戦後まもなく新橋に創業『文銭堂本舗』
戦後間もない昭和23年(1948)に新橋に創業した『文銭堂本舗』。現在は2代目の田口雅章さんが店を守る。
埼玉から上京した初代は、戦後の厳しい時代にあって、「菓子は人を幸せにする」を信条に菓子職人さんたちに声をかけて店を立ち上げた。新橋に出店を決めたのは、当時闇市があり人出が多く賑わっていたためだ。
店名の由来になった文銭最中
看板商品は、店名の由来にもなっている文銭最中。文銭は、寛文8年(1668)から発行された通貨で、地震で大破した、京都・方広寺の大仏から造られ大切にされたという。文銭をかたどった最中は評判を呼び、店は「文銭さん」と呼ばれて親しまれ、そのまま店名になったそうだ。
小豆餡と栗餡の2種類があり、コクのある餡を、ふんわり香ばしく焼かれた最中皮が受け止める。滑らかな小豆餡には食感も風味もよい鹿の子豆が入り、栗餡には栗の実がたっぷり使われ贅沢だ。
ちなみに、これよりひとまわり大きな「だいぶんせん」と呼ばれる大サイズの文銭最中もあり、そちらは大納言小豆餡と白いんげん豆餡の2種類がある。
こし餡の豆大福は木・金曜日限定
街の人が楽しみにしているのは木・金曜日限定のこし餡の豆大福。上生菓子がメインの同店で、餅をつく豆大福を毎日つくるのは難しい。それでも「地域の皆さんが楽しみにしてくださるから」と曜日限定で提供している。
これに加えて11月の創業祭と2月の節分の前後に、通常の豆大福の1.5倍サイズのつぶし餡の豆大福を作ってきた。これが好評を博し、火曜日に通常サイズのつぶし餡の豆大福も始めた。
餅生地は薄めでこし餡はたっぷり。ついた餅でつくる大福ならではの力強さがありながら、繊細さをあわせもつ。
千葉県産のもち米を蒸して杵でついた餅は、コシがありながらも伸びがよく柔らかい。塩加減がほどよいえんどう豆も柔らかく煮てあり、餅と餡の滑らかさを損なわず、心地よいアクセントになっている。
一般的にこし餡を作る際は、小豆を茹でた後に皮を除くところ、『文銭堂本舗』では、北海道十勝産小豆の表面の皮をむいてから煮る。「皮むきこし餡」は、手間はかかるが、えぐみと渋みが少なく品のよい味わいに仕上がる。色は淡く美しい。
20年近く前、『文銭堂本舗』の豆大福をはじめて食べて、餡のおいしさと豆入の餅生地とのバランスのよさに感激した。今も変わらずこの豆大福のファンだ。
漆黒と黄色のコントラスト「黒牡丹」・「君牡丹」
『文銭堂本舗』といえば上生菓子。月替わりの6種類に加えて、定番の2種類、「黒牡丹」と「君牡丹」が店頭に並ぶ。
漆黒と黄色のコントラストが鮮やかな一対。牡丹のつぼみを思わせる釣り鐘型は、日本庭園で見かけた椅子の形をヒントにしたという。今のご主人が昭和50年前後に考案したという意匠は、今見ても新鮮だ。
金箔をのせた漆黒の「黒牡丹」は、黒ごまの煉切(ねりきり)で黄味餡を包む。口に運ぶと、黒ごまのコクと黄味餡のまろやかな風味が溶け合う。
黄色が鮮やかな「君牡丹」は、黄味餡で鹿の子の餡を包む。やわらかな風味に心和む。「黄味」ではなく「君」の字を使うところが詩的だ。
おいしいものを届けようという心意気。
創業時から同店を支えてきた「おいしいものを届けよう」という心意気は、今もたしかに受け継がれている。ひとつひとつの和菓子を見ると、手間をかけていることがよく分かる。
たとえば同店の餡はとびきりおいしい。材料にこだわり、前述のようにこし餡は皮をむいてから炊くなどに加えて、炊く量にも気を配り、大鍋でまとめて炊くのではなく、数回に分けて炊く。効率は悪いけれどその方がおいしいからだ。
それからひな祭りが近づくと自家製の雛あられが登場する。千葉県産のもち米と国産の大豆に糖がけをしてつくっている。ここまで手作りしている和菓子店は多くない。この知る人ぞ知る逸品は、毎年楽しみにしている人がいて、すぐに売り切れてしまう。
そして12月にはお節に嬉しい栗のきんとんなどが登場する。私は早々に、丹波の極上黒豆「飛切」をふっくら炊き上げた黒豆を一瓶求めた。お正月が近くなったらお汁粉用に皮むきこし餡を買いに行く予定だ。
新橋は昔も今も忙しい街だ。行き交う人も街の様子もどんどん変わる。再開発計画が進む新橋は、これからまた大きく変わるだろう。変化を遂げるこの街で、『文銭堂本舗』は変わらずに客を迎えてくれるはずだ。
文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)