浅茅ヶ原の鬼婆
昔、江戸に浅茅ヶ原と呼ばれる荒地があり、そこに建つ一軒のあばらやには老婆と若く美しい娘が二人で生活していました。
浅茅ヶ原には陸奥国や下総国を結ぶ唯一の小道がありましたが、宿泊できるような場所はないため、旅人たちは老婆と娘の住むあばらやに宿を借ります。
しかし、老婆は旅人を泊めるように見せかけていただけだったのです。
寝込みを石枕で襲い、殺害し、遺体は近くの池に投げ捨て、そうして奪ったお金で暮らしていました。
娘はそれに対して忠告をしましたが、老婆が聞き入れることはありませんでした。
老婆の殺害した旅人が999人に達するころ、宿を借りたいと訪れた稚児に対しても、老婆は躊躇うことなく石枕で頭を叩き割ります。
しかし寝床の遺体をよく見ると、それは自分の娘でした。娘は、自らの命をもってまで老婆の行いを咎めようとしていたのです。
老婆が己の行いを悔いていると、別の稚児が家を訪れます。
実はその稚児は浅草寺の観音菩薩の化身で、老婆へ対し「非道な行いをしてきたあなたに人道を説くために現れた」と言いました。
その後の老婆は、観音菩薩の力で竜にされて娘の遺体とともに池へ消えたとも、観音菩薩が娘の亡骸を抱いて消えた後、老婆が池に身を投げたとも言われています。
フィールドワーク①現在の浅茅ヶ原を歩く
まずは東武スカイツリーライン浅草駅の北口からスタート。浅茅ヶ原があったとされる清川1丁目から今戸2丁目まで歩いてみることにしましょう。
(※今回のフィールドワークでは、江戸時代当時の浅茅ヶ原があった場所について、国立国会図書館デジタルコレクション『〔江戸切絵図〕今戸箕輪浅草絵図』を参考文献にしています)
高架下になっている北口を出たら、隅田川方面を目指します。
スカイツリーを眺めながら隅田川沿いの遊歩道をゆっくり歩いていると、笹林と不思議な看板が現れました。
「スズムシ等の観察地」は、隅田川に自然を戻す活動をしている市民グループ・下町鳴虫愛護会が隅田公園の敷地を区から借り受け、笹を植え、スズムシやマツムシなど美しい音を聴かせてくれる虫を放った場所なのだそう。
秋の夜に川沿いを歩きながら虫の音を聴くことができるなんて、さすが下町……!
しばらく歩くと清川一丁目に到着しました。
清川地区は浅草の北部に位置し、東は隅田川、西は土手通り、南は隅田公園、北は荒川区に面しています。
江戸の面影を感じる史跡や文化財の残る地として、「平賀源内墓」や「江戸六地蔵」などがあることでも知られている地域です。
冒頭の「浅茅ヶ原の鬼婆」ではこの地が荒地であったことが強調されていますが、国立国会図書館デジタルコレクション『〔江戸切絵図〕今戸箕輪浅草絵図』を参照してみると、周囲に民家もあり、広大な荒地という印象ではありません。
伝説や民話と実際の史料を比べ、こういった差異を発見できるはなかなか面白いもの。
そんなことを考えつつ、次は「浅茅ヶ原の鬼婆」で老婆が身を投げたとされる「姥ヶ池跡碑」に行ってみることにしました。
フィールドワーク②東京都指定旧跡「姥ヶ池跡碑」
台東区立花川戸公園の中にあるのが「姥ヶ池跡碑」です。
姥ヶ池跡碑は1939(昭和14)年に東京都指定旧跡に指定され、花川戸公園内には石碑のほか、小さな祠と人工池があります。
説明板によると、1891(明治24)年に埋め立てられるまでこのあたりには大きな池があったとされ、それは隅田川に通じるほどの大きさだったようです。
なお「浅茅ヶ原の鬼婆」に登場する老婆が使用していた石枕は、浅草寺の子院・妙音院に非公開所蔵されています。
この日は天気の良いうららかな日でしたが、公園の中は薄暗い印象で、祠に近づくのを少しだけ躊躇してしまうような、静かな怖さと迫力が漂っていました。
調査を終えて
旅人を宿泊させ殺害し、金目のものを奪い続ける老婆が仏法の力で改心する……。
そういったパターンの民話・伝説・伝承は日本各地にみられ、「一ツ家伝説」というカテゴリーとして存在しているようです。今回の「浅茅が原の鬼婆」もその「一ツ家伝説」に分類されます。
この記事では老婆のその後について、「観音菩薩の力で竜にされて娘の遺体とともに池へ消えた」「観音菩薩が娘の亡骸を抱いて消えた後、老婆が池に身を投げた」の二つの説を紹介しましたが、他にも「仏門に入って命を奪った人たちを弔った」という説もあり、個人的にはそれが老婆のその後であればいいなと思いました。
人として超えてはいけない一線は確実にあり、老婆はその線を明らかに超えています。
それでも「身投げして命を捨てるより、生きて罪を背負い続けていってほしい」と思ってしまうのは何故なのか、隅田川を見つめながらじっと考えてしまいました。
取材・文・撮影=望月柚花
【参考文献・参考サイト】
国立国会図書館 デジタルコレクション『〔江戸切絵図〕今戸箕輪浅草絵図』
「江戸マップβ版」http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/
「日本伝承大鑑」https://japanmystery.com/tokyo/ubagaike.html