「19歳で上京した」と言ったが、住んでいたのは東京ではない。横浜市の西谷という街だ。
なぜかと言うと、父が西谷で単身赴任をしていたから。私に一人暮らしをさせるよりは父のアパートに住まわせたほうが断然コストがかからないので、私は父宅に居候することになった。学校は御茶ノ水だったので、通学には1時間半かかる。
西谷はのどかな街だ。商店街には、昭和から店構えが変わっていないような個人商店が並ぶ。ケーキ屋にはバタークリームのケーキが売られ、おもちゃ屋には埃を被ったパズルや縄跳びがぶら下がり、商店街のスピーカーからは変なアレンジをされた「さくらんぼ」や「世界に一つだけの花」が延々流れていた。
そんな商店街が、私には新鮮だった。私はチェーン店ばかりのニュータウンで育っている。駄菓子屋なんてないから遠足のおやつもコンビニで買うような。そんな私にとって、西谷はまるで朝ドラの舞台のように見えた。朝ドラのように商店街の人たちと仲良くなる展開はなかったが、この街はなんだか居心地がよく、私のお気に入りになった。
東京生活の滑り出しは順調だった。学校では小説やシナリオを学び、友達も恋人もできた。五月病にはほど遠い。
また、父との二人暮らしも順調だ。
父とはあまり話さないが、仲が悪いわけではない。父は私の帰りが遅くなっても、連絡さえしていれば干渉してこないし、学校のことも聞かない。タイミングが合えばどちらかがご飯を作って一緒に食べることもあるが、それを強いられることはない。
母はどちらかと言えば干渉したがりだが、父はほったらかしにしてくれる。家族というより同居人といった感じで、その距離感がちょうどよかった。
絶好調のスタートを切った東京生活だが、6月になると暗雲が立ち込める。
そう、梅雨が来たのだ。私にとって、生まれて初めての梅雨。
ご存知の方も多いと思うが、北海道には梅雨がない。私にとって梅雨は、中二のとき神奈川から転校してきた男子に「本州には雨季があるんでしょ?」と言って「梅雨だよ」と返されたくらい馴染みがないものだ。だから「梅雨って雨が続くだけでしょ?」くらいに思っていた。
しかし実際に体験してみてわかったが、梅雨の不快さの原因は雨そのものじゃない。一番の大敵は湿度だ。
関東の雨の日は、札幌の雨の日のように涼しくない。雨が降っていても、上がっても、湿気が肌にまとわりついてくる。空気がじっとり重くて、息が苦しい。どこに行ってもお風呂場みたいにモワっとしていて逃げ場がなくて、札幌のような爽やかな風は吹いてこない。それがとても、辛い。
本州の人が生まれたときから乗り越えている梅雨が、こんなにも辛いだなんて。
梅雨に入り、私はみるみる体調を崩した。同時にメンタルの調子も崩し、たまに学校に行けなくなった。五月病ならぬ六月病だ。気温と湿度が高いというだけで、こんなにも心身に影響が出るものか。
とは言え、もともと私はメンタルが不安定だ。中学で不登校になり、最初に入学した高校も行けなくなって中退し、その頃からメンタルクリニックに通院している。梅雨がなくても、そろそろ調子を崩す頃合いだったのかもしれない。ただ、それがぴったり梅雨と重なったせいで、私の中で「梅雨=めちゃくちゃ辛い」というイメージが定着した。
学校の友達は本州出身者ばかりで、梅雨が辛いと言ってもわかってもらえない。それどころか、みんな「初めて梅雨を経験し戸惑っている人」を面白がっている。東京出身の恋人は、私が梅雨が辛いと言うたび「可愛い」と笑った。
笑いごとじゃないのに。私は本当に、身体も心もしんどいのに。
誰にも理解してもらえない孤独が、私をますます憂鬱にさせた。
ふと、「父はどうなのだろう」と思う。父は北海道で生まれ育ち、50代から西谷で暮らしている。梅雨への耐性のなさは私と同じのはずだ。それとも、もう単身赴任になって数年経つから梅雨に慣れたのだろうか?
答えはおそらく後者で、父は梅雨の影響をまったく受けていないように見えた。毎日同じ時間に起き、スーツに着替え、自分で作ったお弁当を持って会社に行く。遅くない時間に帰宅し、ビールを飲みながら野球を見る。梅雨に入っても具合が悪そうなそぶりは見えない。
あぁ、やっぱり。お父さんは私とは違うもんな……。
父は身体も心も丈夫だ。よく言えば大らかだし、悪く言えば鈍感。そんな父は、昔からすぐに落ちこんで調子を崩す私のことを「よくわからない生き物」だと思っている節がある。私の通院を理解しようとしなかったし、私の弱さに対して、無神経な発言をすることもあった。
結局、父に「梅雨が辛い」と言うことはなかった。私は、父には弱音を吐けない。心のうちを明かすようなコミュニケーションはしたことがないから。
私が布団をかぶってメソメソしていることに、父は気づいていただろう。それでも、何も言わなかった。それが父なりの愛情なのか、無関心さゆえか、私にはわからない。
ただ、父が私をほっといてくれることが、私はありがたかった。
家族と言っても他人なんだから、共感できないのは当たり前だ。共感してくれるよりも、余計なことを言わないでいてくれるほうがよっぽどありがたい。
そうこうしているうちに梅雨が明け、夏が来た。はじめての関東の夏は溶けそうなほど暑くて、それでもニュースでは「今年は冷夏です」と言う。
父とはお互い「暑いね」とだけ言いあった。
つい先日、夜の散歩に出た。人のいない道でマスクを外すと、夏の匂いが鼻腔をくすぐる。その匂いを嗅いだ瞬間、なぜかある出来事を思い出した。
あれは、私が最初の高校に行けなくなった夏。学校にも家にも居づらくて、かと言って非行に走る気力もなく、毎日「この先どうしよう」と鬱々としていた頃だ。
ある夜、私が眠れずリビングに行くと、当時はまだ札幌にいた父が「眠れないならドライブでも行くか」と連れ出してくれた。父がそんなことを言うのは初めてだ。
何時頃だったろう。国道を市街地とは逆のほうに走ると、夜なのに営業している本屋があった。店内に入ると、商品は本と雑貨が半々くらい。雑貨はどれもポップで楽しい。こんなお店は初めてで、なんだか非日常の中に迷い込んだようだった。
今思うと、あの店はヴィレッジヴァンガードに似ていた。それと、看板にヤシの木が描かれていた気がする。
しかし、グーグルマップで探しても国道沿いにそれらしい店はなかった。もう20年も前のことだから、お店自体が無くなっていても不思議ではない。
父が私をドライブに連れ出してくれたのは、それが最初で最後だ。……いや、最後とは限らないか。
夜のドライブをした頃も、西谷で暮らしていた頃も、そして今も、父は私に何も言わない。けれどたぶん、私は父に愛されている。昔はわからなかったが、時間差でそう思うようになった。
父はとっくに定年退職して札幌に戻り、私は東京暮らしが長くなって梅雨に慣れた。
街路灯に照らされた夜の歩道橋を歩きながら、今年のお盆は実家に帰ろうかな、と考えていた。
文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)