駅前にあった老舗フルーツ店が移転してカフェを併設
『多根果実店』は90年以上の歴史を持つ老舗だ。その3代目として育ち、現在シェフパティシエとしてお店を切り盛りする延命真一郎(えんめいしんいちろう)さんは、物心ついたころからコックさんを志望し、家族に料理を振る舞ってきた。専門学校を経て、八王子の老舗「バーゼル洋菓子店」でパティシエとして経験を積み、歴史あるスイスの町、バーゼルでも修業した。
パティシエとして腕を磨いた延命さんは2003年に家業に戻り、以降『多根果実店』はケーキとフルーツのお店としてますます地元の人たちに愛されるようになったのだ。
そのお店が移転することになったのは2013年のこと。北口の再開発がきっかけだった。
祖父の代から「駅前で商売をしていること」は店の誇りのひとつで、駅から離れてなじみ客の足が遠のいてはいけない、老舗らしさも失いたくないと考えていたときに出会ったのが、現在店として利用している建物だ。
木造2階建てアパートだった建物は築60年あまり。大幅に改装して1階は厨房と販売スペース、2階の一部をカフェスペースとして活用している。昭和の木造アパートらしい面影をほとんど感じさせないカフェスペースは、壁の塗装などかなりの部分を延命さんがDIY。修業先のバーゼルで訪れた建物や、古いカフェでくつろいでいた人たちを思い出してデザインしたそう。
テーブル席以外にも、ソファ席、カウンター席も用意されているので、誰かと訪れても1人で訪れてもゆっくりケーキタイムを楽しめる。
作りだめは一切しない。厳選素材と丁寧な作業で作るケーキ
1階のお店に並ぶのは、生ケーキと焼き菓子、チョコレートなど様々。やはりフルーツを使ったケーキも多く、中でも国分寺産ブルーベリータルトは、甘みが強く酸味が控えめのブルーベリーがこぼれんばかりにトッピングされている。延命さん自ら国分寺市内のブルーベリー園に出向いて摘んだブルーベリーが使われることもあるのだとか。
お店のスペシャリテは国分寺チーズケーキだ。延命さんが修業時代を含めてもう40年近く作り続けている看板メニューで、チーズがたっぷり。濃厚で舌触りがよく、ハチミツの風味がはっきり感じられる。
国分寺チーズケーキに使っているのは、延命さんがスイスでの修業時代に出会ったデンマークの伝統的なチーズだ。初めて食べたときにその味と草の香りに心を動かされ、デンマークの生産者との関係を確固たるものにしてずっと輸入を続けている。
国分寺チーズケーキは材料を贅沢に使っているだけでなく、低温のオーブンで4時間ほどかけてじっくり焼き上げているのもおいしさの秘密だ。濃厚な上に1ピースがなかなかのボリュームだが、最後のひとくちまで飽きることはない。
珍しい名字もブランド化。その理由は「お客さんに楽しんでほしいから」
アイデア豊富な延命さんが作ってきたケーキやお菓子は数百種類に及ぶが、現在、延命さんが力を入れているのが「延命堂」という新しいブランド名をつけたチョコレート菓子だ。使っているのはフランス産高級チョコレートで、味にも高級感がある。ショーケースに並ぶ延命堂ミルクチョコレートテリーヌは初めて店を訪れた人の目にも留まりやすいようで、「健康に長生きしてほしい」と、お年寄りと一緒に食べるため買って帰る人が増えているそうだ。
フレッシュなケーキは、どれも「おいしいタイミングで食べてほしい」と1日に何度も作るのが『多根果実店』流。厨房は広くはないためオーブンは小型で、作り置き用の冷凍庫も置いていない。そのためケーキ屋さん最大の繁忙期、クリスマスでも作り置きはせず、ケーキは予約限定なのだとか。
延命さんは、「お客さんが楽しませることがいちばん」と話すが、それは一緒にお店を切り盛りする母のユミさんも一緒。果物の目利きとして今も仕入れの一部を担当しながら、たくさんある焼き菓子を詰め合わせにしたり、ラッピングしたりと、訪れた人が手に取りやすいように整えている。
テイクアウトしても、2階のカフェでイートインしても、楽しい時間の中心になってくれる『多根果実店』のケーキやお菓子。1932年の創業以来、90年以上にわたって家族が守ってきたサービス精神のおかげで、ますます愛され続けるだろう。
取材・撮影・文=野崎さおり