2025年に30周年という節目を迎えた老舗ライブハウス『BASEMENTBAR』。三角形の独特の形のステージは数多くの熱狂を生んできた。まずはミュージシャンでもあるクックヨシザワさんに歴史を振り返ってもらおう。
「1995年創業でいよいよ30周年ということで、この機に詳しく店の歴史を調べようと思ったんですけど、僕が知ってる3代前より以前の店長が分かんないんですよ。僕は29歳でここで働き始めて、今39歳なのでもう10年ということですね。『ミートザホープス』というバンドもずっとやっていて、この店のステージにもよく立っています。結成からもう15、6年になるんですが、正確にいつからかというとこれもまた曖昧(笑)。『THEラブ人間』というバンドと一緒っていう記憶があるんですよね。その『THEラブ人間』のツネ・モリサワさんは今、“CAVE-BE”の跡地で『近松』、“GARAGE”のあった場所で『近道/おてまえ』というライブハウスをやっている……そう考えると、この辺のライブハウスの店長が僕らの世代になってきたという感じはしますね。僕たちより下の世代も多いんですよ」
まさに今、店長としてライブハウス文化を背負い続けるヨシザワさんだが、この店で働くことにしたのはバンドのためでもあった。
バンドを続けるために選んだ道、それが大好きなハコで働くことだった
「ここに入るまでは、お好み焼き屋で働きながらバンドをやっていました。一生バンドをやっていたいっていう気持ちが強くて、ちょうど誘ってもらったというのもあるんですが、ここで働けばもっとどっぷりライブができるかなと思った。店にはバンドを続けるために入ったみたいな感じなんですよね。また系列店『THREE』含め多くのスタッフとも仲が良かったので、『BASEMENTBAR』に入るときはすでにまわりの人がみんな知り合いだったんです」
この仲の良さは『BASEMENTBAR』の特徴だろう。元々、“実家感”のある場所なのではとヨシザワさん。
「この連載のタイトルにもされていますが、みんな自分の家みたいに帰ってきてほしいという思いがあるんです。まさにうちを実家と捉えてくれるバンドマンが多いんじゃないかな。店名の通り『BAR』でもあるのでライブがなくても飲みに来てくれて、バンド同士がつながる。バンド同士が応援し合っている雰囲気があるんです」
コロナ禍でもくじけず、バンドを応援し続けた
そんな『BASEMENTBAR』とヨシザワさんだが、コロナ禍ではやはり大変な経験もした。人を呼んでライブができない、という状況下で配信に力を入れ、音楽の灯を消さなかった。
「配信チケットの販売の仕方も工夫しました。チケット・グッズ販売やライブ配信を自分でカスタマイズできる海外のプラットフォームを見つけて、それを活用して。配信でそもそもお金を取るのが難しいと思ったんですよ。僕たちは配信のプロではないですから。生のライブハウスを主としてやっていて、ここの生音が一番いいに決まってると思ってたので、配信を見て良いと思ったらお金払ってくださいというシステムでしたね」
また、ヨシザワさんはコロナ禍において、バンドが音楽を奏でることがいかに難しかったかを、こう振り返る。
「やっぱりコロナ禍でチグハグしてしまったバンドもいたと思うし、コロナ禍で水を得たように配信やリリースもして、あのタイミングを良しと捉えたバンドもいた。けっこうバンドによって分かれたと思います。そういう難しい状態だったので、ライブハウスとしてはとにかくバンドにやめてもらいたくないという気持ちが強かったんです」
時を経ても愛されるライブハウス、その根源は演者も観客もつながるブッキング
実は筆者も20年以上前にこのライブハウスのステージに立ったことがある。ヨシザワさんのお話を聞いているうちに楽屋の緊張感や、店がまとう温かな雰囲気を思い出してきた。当時も『BASEMENTBAR』というと、音も良いし、かっこいいバンドが出演するイメージがあったが、もはや伝統のように今もその文化が続いている。そう言うとヨシザワさんはこんなことを話してくれた。
「この間も雑誌『POPEYE』のバンド特集号(2024年11月号)に出させてもらったんです。そういうときに自分たちの評価を初めて知るんですよ。創業当時からも多分そうだったと思うんですけど、この店は街の喧騒から離れたところでブッキングし続けてきたので、あんまり評価を気にしてこなかった。好きなことをやってたら、それを褒めてもらえているという感覚。だからこういう取材などでも『出身アーティスト』を聞かれると困るんです。うちがバンドを育てたわけじゃないから。みんな他のライブハウスでも絶対やってるでしょうし」
かっこいいことを、できるだけ純粋にやりたい。それがこの店のブッキング
そうヨシザワさんは謙遜するが、やはり『BASEMENTBAR』の持つ“実家感”やブッキング力が今も昔もさまざまなバンドから評判になっているのは間違いない。
「ハコとしては、ジャンルやバンドの色をできるだけつけないようにしています。毎日、違う色をそのバンドが塗っていくという感覚です。海外アーティストもよく出演していますね。バンドを並べて、とりあえずスケジュールが埋まればいいみたいな思考はもう何年も前からない。ジャンルというよりは、そのブッキングを組んだ人のテーマがあって、出た人、観た人がつながるようなものを意識しています。みんなが言うかっこいいことをやる、そしてそれをできるだけ純粋にやりたい。大体、9割5分くらいはできているんじゃないかなあ。
このバンドが好きだったらきっと、こっちのバンドも好きだろう。2バンドくらい観て面白いと感じてもらえたら、もう1バンドも観てもらえるかもしれない。そんなふうにブッキングしています。音楽がめちゃくちゃ好きな人にも、初めてライブハウスに来ましたという人にも、内容がちゃんと伴っていれば届くと思うんです」
『BASEMENTBAR』、そしてバンド文化はこうして次世代に引き継がれていく
なるほど、そういうことか……と腑(ふ)に落ちる。まさに『BASEMENTBAR』のスゴさを体感することがあった。11月に『BASEMENTBAR』で開かれた「年齢バンド」というバンドのレコ発(レコード発売)イベントを観に行き、筆者はオープニングアクトからトリの年齢バンドのアンコールまでフルで観入った。と同時に、元気のいいバンドの演奏を目の当たりにし、今も若者にとってライブハウスという場所がとても特別な存在であることを再確認し、勝手にじ〜んとしてしまった。
「『年齢バンド』の日ですか! それは、良い日に来てくれましたね。うちで演奏しているバンドの最たる例! スタッフもみんな仲の良いバンドばかりが出てくれた日でした。
ほかにも多くのバンドが企画をやってくれているのも、うちの特徴ですね。高校生バンドに初企画をやってもらおうとなったときは、もうずっとDMのやりとりの繰り返し。『企画タイトルを決めてみましょう』、『いくらならライブに来てもらえるか価格を決めてみましょう』みたいな感じで、まるで進研ゼミのように課題を送った(笑)。ブッキングからフライヤー作り、一緒にずっと考えながらそういうことをやっていったら、ちゃんと150人くらい入ったんです」
なるほど、バンドはその音楽だけが全てではない。バンドマンとしての所作やライブハウスとの付き合い方、そして人の集め方。こうやってバンド文化が伝承されていくのだ!
