火保図は街の変遷を考える手がかり

しかも小説などと違って、パラリと適当に開いたそのページだけ短く読む、ということができますからね。といいつつ、つい読みふけってしまい……結局トイレにこもってしまうことなります。とにかく地図って、おもしろい。帝国書院の「新詳高等地図」などおすすめです。

ということで今回は、前にも話題にしたことながら「地図」の話。地図は、私の日頃の執筆活動でもよく使います。戦後の歓楽街についてなにか具体的に書く場合、キャバレーだのバーだのの屋号や位置関係を調べる必要が出てくることがあるのです。

この連載で触れた「住宅地図」は実によく使います。ただし、意外と古いものってなくて、戦後のものは昭和30年代くらいまでしかさかのぼれないことが多々。それより前の、終戦後間もない時期の路地の姿や飲み屋や商店の並びはもう地図資料からは分からないことがあるのです。(厳密には、地番を調べて登記情報や旧土地台帳などの記述を追えば土地や建物の所有者を見つけ、その並びを復元することも不可能ではないですが、屋号やどんな店だったかは、分からない場合が多いと思います)

そういうときに、ほとんど唯一といっていいほどに有効な地図があります。

「火災保険特殊地図」といいます。

火災保険図とか火保図とか呼ばれてもいます。昔、火災保険の料率算定に使うため、調査員が実際に街を歩いて、屋号に限らず建物の材質や工法などを記して作り上げた地図です。このことで、どんな建物がたっていたのかも類推できるわけです。東京はもとより、大阪や京都のもあり、なんと台湾のものもあるんですよ。燃えやすい木造店舗が稠密(ちゅうみつ)している盛り場を対象にしている場合が多く、私などには好都合です。昭和戦前期から終戦後昭和20年代ごろにかけて、何度か作りなおされているために、街の変遷を考えるための手がかりにもなります。

ところどころ建物の縮尺が狂っていて正確ではないのですが、貴重な情報源です。なにしろ、私たち現代人の感覚からだとびっくりしてしまうくらい終戦直後の公的記録は貧弱です。新聞記事もボロボロで判読できないこともありますし、各種の統計データにしても、信用できないものだったり、そもそもが抜け落ちていたりすることもあります。敗戦のダメージから復興する前ですから仕方ありません。

地図からわかること、わからないこと

火保図は、そんななかでの大縮尺(1/600など)の住宅地図的なもので、終戦直後の飲み屋街にあふれる固有名詞を次々と拾い出し、私は頭のなかでまず現在の街並みをイメージしながら、この地図をレイヤーとして上に重ねて想像して使っています。ちなみに、手描きです。鑑賞物としての味もあるんです。

私の場合、ある街の過去について聞き込みをするとき、古い住宅地図と、この火保図のコピーを持って街へ出ることがあります(火保図は東京であれば、各区の中央図書館にあると思います)。

そうして取材対象の古老の前で、対象地区のズラリならんだ飲み屋や商店の屋号をひとつひとつ読み上げると、

「ああ、あそこか。懐かしいな。誰々さんがやってたところだ。親父はとっくに死んだが、まだ息子が生きてて何々町に住んでるから、行ってみるといい」

なんて半世紀以上眠っていた記憶を呼び覚ます役割を果たすこともあります。このとき、最古の住宅地図を広げても古老の証言と対応する固有名詞は出てこなかったのに、火保図には載っていた、なんてこともあります。火保図すごい。街中で漫然と昔のことを聞きこもうとしても、すでに区画整理を経て街並みがすっかり変わってしまっています。かつての風景を思い出すのにこうした地図を手掛かりにするのは有効です。

そして、こうしてポロリと物知りの関係者を紹介してもらい、その人へ訪ねていく道すがらの気分は格別ですよ。これから未知との遭遇があるというワクワク感とともに、まるで自分がロールプレイングゲームの主人公になったような不思議な高揚が感じられてきます。謎をひとつひとつ解き、物語のなかを生きているような不思議な充実感と言い換えることもできます。地図が示してくれた次のステージへ進める喜び。

 

ハイ、これが、危ない。

歴史は、現実は、物語ではないですよね。一直線にエピローグには向かわず、いつもゆれていて像を結ばないもの。容易に意味付けを許さないもの。なのに、その前提を忘れてさせてしまう喜びなのです。

