横浜ノース・ドック米軍基地にある橋梁
この専用線には、基地のすぐ手前で「瑞穂橋」という鉄道橋が架かっています。瑞穂橋は日本初の溶接鉄道橋です。空撮した写真があるので、こちらでお見せします。この赤錆びた弧を描く曲弦トラス橋梁が瑞穂橋です。
鋼材を用いた橋梁は、明治時代から戦後しばらくまではリベット打ちで接合する方法が一般的でした。古い鉄橋の接合部には丸い頭のリベットがずらっと並んでおり、より一層重厚感を引き立てています。現代ではリベットに代わって溶接やボルト締結が主流です。見た目ではリベットの並んでいた接合部がすっきりしていて、全体的にスマートな印象があります。
鉄道橋で溶接が用いられ始めたのは昭和10年代のこと。当時は電弧溶接と呼ばれており、これはアーク溶接のことを言います。瑞穂橋はリベット打ちと溶接の両方をミックスして誕生しました。試験的な要素が高かったとのことです。
建造は昭和9年(1934)です。両端はプレートガーダー、中心部は曲弦トラス、橋長は77.2m。横河橋梁製作所製。複線分となっていますが線路は単線です。最大の特徴である溶接部分は、両端のプレートガーター、床組(ゆかぐみ)、縦桁、対傾構(たいけいこう)で、トラス部分はリベットを使用しています。床組は鉄道車両の荷重がかかる部分で、レールと枕木部分が載る部分は縦桁。対傾構はトラス橋の変形防止のために用いられるもので、左右の桁を結んでいます。
気になるのは、米軍基地の一部施設が2021年3月末をもって日本へ返還されたことです。日本へ返還されたのは主に線路設備で、瑞穂橋も含まれています。基地返還後は現状復帰として「工作物は撤去する」のが通常であり、線路設備や橋梁は解体撤去される方針となっています。
わずかな距離の専用線に残る線路の跡
瑞穂橋がどうなるのか気になります。現地へ行きましょう。JR東神奈川駅か京急東神奈川駅を下車。目の前の道路を南下して、首都高を潜るといかにも埋立地の雰囲気が漂ってきます。
高島貨物線の踏切に出ます。前方は「瑞穂埠頭」の看板があり、薄緑色の立派な曲弦トラス道路橋「瑞穂大橋」の左側に、何やら赤錆びたトラス橋があります。それが瑞穂橋です。
その前に、専用線の分岐箇所を見ましょう。高島貨物線を渡ると左へ折れる道があって、その先には専用線の踏切がありました。「立入禁止」の看板があるのですが、それは踏切先の米軍敷地内のことを指すようです。クロネコヤマトのトラックがけっこう往来しているので気をつけて歩き踏切へ近づくと、線路は複線分ありました。
瑞穂橋は複線橋梁なので昔は複線だったのかもしれませんが、東側の線路は踏切先で途切れています。その先は盛土の路盤が単線分になっていて、傍らの工場造成時に一部路盤を撤去したのかもしれないし、もともと単線分しか路盤がなかったのかもしれません。古い航空写真ではそこまで鮮明に分かりませんでした。
踏切の反対側、すなわち高島貨物線との離合部分を見ます。手前には「×」印が掲示された入換信号機が立っており、×印から察するに、信号機はお役御免となっていました。2000年代初めまでは燃油輸送でこの専用線が使用されていたそうですが、もうすでに廃線(あるいは休止線)となっています。
先に進みます。再び道路へ出て、ほどなくして先ほどの路盤と再会します。煤けて年季の入った石垣と小さなプレートガーター橋が見えました。石垣が高いため線路は見えないのですが、おそらく残っていると思われます。瑞穂橋側の線路敷きはさらに低木や草が茂ってきており、貨物列車が走らなくなって久しいことが窺い知れます。
ふと、道路橋のそばに二軒のバーが目に入りました。横浜ノース・ドックの米軍関係者を相手に始めたという老舗のバーです。一度は行ってみたいバーでしたが、取材時は緊急事態宣言中のため閉業中でした。蒸し暑さが去って、何かと落ち着いてきたときに再訪したいです。
この先の瑞穂橋はボリュームが多くなるため、次回(8月後半)にレポ致します。もうしばらくお待ち下さい!
取材・文・撮影=吉永陽一