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フリート横田(達人)の記事一覧

戦後、小さな商売人たちのために建てられた建物に宿った“偶然の美”
戦後、小さな商売人たちのために建てられた建物に宿った“偶然の美”
程度の強弱はあれ、昭和のころに作られたさまざまなレトロなものにご興味があるから、こうして今、本連載エッセイを読んでくださっているものと思います。そうすると、たとえば建築なら、木造のひなびたものがお好きでしょうか?いや石造りや鉄筋コンクリート造りが好きだよという方なら、昭和初期に造られたアールデコのものなどですかね。戦後、小さな商売人たちのために建てられたこんな建物はどうでしょうか?※写真はイメージです。
忙しかった母が食べさせてくれたナポリタンが、私にとっての「原型」になっている
忙しかった母が食べさせてくれたナポリタンが、私にとっての「原型」になっている
子どもの頃、母はとても忙しかった――年寄りの世話と家事に明け暮れ、父は仕事で遅くまで帰らず、目が回るほどの日々だったと思います。その頃、母が私と妹に年中食べさせていたのが、納豆ご飯、そして「ナポリタン」でした。口のまわりをオレンジ色に汚しながら食べる、幼い兄弟の古い写真が実家に残っています。※写真はイメージです。
倉庫街、工場が並ぶ埋め立て地、東京下町の夕暮れ……「さびしさ」を歩く
倉庫街、工場が並ぶ埋め立て地、東京下町の夕暮れ……「さびしさ」を歩く
オリンピックの選手村を作るために様子がすっかり変わってしまったのですが、晴海ふ頭を歩くのが好きでした。あのあたり、戦後はまだ、ねじり鉢巻きで麻袋を担ぐたくましい男たちが荷の積み下ろしに汗を流していましたが、昭和も40年代に入ってコンテナが登場してくると、風景にさびしさが混じっていきました。同じ東京港でも、品川や大井にはガントリークレーンでどんどんと積み下ろしができる「コンテナふ頭」が生まれ、レゴブロックをはめこむように規格の揃った箱を一挙に運べる大量輸送時代へ向かっていきます。晴海ふ頭は、その波に乗り切れませんでした。
昭和後期、ラーショの強い塩分と油分は、我々の社会を回す潤滑油になっていた
昭和後期、ラーショの強い塩分と油分は、我々の社会を回す潤滑油になっていた
ラーショ。東京から右側に出たあたりに住む人々であれば、この言葉に甘美な響きを感じ取れるもの。そうです、今日は北関東の人間が10人いたら、大体10人から11人は好きな、「ラーメンショップ」の話です。
ニュー新橋ビル前、歴史的存在としての「靴磨き」職人
ニュー新橋ビル前、歴史的存在としての「靴磨き」職人
42歳厄年を少しこえたばかりに過ぎない中年男性が昭和をテーマにしてこうやってコラムを書いておりますが、こんな私でさえ、以前はときどき、「靴磨き」の人達を見かけた記憶があります。平成の世になってもまだ、元気に従事する方々がいたということですね。大きな駅の前、往来の激しい場所に座って道具を広げ、お客を待つ職人さんたち。大抵が高齢の方々でした。それが最近、すっかりお姿をお見かけしないことに気付きました。なので今日は、その人達のことを少し書きたいと思います。商業施設の中などにも増えてきた新型のシューケアサービスのショップのことではありません。路上で商売をした歴史的存在としての「靴磨き」職人たちのことで...
「デコトラ」は、真夜中まで家族のために走る男たちの“動く自分の城” だった
「デコトラ」は、真夜中まで家族のために走る男たちの“動く自分の城” だった
助兵衛で気が短いが情に厚い、ダボシャツに腹巻姿の星桃次郎が、愛車・一番星号を駆るロードムービー『トラック野郎』。ギラギラに電飾をつけた「デコトラ」のインパクトは今も強烈で、ファンも多いと思います。私は、桃次郎を演じた若き日の菅原文太を見ると、どうしても父を思い出してしまうんです(見た目は松方弘樹似でしたが)。父もまたトラック野郎で、のちに小さな運送屋をおこし、死ぬまで運送の世界にいました。若い頃に東京に出て、ここに書けないような日々を送っていたようですが……母と出会い、不良暮らしはほとんどやめ、おとなしく郷里にかえりトラックにのったのです。理由は、私が生まれたからです。※写真はイメージです
街の寿司屋さんに、行ってみませんか。ネットに情報がないけれど、やっぱり旨い店
街の寿司屋さんに、行ってみませんか。ネットに情報がないけれど、やっぱり旨い店
出かけるとき、ふと行く先のスポットを軽くネット検索してみるのが癖です。「なんだ当たり前じゃないか」と言われそうですが、若干錯覚することないですか。「大体どこでも誰かが少しは言及してるだろう」って。実際はそうでもないですよね。ネット上に見えないから、実際は街角にあるのに「ない」と錯覚し、スルーしてしまう。※写真はイメージです
昭和以来輝き続けて来た“歓楽ビル”のネオンと、盛り場に必要な役割「客引き」
昭和以来輝き続けて来た“歓楽ビル”のネオンと、盛り場に必要な役割「客引き」
「歓楽ビル」と、私が勝手に呼んでいる建物群があります。まさに歓楽街のド真ん中に立ち、目の奥が痛むほどの尖った色彩のネオン看板を煌めかせ、下から上までフロア全てに飲み屋さんが詰まったビルのことです。陽が落ちれば否が応でも目立つこのビル、ああいいよねと感じる人もいるでしょう。
小学校の裏門に立つ大人たちと、街の映画館で見たドラえもん
小学校の裏門に立つ大人たちと、街の映画館で見たドラえもん
寝不足で疲れの抜けない重い脚をあげて事務所階段を上り、ドアをあけてすぐにラジオのスイッチを入れる。突如流れる歌声。ああ僕はーどうして大人になるんだろうああ僕はーいつごろ大人になるんだろう瞬間、肩こりの治らない中年男は昭和末期のハナたれ小学生に巻き戻る――。いやあ武田鉄矢さんの歌声が若い。ドラえもん映画の主題歌、「少年期」でした。私がたった今思い出したのは、真っ暗闇の、ほこりっぽい静かな空間で、食い入るようにスクリーンを見上げながらこの歌を聞いた日のこと。※写真はイメージです
吹きっさらしの場で一心不乱にすする、立ち食いそばの味
吹きっさらしの場で一心不乱にすする、立ち食いそばの味
目にも舌にも沁みる黒汁。甘くてしょっぱいのを吹きっさらしの場所で立ったまますすりこむあの「一心不乱」の旨さ楽しさ。みんな大好き、立ち食いそばです。汁は薄めがいいとか、あそこのかき揚げは美味しいとか好みはあると思いますが、嫌いな人ってあまりいないですよね。その歴史といえば、江戸の夜鷹そばがルーツともよくいわれますが、現代のものとどれだけ連続性があるのかは私には分かりません。ただ中村吉右衛門さん主演の連続時代劇、「鬼平犯科帳」のエンディングシーンとは確実にありますね。ジプシーキングスの物憂げなギターをバックに、雪に降られるのも構わず、湯気を立てながら黙々とそばをすすり上げる江戸町人の一心不乱と、日...
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