90年代以降、日本を代表するミュージシャンが次々出演

6代目店主として、店の歴史を継いだ義村智秋さん。
6代目店主として、店の歴史を継いだ義村智秋さん。

下北沢『SHELTER』の名を聞いて想起するアーティストは世代や好みによりさまざまだろう。怒髪天、Hi-STANDARD、エレファントカシマシ、eastern youth(イースタンユース)、ASIAN KUNG-FU  GENERATION、KEYTALK。いくらでもバンド名を羅列することができる。レジェンドから今の日本ロックを背負って立つバンドまで、幅広い年代が出演し続けているのも大きな特徴だ。数多くの音楽が奏でられ、歴史を刻んできたハコは、東京随一の音楽の街、下北沢で30年以上も愛されてきた。6代目店長を務める義村さんは、それでもこのライブハウスの印象はあまりよくなかったと、興味深い話から語り始めた。

「学生の頃、『SHELTER』自体を意識して来たというよりは好きなバンドを観に何度か来ていました。locofrankというバンドを観に来たのが最初で。それが2003年頃ですかね。実はもともと、あんまり良い印象がなかったんですよね(笑)。バーカウンターでウィスキーをジンジャーエールで割ってほしいといったら、ソーダでしか割れないと言われまして(笑)。ジンジャーエールがそこに置いてあるのに。なんというか、少し高圧的な印象があるように僕は感じてしまったんですよ」

『SHELTER』 は90年代後半、メロコア、メロディパンクのハコとして名を知られることになった。この場所を一躍全国区にした伝説的メロコアバンドHi-STANDARDはその象徴。義村さんが当時、観に行ったというlocofrankはまさにその直系で、今なお活躍中だ。少し思い出話をしただけでもこのライブハウスの歴史が感じられるのが面白い。インディーズバンドの登竜門『SHELTER』というブランドがすでに培われたこともあり、当時のスタッフは堂々としていたのかもしれない。

メロコアブーム以降も、音楽熱が継承されていく

1991年10月から30年以上も、熱いステージが繰り広げられてきた。
1991年10月から30年以上も、熱いステージが繰り広げられてきた。

義村さんは横浜のライブハウスで勤めた後、2012年から縁あってこの老舗を引き継ぐことになった。6代目の彼は店の歴史をこのように語る。

「『SHELTER』にHi-STANDARDが出演していたときには来られなかったのですが、90年代当時はそういうジャンルのアーティストが多かったようですね。ただ、メロコアに限らずギターロックも多かったと思います。その流れは今も変わらず、ジャンルは多岐に渡るのが特徴です。Hi-STANDARDやASIAN KUNG-FU  GENERATIONといったバンドがここで演奏する映像を後に見て、『SHELTER』に出たいと憧れていた人も多い。そういうこともあり全国的にもハイスタのネクスト世代、その次のネクスト世代にも知られるハコになっていますね。

もともと『SHELTER』は系列店新宿『LOFT』と違う方向性を追求したいというところで始まっているハコ。『LOFT』は昔ながらのパンクやロックというイメージですが、『SHELTER』はオルタナや渋谷系といわれるものも当時からやっていました。そこから派生して、さっきも名前が出たアジカンやレミオロメンなどといったロックバンドも多数、出演するようになっていったようです」

6代目店長としてどのようなことを考えていたのだろうか。義村さんが店に入ることによりミュージシャンの流れも少しずつ変わっていったという。

「もともと『F.A.D YOKOHAMA』というライブハウスにいたので横浜で活躍しているバンドも下北沢に呼ぼうと思いました。横浜はメロコア系のバンドも多いんですよね。『SHELTER』としてもちょうどメロコア、メロディ・パンクといわれるバンドが少なくなっていた時期でもあり、メロコアの音楽を呼び戻そうという思いもありました。自分ができることからまずはやっていこうと思いました」

店長やブッキングマンによりライブハウスはその色や空気を変えていくが、義村さんは伝統を守りながらも、新しい風を少しずつ吹かせていった。『SHELTER』というブランドがしっかりしたハコでも、こういったスタッフの地道な努力が今につながっているのだと感じさせてくれるエピソードだ。

アニメの聖地にもなった下北沢『SHELTER』

大ヒットしたアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」ではステージだけでなく、このバーカウンターも描かれていて『SHELTER』ファンも歓喜した。
大ヒットしたアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」ではステージだけでなく、このバーカウンターも描かれていて『SHELTER』ファンも歓喜した。

