以前だれかから「けーたはムギちゃん苦手なんだって」と言われたことがあり、わたしはけーた君のことが大好きだったものの、それ以来身構えてしまい、なかなか距離を縮められずにいた。

しかしこの日はお互い酔っていたこともあり、ひとしきり他愛もない馬鹿話で盛り上がったあと、母に『散歩の達人』の連載がバレて家を追い出されたこと、区役所で紹介してもらった施設に仮住まいしているが、できるだけ早く引っ越さなければならないことを打ち明けた。

するとけーた君が、なんと「うちにおいでよ!」と言う。「月2万でいいけど、もっと払えるならみんなで引っ越そう。いくら払える?」と聞かれ「4万かなあ」と言うと、「うちら港区に住めるじゃん!」と言われた。港区には住めないだろうと思ったが、うれしかった。

実家を追い出されたことを、友だちにも彼氏にも相談できずに鬱々としていたわたしは、「うちにおいでよ」——噓でもいいからだれかにそんな言葉をかけてほしかったのだろう(ちなみに後日、この話をけーた君にしたら「まったく覚えていない」とのことだったが、まあいい)。

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7月下旬、『八ちゃん』の常連客で足立区の花火大会に行くことになった。当日の夕方、土手に行くと、テントの中からけーた君とノノさんが「ここだよ!」と手を振っている。2人は当日の深夜0時からテントを張り、場所取りをしてくれたのだ。さすがに泊まりがけで場所取りをする人は少なかったようで、特等席だった。

「暑い、暑い!」と言いながら、みんなで飲むビールは格別だった。あとから来た人が唐揚げやポテトが入った豪華なパーティーセットを持ってきてくれて、気分は最高潮に達した。いまこの瞬間のわたしたちほど、夏をエンジョイしている人が他にいるだろうか?

しかし、花火開始時刻の30分前、ポツポツと雨が降り始め、アナウンスが流れた。「本日の花火大会は中止とさせていただきます」——。まさに天国から地獄。帰り道、土砂降りの雨の中、けーた君と誓った。「この夏は絶対、一緒にリア充しようね!」。

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ノノさんはプロレス好きで、以前から「一緒に観戦に行こう」という話をしていた。わたしは最近DDTに夢中になっており、DDT両国国技館大会にノノさんを誘った。「たぶん興味ないと思うけど、一応けーた君も誘ってみて」と言ったところ、けーた君も来ることになった。

当日、待ち合わせ場所に現れたけーた君は、明らかにテンションが低かった。「プロレス苦手なんだけど、食わず嫌いはよくないから来てみた」と言う。わたしはけーた君がこの日の興行を楽しめるかどうか不安でたまらなかった。

しかし試合が始まるやいなや、けーた君は「キャー! キャー!」と黄色い声援を上げ、「あの人カッコよくない!?」と前のめりで聞いてくる。男色ディーノ選手が入場した際、わたしが「男性は手を挙げるとキスしてくれるかも」と言うと、すぐさま手を挙げ「こっち来てー!」と大声を張り上げていた。

一番のお気に入りは、この日を節目に無期限休養に入る「大社長」こと髙木三四郎選手とのこと。大社長は確かにカッコいいのだが、御年54。けーた君は30歳なので、二回りも年上だ。しかし、かなえちゃんが「けーたは枯れ専(“枯れた男性専門”の略)」と言っていたのを思い出し、合点がいった。休憩時間にはノノさんと売店に行き、2人仲良く大社長Tシャツを買ってくるほどの熱狂ぶりだった。

この日を境にけーた君はプロレスにどっぷりハマり、「クリスとポコたんの試合が面白いのよ!」などと熱く語ってくるようになった。プロレスを勉強するために、わたしの著書も2冊購入してくれた。「ムギちゃん、雲の上の人だったのね」と尊敬の眼差しを向けられ、わたしは「全然大したことないよ」と言いつつも、すっかり気分をよくした。わたしなんて本当に大したことはないのだが、人のことを素直に「すごいね」と言える真っ直ぐなけーた君のことがますます大好きになった。

