みたいですね。はてさて、今日はどのくらい飲むのやら……。
写真・文=山内聖子