また、昔ながらのロックファンだけでなくこの店は今、若者からも注目される「聖地」となっている。今の下北沢『SHELTER』を語るうえで外せないのはあるアニメの影響だ。最近の様子をうかがうと義村さんはこう即答する。

「一気にアニメの聖地になりましたね。時代ごとに話題になるのはありがたいことです。海外から、アニメファンのお客さんが来てくれていて、日によっては当日券で入ってくれたりします。30人くらい入ったこともあり驚きました」

2022年に放送されたアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」は若い世代だけでなく多くの音楽好きの心もキャッチしたが、主人公たちが演奏するライブハウスのモデルこそこの下北沢『SHELTER』。今も昔もトピックがあり続けるというのは、それだけこのハコが世に認知され愛されている証拠だろう。90年代後半、『SHELTER』で演奏するハイスタの記事が載った音楽雑誌にギター小僧たちが興奮したように、若い世代も今、この店に胸を打たれているのだ。

コロナ禍もあり、若者が出やすいハコを目指す

『SHELTER』のステージはけっこう高い。このステージに上がることが、下北沢の若者にとっては目標であり、一つのステップとなっている。
『SHELTER』のステージはけっこう高い。このステージに上がることが、下北沢の若者にとっては目標であり、一つのステップとなっている。

HPを見ると毎日イベントが開かれていることがわかるが、コロナ禍では今のようにライブができなかったと義村さん。店にはどんな変化があったのだろう。

「コロナ禍の影響はもちろんありました。それまではフルスケジュールだったのに、空き日が生まれるようになり、若手に対し門戸を開くこともはっきりと意識するようになりました。最近も若手ミュージシャンにけっこう出てもらっていて、20歳前後の子とかもよく出演してくれています。デビューを目指す“バンドの登竜門”であり続けるというのはある意味では若干、時代錯誤だとも感じていて、もう少し敷居を下げられればという気持ちもあるんです」

今もTシャツを買ってくれる人は多いし、オリジナルキーホルダーも人気。気軽に手に取れるセンスの良さも『SHELTER』らしい。
今もTシャツを買ってくれる人は多いし、オリジナルキーホルダーも人気。気軽に手に取れるセンスの良さも『SHELTER』らしい。

義村さんはさらに、コロナ禍での苦労話を教えてくれる。当時は通常のライブハウスでは行わないような業務に追われていたという。

「緊急事態宣言など、ライブを減らさざるを得ない時期もありましたね。主催者、出演者が出られないということもあり、まずはそこの対応が第一でした。また店としてはコロナ禍ではグッズやTシャツを作るなどアパレルのほうもがんばっていたんですよ。バンドとコラボレーションもしたり。そういう状況だったので、ライブの払い戻しの対応、グッズの発送作業といったそれまでやらなかったことも業務になっていきました。グッズは今もお客さんに買っていってもらえるので、あのときグッズづくりをがんばっておいて良かったなと思っていますね」

通常通りのイベント開催がままならず辛かった時期にも、決して立ち止まらなかった。逆風をものともしなかった。スタッフの方々の力があまりに大きい。また、がんばっていたのはライブハウス側だけではないと義村さんは付け加える。

BiSHとのコラボレーションTシャツを着る義村さん。アーティストとの関係こそライブハウスの宝だと感じさせられる。
BiSHとのコラボレーションTシャツを着る義村さん。アーティストとの関係こそライブハウスの宝だと感じさせられる。

「ほかにはアーティストから寄付してもらったこともうれしかったですね。例えば今、BiSHのTシャツを着ていますが、BiSHは当時、ベスト盤の収益を全国のライブハウスに寄付していたんですよね。さらに2022年、解散前にもステージに立ってくれて、本当にありがたかったですね。コロナ禍で多くのアーティストも気持ちのやり場がなくなってしまったので、ハコだけでなくアーティストたちと一緒にがんばっていこうという思いは強かったです」

大変な時期を乗り越えて、『SHELTER』のスケジュールは今、みっちり埋まっている。

「おかげさまで、今はだいぶ元の状態に戻りましたね。イベントも毎日入っています。あの3年間は何だったんだろうという感じです。以前とは違う新たなお客さんもいるとは思いますが、我慢していた分、より楽しんでくれているように思います。ライブをやる側も制限ライブのような不完全な形でしかできませんでした。制限ライブの頃にライブハウスを知った若い子なんかは、ちょうど今、ライブを観るとはどういうことかが分かってきたという時期。ひと頃は枠のなかで静かにライブを観るという感じでしたから。『これがライブハウス』というものがやっと伝わってきたかなと思っています」

