私が以前勤めていた小さなIT企業は、さまざまな派遣先に常駐させられるタイプの会社だった。ある派遣先へ出向することになった最初の日。上司に「行くぞ」と連れられ、待ち合わせのカフェで男性に挨拶をした。今後一緒に働く人だから第一印象を損なわないよう心がけたが、大した会話もなく「じゃ、よろしくお願いします」と言うと2、3分で場は打ち切られた。肩透かしを食らったような顔の私を上司はまた別のカフェへといざない、そこにはまた知らない人が待っていた。同じように形式的な挨拶をしてすぐに別れた。

「これは何なんですか?」と上司に聞くと、さっき会ったのは2次請け、3次請けの企業の社員さんだという。つまり実際に仕事をする我が社は4次請けの立場であり、その上には仕事を仲介するだけで何割かのお金を得ている人たちがいるのだ。

そういえば日本は他国に比べ人材派遣会社が異常に多いと聞いたことがある。仕事を右から左へ受け流すだけでマージンを取っている企業が無数にあるのだろう。なぜそうなっているのかは知らないが、とても正常とは思えない。

早くに世の中を知った賢い人は自分が無駄に搾取されないよう上流企業入社を目指し就活を頑張る。私は世間知らず過ぎた。カイジの世界だったら確実にだまされ身ぐるみを剝がされているタイプだ。

立場の低い会社に収まらざるを得なかったのは努力を怠った自分のせいだ。それは甘んじて受け入れるが、中抜きされている身である以上、必要最低限の仕事しかやりたくなかった。むしろ隙があれば積極的にサボっていきたいと思っていた。

単に楽がしたい自分を正当化しているだけではと思うこともあったが、そんな時はビースティ・ボーイズの「サボタージュ」という曲を思い出し自分を鼓舞した。私がサボっているのは理不尽な社会の仕組みに対する反抗なのだ。強いられるまま従順に働いていたら既存のシステムをさらに強固にしてしまうことになり、結局それは世のためにならない。

滑り台でけがするか?

日雇いバイトなんかもそうだ。日雇いバイトの給料なんてものは仲介会社にガッツリ中抜きされているに決まっている。だからそれ相応の労働をすればいいと私は思っていた。だがそんな日雇いバイトにも、なぜだか無駄に仕事に厳しいバイトリーダーがいる。

最も印象に残っているのは、住宅展示場に派遣されたときのことだ。会場には空気で膨らませるタイプのでっかい滑り台が設置してあり、子供が遊んでけがをしないように監視するという楽そうな仕事だった。日雇いバイトの中ではかなり当たりの部類だ。

そもそもこんなふわふわした滑り台で怪我をするシチュエーションが想像できない。実質、何もやることがない。それでも一応、まじめな顔をして遊んでいる子供たちを眺めていたら、バイトリーダーがつかつかと近づいてきて「なに突っ立ってんの?」とすごんできた。

いや、突っ立ってるも何も、やることがないのだ。もし危ない行動をしている子供がいたら、すぐに対応できるようにしているつもりではあるが。「一応けがしないよう見てはいるんですけど……」と答えると、彼は話にならない、という顔で滑り台へ向かい、「よーし、よしよし」などと言いながら滑り降りてくる子供を抱きかかえたり、「お兄さんと一緒に滑ろうか」と子供を膝に乗せて滑ったりした後、再び私のところへやってきて「仕事ってこういうことだから」と言った。

こいつは本物のアホだと思った。そんなの、“やってる感”を出すために無意味な仕事を無理やり作り出しているだけじゃないか。子供だってうっとおしくてたまらないだろう。

彼の指示には全く納得できなかった。しかしそのまま突っ立っていたらまた怒られる。私は「なるほど」と一応理解したような相づちを打ち、彼を真似る振りをしてやり過ごした。こうして屈辱的な数時間と引き換えに、私は給料8000円から交通費を引いた7000円程度の金を手にしたのである。

その翌日、私の友人も同じバイトに入る予定だと聞いていた。次彼に会ったらあのバイトリーダーの悪口を肴(さかな)に酒を飲もうと決めた。数日後、友人に会い「あの住宅展示場のバイトリーダー、無理やり子供と遊ぶよう命令してこなかった?」と尋ねると、彼は「マジうざかった」と即答した。それを聞いて私が「だよね!」と返すより先に、彼は「納得できなかったから昼前にバックれて帰ったわ」と続けた。

マジか。仕事をバックれる選択肢は私にはなかった。「理不尽な権力への反抗」などと偉そうなことを言いつつ、実際は権力に従わされていただけじゃないか。言行を一致させるなら、私も途中でバックれるしかなかったのだろう。友人は単にムカついて帰っただけだと思うが、私には彼が権力に歯向かうロックスターに見えた。

自分も今後、理不尽な命令をされたらバックれる勇気を持とう。そう決意して以降もさまざまな理不尽バイトの現場を経験したが、持ち前の気の小ささのせいで、結局一度もバックれたことはなかった。

※写真と本文とは直接関係ありません。
※写真と本文とは直接関係ありません。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子 撮影協力=東京ドームシティ『アソボ~ノ!』
『散歩の達人』2024年7月号より

知人の飲み会で一度だけ会った文芸誌の編集者から連絡があり打ち合わせをすることになった。コーヒーをすすりながら「最近は何やってるんですか」「実家にはよく帰るんですか」と世間話のような質問に答えていたら数十分が過ぎていた。相手は私に仕事を頼むつもりだったのに、私の返答のレベルが低すぎたせいで「やっぱこいつダメだ」と見切られてしまったんじゃないか。そんな不安がよぎり始めた頃、編集者は突然「吉田さん、小説を書いてみませんか」と言った。私は虛をつかれたような顔をして「小説かあ……いつか書いてみたいとは思ってたんですけどね。でも自分に書けるかどうか」などとゴニョゴニョ言いながら、顔がニヤつきそうになるのを必死にこらえていた。本当は打ち合わせを持ちかけられた時点で小説の執筆を依頼されることに期待していたのだ。「まあ……なんとか頑張ってみます」と弱気な返事をしつつ、胸の内は小説執筆への熱い思いで滾(たぎ)っていた。
人と一緒にどこかへ向かうとき、ただ人に導かれるまま後ろをついていくだけになるパターンが多い。ついていくだけで目的地に着けば楽は楽だが、そんなことを繰り返していると「何もしない奴」としての存在が定着してしまい、いざという時に自分の意見が通りにくくなるという弊害がある。
学生時代に組んだバンドを気づけばもう10年以上続けている。その間、ボーカリストとして私は何百回と人前でライブを行ってきた。どういう心構えでライブに臨むべきなのか、未だ明確な答えは持っていないが、一応ライブをやる上でのマイルールがいくつかあってそれだけは守るようにしている。