そもそも『丸十』とは?
カレーパンやコッペパンは町パンの定番メニューだが、一番の定番といえば、やはりあんパンだろう。練馬区豊玉にある『丸十ベーカリー』では、小倉あんパン140円が人気ナンバーワンで、1日に50~60個は出るという。
しっかりした量のあんは小豆の風味よく、甘さの塩梅よし。これがふわりとして素朴な味わいのパンに包まれ、バランスのいいおいしさになっている。食べていてなんだか気持ちの落ち着く、優しいおいしさのパンなのだ。
ここまで読んで、『丸十』という店名にピンときたパン好きの人も多いだろう。この豊玉の『丸十ベーカリー』は、日本のパン普及の歴史で重要な役割を果たした『丸十』の流れをくむのだが、まずは『丸十』について、簡単に説明しておこう。
『丸十』とは、大正2年(1913)に黒門町(現在の上野)で、田辺玄平氏が始めたベーカリーの店名。この玄平氏は、現在も使われているドライイーストを用いたパンの製造法を完成させた人物で、この『丸十』で修行した人々が大正から昭和にかけ、各地でベーカリーを開業した。全日本丸十パン商工業協同組合によると、『丸十』をルーツに持つ店舗は、現在、関東地方に37ある。
開業以来、変わらない味
さて、そのうちの1つであるこの『丸十ベーカリー』は、昭和24年(1949)の創業。初代は山梨県の甲府にあった『丸十』の息子、堀内公男さんが東京にやってきて、他のパン工場で働いた後に豊玉で開業した。その後、2代目として息子の公英さんが店を継ぎ、現在は3代目が店をまわしている。
すでに70年以上の歴史がある『丸十ベーカリー』だが、そのありようは、開業当初から大きく変わらない。あんパンはずっと作り続けているし、総菜パンもコッペパンを基本としていて、サンドイッチ類も定番メニューが並んでいる。今は少なくなった対面式の販売方法も変わっていない。
「店や売っているものは、ほとんど変わっていませんね。パンの作り方も、基本、変えていません。私が店に入ったときは、商売やパンをいろいろ変えていこうと意見して、よく父親とぶつかっていました。でも、ほとんどの場合、父親の言うことが正しかったですね。やっぱり長年の経験で、どういうパンを作れば、お客さんが喜んでくれるのかが、分かっていたんだと思いますよ。」(公彦さん)
とはいえ、サンド系では、いろいろ新しい試みもしている。気になったのが、秋刀魚フライ(160円)サンド。秋刀魚のフライに照り焼き風のタレがかけられていて、和の風味がシンプルなコッペパンに合って、なかなかおいしい。ほかにも、カキフライを挟んだパンなど、総菜系はけっこう攻めているのだ。
「パンは毎日、食べるものなので、飽きないようにいろいろとうやっています。パンは他の食材と比べて、いろいろアレンジできるので、これからも新しいものを作っていきたいですね」(公彦さん)
「あえて変えない」姿勢
ここで、『丸十ベーカリー』の立地を紹介したい。最寄り駅をあえてあげると、西武池袋線の練馬駅と西武新宿線の沼袋駅になるのだが、どちらも歩くと15分以上かかる。一見、不便な立地に思えるが、実は店のある通りは練馬駅から中野駅まで続く旧道で、近くの環状七号線が整備される前は、往来も多かった。住民も多く、通りは商店街が形成されていて、店の前にあるクリニックの入ったマンションはマーケットだったそうだ。
周囲の景色は変わったが、そこに住む人たちは変わらずいる。『丸十ベーカリー』は、そんな人たちのために、パンを焼き続けてきた。取材中は途切れることなくお客さんが入ってきて、ショーケースに並んだパンを見ながら、楽しそうに選んでいた。この光景もまた、おそらく開業当初から、続いているものなのだろう。
公彦さんは「近隣の方々がお客さんというのも、本当に変わっていませんね。店は変わってはいないんですけど、ずっと続けられてきました。とりあえず、続けることが大事なんだと思いますよ。変えないからこそ、みなさんに来ていただけるんじゃないでしょうか」と語る。
お客さんのために、あえて変えない。これが『丸十ベーカリー』の姿勢であり、長く愛されている理由なのだろう。
取材・撮影・文=本橋隆司(ソバット団)