サビ置き看板のサビ具合を見ていきたい
しかし、なぜ置き看板がサビゆくままにされているのだろう。ブロック塀に固定されたサビ看板は取り外すのも一苦労だろうが、置き看板ならすぐに撤去・交換できるはずだ。ところが多くのサビ置き看板はそのまま放置され、サビ放題にサビた結果、中にはもはや看板としての役割を果たさないものまで存在する。そうしたサビ置き看板のサビ具合を見ていきたい。
まず、サビはわずかな箇所からスタートする。
そのうち全体をうっすら覆うようになり、小麦色に焦げていく。
全体的に塗装がしっかりしている置き看板はサビの侵食具合が少なめになる傾向にある。
全体に塗装がされているからといって、安心してはいけない。よく見る「たばこ」の置き看板も、
長い時間が経てば全面真っ茶色に変わってしまうのだ。
中には設置年が異なるのか、同じ場所にありながらサビ具合が異なっている看板もある。
こうしたグラデーション看板は、サビゆく経過を一目で眺められて楽しい。
サビが進んだ結果、本来の色遣いから反転してしまう看板もある。酒店の店先に置かれた郵便看板は、当初はおそらく白地に赤だったものだろうが、白地のサビが進み、赤が退色したことにより、見事に反転してしまっている。
反転しても退色しても、看板に書かれた内容がはっきり読み取れる場合は、まだ看板としての機能は果たしている。
そもそも看板に書かれている内容が、現在の状況に合致しているか否かというのはまた別の話となるわけだが。
「サビ看板」鑑賞の心得
ここからは、判読すら困難になっていく重度のサビ看板を見てみたい。サビ具合が少なくても、そもそもの文字が薄い場合や、サビに隠れてしまう色の場合、判読は難しくなる。
さらに焼きすぎのトーストのような色になっていくと、次第に文字も絵も見えなくなり、
ついに真っ黒焦げになる。真っ黒焦げになっても文字だけは残る特殊なケースもあるが、
大抵はもはや何が書いてあったのかすら分からない状態になってしまうのだ。
こうなれば、もはや看板の意味を全くなさなくなってしまう。
それでも街中には、サビ置き看板は今日も存在し続けている。これは看板というより、一種の芸術作品なのではないだろうか。現に世の中には、鉄サビを自身の作品の特徴としている芸術家も多く存在する。われわれは街中の彫刻作品を鑑賞するのと同じような心持ちで、サビ置き看板を眺めていくべきなのかも知れない。
イラスト・文・写真=オギリマサホ