ほかのライブハウス、アーティストと持ちつ持たれつ

ミュージシャンとの距離が近いハコでもある。店内には至るところにアーティストのフライヤーやステッカーが貼られる。昔ながらのライブハウスの雰囲気も存分に味わえる。
ミュージシャンとの距離が近いハコでもある。店内には至るところにアーティストのフライヤーやステッカーが貼られる。昔ながらのライブハウスの雰囲気も存分に味わえる。

また、競争相手が多い下北沢という地でライブハウスを続けることについて話を伺うと、義村さんから、実に頼もしい言葉が返ってきた。

「仲の良いライブハウスの店長とは一緒に飲みにいったりしますし、夜中にどこかで集まるということもあります。店間の行き来もあって、ほかのハコにも行きますよ。そこで新たな話が生まれたりもしますね」

下北沢ではこれまでも、各店が会場となって開かれるサーキットイベントも催されてきた。たくさんの音楽が流れ、今もギターを持った若者が行き来するこの街だからこそ、いろいろなライブハウスが一緒になって共に音楽を育てていこうという文化が生まれている。音楽好きが共存し、このように深く関わり合っているとは、なんと素敵なことだろう。「シモキタ」はこれからも東京の音楽シーンの中心であり続けるし、『SHELTER』もまたその核として存在感を示し続ける。

「この店はワンマンやツーマンライブをやると格好良く見えるハコだと思っています。『SHELTERワンマンソールドアウト』というのが売れるバンドの代名詞。それは昔も今も変わりません。ここで企画イベントをやってくれるバンドはまた何度も企画をやってくれるし。ほかのライブハウスに出ているバンドも集まってくれる。ほかのライブハウス、出演者とも、まさに持ちつ持たれつですよね」

憧れの場所であり、帰ってこられる場所でもある

LOFT PROJECTが発行する音楽系フリー・ペーパー「Roof toop」の2021年10月号。『SHELTER』の30周年イベント情報、過去に出演したレジェンドバンドからも熱いコメントが寄せられていて胸が震えた。
LOFT PROJECTが発行する音楽系フリー・ペーパー「Roof toop」の2021年10月号。『SHELTER』の30周年イベント情報、過去に出演したレジェンドバンドからも熱いコメントが寄せられていて胸が震えた。

最後に義村さんはこのように話を結んでくれた。

「2021年10月、30周年のイベントをやったんですよ。1カ月間、毎日ワンマンで、過去に『SHELTER』に出演していた方に登場いただきました。それが実現できたのが良かったですね。コロナ禍で80人しか入れられなかったので、それは残念でしたが。この店は30年以上積み重ねてきた歴史がある場所。先ほど『敷居を下げて』という話をしたけれど、ある程度『SHELTER』の守ってきた部分は保たないといけないとも感じています。それと同時に型にハマりきらず、面白いことをフレキシブルにやっていきたい。ライブハウスは、少し怖い場所と思われがちなんですが、“ハウス”という通り、“家”なんですよ。みんなが帰って来られる場所。みんなが安心できる場所。そんなアットホームな感じを、これからも大事にしていきたいですね」

下北沢『SHELTER』は最新の音楽に触れ合えるライブハウスながら、昔、出演していた人や、観客も足を運びたくなる、どこか懐かしい場所なのだ。

30周年記念のフリー・ペーパー「Roof toop」では、たくさんのアーティストが口を揃えてこのハコを「憧れ」だったと表現している。それは今も、これからもずっと変わらない。久々に『SHELTER』のあの熱狂と大音量を、全身で感じたいと思った。

住所:東京都世田谷区北沢2丁目6−10 仙田商会仙田ビルB1/アクセス:小田急電鉄小田原線・京王電鉄井の頭線下北沢駅から徒歩2分

取材・文・撮影=半澤則吉

電気街、オタクの聖地、そしてアイドルの街。さまざまな顔を持つ秋葉原には多種多様な人々が集まるだけに、この街に流れる音楽も実に個性的だ。今回はあらゆる文化の集合地点アキバで、ライブカルチャーの中心として長きに渡り愛されてきた『CLUB GOODMAN』を紹介しよう。 ※TOP画像提供:『CLUB GOODMAN』