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8月、千住仲間のジョージ君とカラオケに行くことになり、けーた君とノノさんも誘った。思いのほか人数が多くなり、大部屋に案内された。中央にカウンターがあり、まるでおしゃれなバーのようだ。

ソフトドリンク飲み放題にしたため、氷と炭酸水は無限にある。持ち込みOKだったのでコンビニでウイスキーを買い、ハイボールにして飲んだ。おつまみは各自買ってくることにしたら、寿司、たこ焼き、チキンナゲット、ポテト……食べきれない量のおつまみが集まってしまった。けーた君が「大人ってすごいね」としみじみ言ったのがおかしくて、わたしは腹を抱えて笑った。

昼12時から夜20時まで、フリータイムで好きなだけ歌って、好きなだけ飲んで、たまにみんなでおしゃべり。「こんなに楽しいことって、いままでの人生であったっけ?」というくらい楽しかった。42年間、陰キャとして生きてきたが、いまのわたしは完全に陽気なパリピ。いままでとは違う自分になんだかソワソワして、けーた君に「わたしってパリピじゃない!?」と聞いたら、「超パリピだよ!」と言われたので、やっぱりパリピなんだと思う。

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担当編集から「次回のテーマどうする?」という連絡があり、「最近パリピになったので、パリピについて書きたいです」と言ったら、「大丈夫なの!?」と心配された。

わたしは大丈夫。愉快な仲間たちに囲まれて、毎日が楽しくてしかたがない。いろいろあったが、わたしは大丈夫になったのだ。

文・イラスト=尾崎ムギ子

3月に入ってから体調不良が続き、病院へ行くと甲状腺の病気が見つかった。肝臓の数値も異常で、これまでと同じ生活を送ることが難しくなった。煙草をやめ、酒をやめた。週1回の角打ちバイトも辞めることにした。角打ちで酒を飲まずに働くことは難しいように思えたからだ。元々は客として通っていた『荒井屋酒店』。2023年6月、社長に「いつ辞めてもいいから働かない?」と声を掛けられ、なんとなく働き始めた。大してやる気があったわけではなく、酒も飲めるしいいかな程度の気持ちだった。ところが辞めた途端、とてつもない喪失感に苛(さいな)まれた。ライター業をしていて、日常で自分の価値を感じる機会というのはそんなにない。しかし角打ちでは、毎週わたしが入る火曜日にわざわざ店に来てくれる人たちがいた。知らず知らずのうちに、自己肯定感が高まっていたのだと思う。いつの間にか、自分にとってかけがえのないコミュニティーになっていた。
 柳澤健の『1985年のクラッシュ・ギャルズ』が、わたしのバイブルである。1980年代、女子中高生が熱狂した女子プロレスユニット「クラッシュ・ギャルズ」に関するノンフィクションだ。
2023年11月末、プロレスリング我闘雲舞が運営するプロレス教室「誰でも女子プロレス」(通称「ダレジョ」)に参加してきた。純粋にプロレスを体験したかったというのもあるが、お目当てはコーチの駿河メイ選手。9月に鈴木みのる選手とのシングルマッチを観て以来、わたしはメイ選手にぞっこんなのだ。148cmという小柄な体で、リング内外を縦横無尽に飛び回る。アクロバティックでハイスピード。なによりだれと闘っても“駿河メイの試合”にしてしまうのが本当にすごい。メイ選手の試合を初めて間近で観たとき、びっくりして泣いてしまった。人は天才を目の前にすると泣いてしまう。そんな感じだった。メイ選手直々にプロレスを教えてもらえるとあっては、行かないわけにはいかない。始まるまで怖くてたまらなかったが、どうにか逃げ出さずに会場へ向かった。