フリート横田(達人)の記事一覧

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終戦後、日本本土へと引揚げてきた人々、そして料理の語り切れない思いや歴史
焼き餃子、辛子明太子、赤塚不二夫、横綱大鵬、宝田明、浅丘ルリ子、板東英二。ふと思いつくままに固有名を並べてみましたが、共通項があるのにお気付きでしょうか?そうです、皆「引揚げ」に深く関わっているのです。終戦後、旧満州(中国東北部)や朝鮮半島などの旧植民地から、日本本土へと引揚げてきた人々(引揚者)、そして「引揚者料理」ともいうべき食べ物のことを、今日は少し書いてみます。
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中華鍋をふるい、油たっぷりの一皿を作る手と、機械油のしみついた手と
よく行く中華屋さんがあるんです。日替わりランチの炒めもの、これがもう、しみじみ旨い。古びながらも磨き上げられてピカピカな厨房をのぞくと、長ネギ、キャベツ、人参、ピーマンなど、女将さんが刻んだ野菜入りの金ザルがズラリ並んでいて、親父さんはそれぞれを無造作に掴むと、鍋肌てらてらに油をひいた中華鍋へと放りこんでいきます。
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昔ながらの純喫茶。本音と建て前を使い分けて、どこか癒やされていない自分に気付く
我々が住んでいる国は、本音と建前をうまく使い分ける人の多い社会だと思いますが、そこらでお茶するときでさえ、この使い分けを発揮してしまいませんか?※写真はイメージです。
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昔のことを語りたがらない祖父のかわりに、墓石と電化製品が雄弁に問うてくること
最初に断っておきますが、これから綴ることは、どこかの電機メーカーからなにかもらったりしてませんからね。※写真はイメージです。
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その社長が、色気なき里芋のありがたさを思い出させてくれた
今日は、ちょっとばっかりぐじぐじ節です。長いですよ(笑)。許してくださる方、ぐじぐじが好きな方のみ、以後読みすすめてください。
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昭和初期の古い小説の登場人物のように。旅館の部屋に「こもる愉悦」
昭和初期の古い小説なんか読んでいますと、登場人物が旅館の部屋にこもって、物思いにふけったり、作家なら執筆にいそしんだりしていますね。「長逗留」なんて言葉もありましたが、いまや死語でしょうか。
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盛り場の名前、屋号。昭和20年代から昭和40年代にかけての飲み屋街の地図から感じる、「秘めた熱」
慕情、夜の蝶、キャバレーゴールデンダイス、バー夜行列車、カフェー野ばら。……こういった系統の屋号、お嫌いでしょうか? これらはすべて、実在した店の名前です。
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戦後、小さな商売人たちのために建てられた建物に宿った“偶然の美”
程度の強弱はあれ、昭和のころに作られたさまざまなレトロなものにご興味があるから、こうして今、本連載エッセイを読んでくださっているものと思います。そうすると、たとえば建築なら、木造のひなびたものがお好きでしょうか?いや石造りや鉄筋コンクリート造りが好きだよという方なら、昭和初期に造られたアールデコのものなどですかね。戦後、小さな商売人たちのために建てられたこんな建物はどうでしょうか?※写真はイメージです。
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忙しかった母が食べさせてくれたナポリタンが、私にとっての「原型」になっている
子どもの頃、母はとても忙しかった――年寄りの世話と家事に明け暮れ、父は仕事で遅くまで帰らず、目が回るほどの日々だったと思います。その頃、母が私と妹に年中食べさせていたのが、納豆ご飯、そして「ナポリタン」でした。口のまわりをオレンジ色に汚しながら食べる、幼い兄弟の古い写真が実家に残っています。※写真はイメージです。
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倉庫街、工場が並ぶ埋め立て地、東京下町の夕暮れ……「さびしさ」を歩く
オリンピックの選手村を作るために様子がすっかり変わってしまったのですが、晴海ふ頭を歩くのが好きでした。あのあたり、戦後はまだ、ねじり鉢巻きで麻袋を担ぐたくましい男たちが荷の積み下ろしに汗を流していましたが、昭和も40年代に入ってコンテナが登場してくると、風景にさびしさが混じっていきました。同じ東京港でも、品川や大井にはガントリークレーンでどんどんと積み下ろしができる「コンテナふ頭」が生まれ、レゴブロックをはめこむように規格の揃った箱を一挙に運べる大量輸送時代へ向かっていきます。晴海ふ頭は、その波に乗り切れませんでした。
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