「『年齢バンド』はめっちゃくちゃいっぱい出演してくれていて、スタッフみんなが好きなんで、いろいろなブッキングマンが呼んでいる。うちのブッキングは好みがそれぞれ絶妙に違うけど、みんな共通してオリンピックの輪っかみたいに重なってる部分もある。みんな同じ色の音楽好きだったら多分、こういうバラエティー豊かな感じにはならなかったのでは。片山翔太というブッキングがいるのですが、彼が今のブッキングの流れをつくってくれましたね。
ここで10人、20人の客前でやっていたバンドが『渋谷クアトロ』など大きな場所に羽ばたいていく、みたいなスペシャルなことを何回も見ているんです。2年くらい前ですかね、FUJI ROCKのルーキステージに立ったバンドの多くがうちで演ってくれていて、それは誇らしかったですね」
「スペシャルが毎日」、だからミュージシャンにリスペクトされる場所になる
では、いちミュージシャンとしてはヨシザワさんはこのライブハウスをどう見ているのだろうか?
「PAの質が高いです。ジャンルが多い分、毎日いろいろな音楽に対応しなきゃいけないんで、音に対するリアクションがスゴいんですよ。音が良いハコなんですと推せるのって一番うれしいじゃないですか。歴史があるとか、そんなところよりもまず『音が良い』がないとずっとやっていけないんじゃないかな。
今は系列店の『THREE』と一緒に動いていますが、在籍しているスタッフは30人近くいます。過去最大人数です。ただ、クリエイティブな活動をしている人も多くて、週末誰もいない、みたいにコントロールがつかないことも。なので、僕もバタバタ働いていますよ」
そう笑いながら、彼は急に真面目なトーンになってこう続ける。
「30周年なので一区切りというか、新たなスタートみたいな感じもあると思うんです。でも、キープ・オンすると落ちていく。『毎日がスペシャル』だと、それが平均になっちゃうんで、『スペシャルが毎日』と思ってないとダメだと思うんです。例えば、スタッフは『昨日も激しかったな』と疲れていても、次の日に来るバンドマンはその日がスペシャルですから。その鮮度を感じ取れるかどうか、それを大事にして働ければ、絶対うまくいくと思うんです。
出演者側が気持ちよくできるってことがやっぱり一番。自分もバンドマンとして、こういう対応はヤダということはわかる。なので、店はバンドに対してリスペクトを持って接してほしいですし、その分、バンドにもお前たち、店の人にはリスペクトを持って接しないと良い音は出せないだぞって言ってます。やっぱりなれ合わないってことが大切なのかなあ……いや、なれ合ってるか(笑)。そのニュアンスが難しいですが」
“なれ合い”、その言葉はときにネガティブな印象を与えることもあるが、まさに『BASEMENTBAR』のスタッフやバンドとまさに“なれ合い”続け、その果てに店長にまでなったヨシザワさんの口にするそのワードは、実に明るく楽しげな響きだ。
「打ち上げで朝まで残ってしまうのはバンドのときによくあったんですよ。酔っ払って、目が覚めたらステージの上で寝ちゃってた、なんてことも。でも、そういうときもだいたいスタッフの誰かが残っていて、朝飯食べに行こう、みたいな感じになってました。……けどね、あるとき、バッと起きたらおなかの上に店の鍵が置いてあって。スタッフが誰もいなかった。『俺はいつかここで働くことになる』と思った瞬間でしたね(笑)。自分で絶対この店でって選んだわけじゃないんですけど、導かれるようにここにいる。まさか『BASEMENTBAR』で働くと思ってなかったし、店長をやると思ってなかった。まして、30周年を自分で迎えるなんて驚いています」
YouTubeを眺めていたら『BASEMENTBAR』に出演した、ヨシザワさんのバンド「ミートザホープス」の映像を見つけた。コロナ禍の最中に撮影されたと思わしき動画を今、拝見しながらこの文章を仕上げている。まっすぐでハッピーなクックヨシザワの歌声に涙が出そうだ。彼がなれ合っていたのは仲間やスタッフだけではない。彼は上手に、そしてとても真面目にライブハウス、そして音楽ともなれ合い続けているのだ。
取材・文・撮影=半澤則吉