たとえば、ある一角は、地図の平面上に線と文字でキレイに描かれていますが、現実にはなにか材木だのが積まれていたり植木などがたくさん置かれていたりして、ゴミゴミした印象だったかもしれませんし、少し低くなっていて水はけが悪く、悪所として知られていた場所かもしれませんし、屋号は書かれていても、ほんのわずかな時期にどんどん又貸しが繰り返され、実は家主が猫の目のようにかわっていたかもしれませんし、飲み屋風の屋号がずらずらと書いてありますが、そのほぼすべての店が、酒でなく色を売っていたかもしれません。

とこう思いつくままに書いた補足情報はじつは全て、実話。どれも古老たちから聞いたことや新聞記事、昔の雑誌類から拾った情報をクロスさせてようやく迫ることができた姿です。むしろこれらの補足情報がなければ全く当時の情景を思い描くことはできないのに、これらはひとつも、地図には描かれていないことでした。

店の並びは書いてある。しかし並びが作る風景は書いていない。

ごく、当たり前のこと。

でも、こうして地図から「わかることと、わからないことがわかる」だけでも十分ではないでしょうか。それに、これを踏まえていれば、楽しむこともできると思いますよ!

昭和を知る旅

ここであなたにひとつ提案です。

せっかく今、地図の限界と可能性の両方をあらためて確認作業したのですから、

この際、「地図を片手に、昭和を知る旅」に出かけてみてはいかがでしょうか。

旅、と書きましたが、出かけやすい繁華街でいいと思います。火保図が作られているところなら、またとない「時間旅行」が体験できます。住宅地図と火保図、もし余裕があったら、その街の新聞記事や雑誌のコピーも調べて用意して聞き込みに出れば、話はふくらみ、どこにも記録のない昔話を聞かせてもらえることもあります。空間的な旅ではなく、時間的な旅がこのときはじまります。

あ、ちょっとだけ注意事項があります。聞き込み相手が飲み屋さんや食堂の方だった場合、言うまでもないですが、十分に飲んで食べて、お店を利用させていただくこと。そのうえで、お忙しくされていたり、乗り気でないのが分かったときは、すぐさまやめることですね。

逆に、お話が盛り上がって新情報が得られたなら、お相手の方と共有してくださいね。なにかを知って自分だけほくそえんで帰るのは、ちょっと筋違いの喜びだと思います。

それともう一点。ほしい情報が得られないとき、落胆なんてしないでください。時間を割いてもらって、昔話を少しでも聞けたなら、それはもう立派な取材成果ではないですか。あなたが触れたいと思っていた過去に、十分、別のアプローチから触れられた、といえます。

もう一度いいますが、起きている現実は意味付けし尽くせず、ゆれているもの。いかなる地図も資料もほんとうの現実を復元するものではありません。証言も、資料も、そして地図も、まるのまま、これだけが真実、と思わなければいいのです。限界を知ったなかで、ある一面の手触りを感じられたなら、「直接歴史に触った」と言っていい、またとない体験ではないでしょうか。

 

ほら、今度の休日、図書館へ行って、地図を引っ張り出したくなったでしょう。あれ、おかしいな、こんなこと書いてるうち、いつの間にか手が勝手に……机の上に火保図のコピーを……。じゃあ週末、でかけるとしますかね。

文=フリート横田

最近のコラム、思い出話ばかり綴ってしまっていたので、今日は地図のお話でも。
程度の強弱はあれ、昭和のころに作られたさまざまなレトロなものにご興味があるから、こうして今、本連載エッセイを読んでくださっているものと思います。そうすると、たとえば建築なら、木造のひなびたものがお好きでしょうか?いや石造りや鉄筋コンクリート造りが好きだよという方なら、昭和初期に造られたアールデコのものなどですかね。戦後、小さな商売人たちのために建てられたこんな建物はどうでしょうか?※写真はイメージです。
慕情、夜の蝶、キャバレーゴールデンダイス、バー夜行列車、カフェー野ばら。……こういった系統の屋号、お嫌いでしょうか? これらはすべて、実在した店の名前です。