70歳にして再開した酒場道。『四季の味 みず穂』[本所吾妻橋]
L字カウンターに座ると、7〜8種が盛られた本日のお通しが供される。エビかまぼこ、玉子焼き、渋皮煮など、口に運べば分かる料亭仕込みの丁寧な味わい揃い。壁には信州地酒の文字が。「地元、信州中野の酒です。私ら、実家が車で15分の距離にあってね」と、土屋隆司(たかし)さん。夫妻は広尾で店を営んだ後、60歳を機に一度引退。海外旅行も楽しんだ。ところが自宅近くに「居抜きの物件が出ちゃって」。直子さんは「またやるとは思わなかった」と口をとがらすが、フグ、穴子ちまき、胡麻豆腐など、自慢の料理が恋しい、かつての常連も喜んだ。凄腕の料理人である隆司さんだが「これだけは母ちゃんじゃないと」と言わしめる一品がある。飯山市の一集落に伝承される、いもなますだ。千切りジャガイモを甘酢で和えたシンプルな料理だが、火入れ加減が絶妙。シャキッとした歯触りが酒のお供に最高だ。
20時を回ると、二人していそいそ酒を注ぎ合う。「うちの母ちゃん、酒飲むのとステンドグラスが趣味だから」と笑いつつ、常連が暖簾(のれん)をくぐると「お帰りなさい」と出迎える。
居合わせた者みんなで酒を酌み交わすうち、親類宅にいる気分になる。
『四季の味 みず穂』店舗詳細
/営業時間:17:00~22:00/定休日:日/アクセス:地下鉄浅草線本所吾妻橋駅から徒歩12分
釣果と日本酒、島豚と黒糖焼酎の乱舞。『居酒屋まち』[中野]
入り口の取っ手は流木とルアー、壁には釣果の写真がにぎやか。「理想は豊洲で買い付けしないこと」という町亮輔さんは奄美・徳之島出身。「釣りは物心ついた頃から」で、休みには小田原、下田、大原、葉山と、狙った魚種を求めて東奔西走。夫妻で出かけるかと思えば、妻の瞳さんは「船酔いするんで」と近隣の酒屋巡りをして、随時、銘柄を変えている。「仕入れが甘いなぁ」と厨房から飛ぶヤジを、瞳さんが笑って受け流す様はまるで夫婦漫才だ。
そんな中、刺し身を自家製出汁醤油でいただけば、身のハリ、弾力がすごい。口中で広がる上品な甘みを酒で追っかけると、しみじみする。
魚ばかりじゃない。徳之島で配合・生産・消費される希少な島豚を「昔、農場を手伝った縁」で仕入れ。うまみが濃く、繊維が太い骨太な味は、「日本酒より奄美の黒糖焼酎がやっぱり合いますね」と、亮輔さん。徳之島産の「島のナポレオン」に加え、瞳さんのルーツである与論島の「島有泉」を、なじみの酒屋にお願いして仕入れることもかない、界隈の奄美出身者らも喜んだとか。釣り好き、島好きが日参し、店内には常連から贈られた夫妻の似顔絵なども飾られている。
『居酒屋まち』店舗詳細
店を見渡せば、推しがいっぱい。『酒好房(さけこうぼう) かえでの杜』[阿佐ケ谷]
揃いも揃ったり約30種。冨田和裕さんが「一番好きな酒」と断言する日本酒を看板に据え、子育てがひと段落したのを機に夫妻で独立。中でも徳島の「三芳菊酒造」とは懇意で、娘さんが描いた犬イラストのカップ酒を作ってもらったり、「スタッフTもほら」と見せてくれた。1カ月酒蔵巡りをした経験を糧に、酒談義が始まると止まらない和裕さんを尻目に、傍で着々と料理を仕上げていくのは、妻の千映(ちえ)さんだ。
肴にも迷う。イタリアン、エスニック、和食など、多様なジャンルで研鑽を積んだ経験を基に、干物を用いたアクアパッツァ、締めにパスタや雑炊にできるポトフなど、創作料理のオンパレード。「こういうのを食べてみたいって言うと、作ってくれるんです」と、千映さんは夫の技を厚く信頼。極めつけは燗酒のアテになるスイーツだ。中でも和の究極卵を用いたプリンは、カラメルの隠し味が醤油とショウガ。甘みが引き締まり、酒を合わすと卵の風味がふくらむ不思議さよ。「一人でも、下戸でも楽しめるように」と、酒粕メニュー、和紅茶なども用意。随所に置かれるウルトラマングッズも心楽しく、ゆるゆる過ごしたくなる。
『酒好房 かえでの杜』店舗詳細
『泰国屋台チャオ』は、冬でもホットに心温まるタイ酒場。[神田]
ランチは売り切れごめんだが、夜は、看板息子のパクチーくんが人懐っこい笑顔を振りまき、朗らか&和やかムード。夫妻の出会いは、趣味のフルーツカービング講座。中華系タイ人シェフの元で腕を磨き、ホテルの料理人として研鑽を積んだチャオさんは、タイ留学の経験をもつチコさんと結婚すると、タイ中華と銘打った店を始めた。
料理はタイの現国王が絶賛したよだれ鶏から、つまみに最適な400円小皿まで幅広く揃え、チコさんがアユタヤで大いにハマったエビのバター焼きも評判だ。
しかも、夫婦揃っての酒好き。チコさんいわく「タイの酒の品揃えで東京一を目指します」と、タイ産のワイン、ウイスキー、スピリッツに加え、オリジナルドリンクも考案。
タイ紅茶の甘いバニラの香りにときめくビアカクテル、トムヤムクンの素になるタイハーブとトマトを用いたトムヤムサワーなど、後引く辛味と香味のタイ料理に合わせるとドンピシャ。「タイに帰ると実家で毎晩宴会続き。どこにも行けないんですよ」と、チコさんはぼやきつつも、ニコニコ顔の夫と息子と共に、タイ酒場の懐の深さを伝導している。
『泰国屋台チャオ』店舗詳細
取材・文=林さゆり 撮影=小野広幸
『散歩の達人』2024年1月号より