20センチの隙間の閉め方
ある夏の昼前、庭で数人が会話する声がして目が覚めた。寝転がったまま耳を澄まし、少しだけ開いたカーテンの隙間から庭をのぞいて状況を理解した。2階の住人と、ときどき実家に顔を出す先輩の姉夫婦が一緒に庭の草刈りをやっている。そういえば以前にも、草がボーボーに生い茂っていた庭がきれいに掃除されており、雑草や落ち葉でパンパンになったゴミ袋が玄関脇に山積みされていたことがあった。向こうにそんな意図はなかっただろうが、「お前は手伝わないから俺たちが苦労して掃除したんだぞ」と言われているようで心苦しかった。まさに今、その掃除がカーテン越しに行われている。
今すぐ布団を出て庭へ行き、「僕も手伝います!」と元気に輪へ入っていくのが大人として最善の行動なのだろう。頭ではそう思ったが、体がついてこない。気心の知れた友人とならいざしらず、まともに話したこともない住人たちとの共同作業は大きな心労を伴うに違いない。また、日も高くなった頃にノコノコ出ていったら「こいつ、いつもこんな時間まで寝てんのか」と心象をさらに悪くする可能性もある。
幸いカーテンは20センチほどしか開いておらず、日光がガラスに反射して中の様子も見えていないのではないかと推測した。体を少しずらして一応隙間から見えない位置に大勢を整えた上で、私は思考を放棄して再び眠りに落ちた。
目を覚ましてスマホを見ると、時刻は12時過ぎ。庭の作業はまだ続いている様子だ。もう一度寝ようかとも思ったが、さすがに眠気も取れいつまでも布団の中で息を殺していることにストレスを感じ始めた。もう起きよう。だが気になるのはカーテンの隙間だ。あれを放置したまま身支度をしていたら、中でゴソゴソしている気配が住人たちに伝わってしまう危険性がある。リスクを回避するにはカーテンを閉めることが先決だ。ただ、いきなりサッと閉めたら絶対に気づかれてしまう。私は布団に潜ったまま手を伸ばし、10秒に1センチのペースでゆっくりとカーテンを閉めた。数分後、ようやくカーテンを閉め終わりホッと一息ついた瞬間。2階に住む夫婦の旦那の大きな声が響き渡った。
「おい!カーテン閉まったぞ!」
バレた。気が動転した私はとりあえず部屋を飛び出し、外から死角となっている柱の陰に隠れた。口ぶりからして、私が部屋で寝ているのは早い段階から気づいていたのだろう。そしてやっと起きたと思ったら、手伝いに来ないどころか、カーテンを閉めて見て見ぬふりをしようとした狡猾さえも白日の下にさらされてしまった。
今からでも手伝いに行こうか。いや、掃除はもうほとんど終わっている雰囲気だったし、何よりこの状況下で自分から出向いていく勇気がない。外の気配が去るまでの数十分を柱の陰でやり過ごした私は、以降7年間、「カーテンを閉めた男」の前科を抱えたまま住人たちと会釈を交わす羽目になった。その間特に距離が縮まることもないまま時は過ぎ、色々あって最近その家を巣立つことになった。
家の前に停めた車に引っ越しの荷物を積み込んでいると、「カーテン閉まったぞ!」と叫んだおじさんが「吉田くん、引っ越すのか」と声をかけてきた。「吉田くんは静かに住んでくれるからありがたかったんだけどな。なんかちょっと寂しいな」と予想外のことを言ってくれる。うれしくなって「僕も寂しいです。出ていく前に地元のうどんか菓子折りでも持ってご挨拶に伺いますね」などと調子のいいことを言ったものの、その後面倒になり、結局何の挨拶もしないまま引っ越しは完了して、今は荻窪の辺りに住んでいる。
文=吉田靖直 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2022年5月号より