「大仏」の大きさの定義とは?
「大きい仏」という点だけで考えれば、奈良や鎌倉などの歴史ある大仏はもちろんのこと、昭和50年代~平成前半に多く造立された、いわゆる「コンクリート仏」も趣が深い。普通の大きさの仏像と同様に、廬舎那仏、阿弥陀仏、薬師如来、観音菩薩……とさまざまな仏がいるのもまた大仏の魅力である。私はこうした各地の大仏を目指して、しばしばバイクでツーリングをしていた。先日、過去のツーリング写真を見返してみたところ、およそ半分は大仏目当ての旅だったことが判明して、我ながら驚いたところである。どれだけ大仏が好きなのだろうか。
ところで「大仏」とは、どのくらいの大きさの仏像を指すのだろう。釈迦の身長とされる一丈六尺(約4.85m)の高さで造られた仏像を「丈六仏」と言い(立像の場合。坐像はその半分の八尺《約2.42m》となる)、それよりも大きな仏像が一般に「大仏」と呼ばれる。台座を含めた全長が120mもある茨城県の牛久大仏などは、文句なしの「大仏」だが、中には丈六仏ギリギリの「かろうじて大仏」という大きさの仏像もある。こうした大きさの大仏は、「その大仏を目指してツーリング!」といった感じではなく、散策の途中に偶然出会うことが多い。大仏というほどでもない大きさではあるが、偶然遭遇した時に何となく嬉しく思う、こうした仏像を私は「中仏」と呼んでいる。
「中仏」との出合い
私が初めて「中仏」と偶然遭遇したのは、独特な雰囲気を持つ参道で知られる東大阪の石切神社を訪れた時のことであった。近鉄奈良線の石切駅を降り、神社に向かう道すがら、住宅の中に突如として仏が登場したのだ。「日本で三番目 名所石切大仏」と銘打たれた大仏は、つるりとした質感の阿弥陀如来像である。説明書きによれば像の坐高は6m、蓮台が2mということなので、れっきとした「大仏」なのだが、圧倒される感じはなく小ぢんまりとしている。何が日本で三番目なのか、また建立した阪本昌胤という人物は何者なのか、いくつかの疑問とともに印象に残る仏であった。
その後、東京近辺でもしばしば「中仏」に遭遇している。春、桜並木の谷中墓地参道を歩いていると、天王寺の境内にいる大きめの仏像と目が合った。この青銅製の釈迦如来像は元禄3(1690)年に鋳造された歴史ある像で、像高が2.96mというから、かろうじて「大仏」の範疇となる。台東区のホームページに掲載されている解説によれば、江戸時代には髪際からの高さが2.41mという「丈六仏」、すなわち普通の大きさの仏と考えられていたようだ。
またある日には、曙橋の路地裏を歩いていたところ、西迎寺というお寺の境内奥に仏が静座していた。こちらも元禄7(1694)年に造立された青銅製の阿弥陀如来像で、バランスのとれた美しい仏像である。説明書きによれば像高2.37mということなので、「大仏」というよりはやはり「中仏」というべきか。
「大仏」と銘打った「中仏」も
これら天王寺や西迎寺の仏像は、サイズがさほど大きくないためか、「大仏」と大々的にアピールされることは少ない。一方「大仏」と大々的に銘打たれながら、実は大きくない仏も存在する。千葉県鎌ケ谷市には、その名も鎌ケ谷大仏駅(新京成電鉄)がある。駅周辺にも「大仏」の名を冠したラーメン店や、大仏コロッケを販売する精肉店が存在し、大仏が街を挙げてアピールされているのだ。しかし当の「鎌ケ谷大仏」は、うっかりすると通り過ぎてしまいそうなほどに景色に溶け込んでいる。説明書きによれば高さは1.8m、まさに「中仏」である。
大きな仏は確かに魅力的だ。しかし街に馴染むちょうどいいサイズの仏像も味わい深いものがある。隠れた「中仏」を発見するのを、今後の散歩の楽しみの一つとしたい。
絵・撮影・文=オギリマサホ