手作り感満載の仕掛けとトンネルの断面に興味津々
さて、ロッカーは結局開けたのですが、中身は書かないでおきます。怖がりな私はちょっとビビりました。
そして明かりのもとへ向かうとそこに佇んでいたのは河童でした。河童は手作り感満載で、安心しきると微笑ましくなってきます。
トンネルの天井部分には白熱電球っぽい電飾が施され、手作りの河童にオブジェと、子供の頃に体験した夏の風物詩「町内会のお化け屋敷」を思い出します。ここを訪れたのは真夏。トンネル内で涼みながら、さらなる涼を求めるにはちょうどいいです。キャンプ場を利用する子どもたちにとっても、絶好の刺激となることでしょう。
河童が佇んでいる地点は素掘り構造となっていますが、照明があるおかげでその断面が四角いと分かります。その先は再び馬蹄型の断面がコンクリートで覆工され、トンネル内部の構造が見て取れます。
さらに進むと素掘りとなり、またコンクリートで覆工され、次なる仕掛けが登場して、ちょっとおののきました。目まぐるしく変化して忙しい。でも、仕掛けのおかげで照明が灯ってトンネル断面が浮かび上がり、今度は下半分だけがコンクリートで覆われ、断面の上半分は素掘りのままという中途半端な状態が現れました。内部の補強のためでしょうか。
仕掛けを作った方と出会いもう一つのトンネルへ
トンネルの構造と次々に現れる仕掛けに、進むスピードは落ちていきます。仕掛けが現れるのはちょっとビビりますが、ひとつひとつが手作りでとても愛情がこもっていて、いったいどなたが作ったのでしょうか、気になります。
それに照明が灯るたびにトンネル構造が気になって仕方なく、素掘りとコンクリートの覆工と、コロコロと変わっていく姿に感心していきました。仕掛けの照明がトンネル観察にちょうどいいという、もはや本来のミステリ〜トンネルの楽しみ方と違うのではないか、ふとそう思ってしまいます。
やがて長かったトンネルにも外の明かりが差し込んできて、緑の景色へと出ました。そこはいちしろキャンプ場となっており、食事の支度をするキャンパーたちの姿がちらほらと見られます。トンネルを振り返ると「375m」と書かれていました。どうりで真っ暗なわけだ。列車ではあっという間の距離も、闇の中を歩くには長く感じます。
「あの仕掛けは一年に一度のペースで作るんですよ」
キャンプ場の管理人のおじいさんにトンネルのことを尋ねると、そう教えてくれました。仕掛けは数名の管理人さんによる手作り作品なのです。大人でもビックリしたと話すと、管理人さんはにっこり。子供ならばもっと驚くことでしょう。小さい頃の自分ならば、ちょっと無理かもしれない。
旧線はキャンプ場の管理事務所の前を通っていました。おそらくこのラインだろうなと目で追っていくと、前方にもうひとつトンネルがあります。トンネル番号17、西井戸トンネル。こちらには「楽しむフォトトンネル」と看板が掛かっています。フォトトンネル? なんだろう。
西井戸トンネルは真っ暗で、左へ緩くカーブしています。ただ、出口の明かりが差し込んできており、大加島トンネルよりも短いです。進んでいくと仕掛けが起動して、写真が浮かび上がりました。電光式の写真パネルが壁面にずらっと並んでいるのです。これは凝ったギャラリーだ。キャンプへ来場の記念写真から大井川鐵道の車両まで、写真が次々に灯されていきます。なるほど、だからフォトトンネルか。納得です。
出口はすぐ現れ、旧線の路盤はプツッと途切れました。目の前には階段があって、長島ダムの堰体(えんたい)を間近に仰ぎ見られる吊り橋「しぶき橋」へと続いています。この先の旧線は堰体付近に寄倉トンネルが残されている他は、ダム工事によって地形ごと激変しており、痕跡はありません。しぶき橋とほぼ同じ位置には第二大井川橋梁が架かっていたはずなのですが、橋台はおろか路盤も含めて跡形もなく、地形が変わっています。
堰堤の先の旧線は接岨湖(せっそこ)の湖底となって辿ることは不可能で、川根唐沢駅のあった場所はひらんだ駅の先の湖底だそうです。
トンネルを散策後は車窓から付け替えられた線路を見よう
湖底に沈んだ痕跡は全く辿ることができない。そう思われますが、付け替えた現在線の車窓から見ることができるのです。アプトいちしろ駅からアプト式の90‰(パーミル)急勾配を体験し、長島ダム駅、ひらんだ駅と列車が進んでいきます。
次の停車駅は秘境駅として名を馳せる奥大井湖上駅。その前に長めのトンネルを抜けてトラス橋を渡るとき、車窓右手に接岨湖の湖面付近に旧線のトンネルが口を開けているのが確認できました。
そして、トンネル手前の丸坊主となった斜面には、線路が打ち捨てられたように残されているのです。撤去されずにそのままの姿に目を見張ります。トンネルや橋台など撤去しにくいものは残されることが多いですが、線路が枕木ごとそのまま残る水没区間なんて滅多にありません。ダム満水時、あの線路は水没しているのです。
線路の残されている場所には、ホームだけの犬間駅がありました。ホームは簡素なもので、駅名標がポツンとある駅で、秘境駅の様相を呈していたそうです。打ち捨てられた線路の左側に簡素なホームがありました。もう一カ所の川根唐沢駅は湖底ですが、犬間駅は駅のあった場所が渇水時には姿を現し、我々にその存在を見せているのです。
列車はやがて奥大井湖上駅へ至る橋梁「レインボーブリッジ」を渡ります。その渡りしな、旧線の路盤が対岸の山の斜面にチラッと顔を覗かせ、木々の合間から第一芦沢トンネルがしっかりと判別できました。対岸の旧線はアクセスできる道もなく到達困難ですが、奥大井湖上駅へ降り立つと、ホームから旧橋梁と路盤が確認でき、遠くから眺めることができます。
奥大井湖上駅から眺められる旧線跡は、斜面の木々へ隠れて消えていきます。久保山トンネルがあって、その出口部分が現在線との合流地点となっており、次の高野沢トンネルから元の線路へと戻ります。久保山トンネルの出口はコンクリートで埋められていますが、一瞬だけ車窓から確認できます。
長島ダムによる付け替え区間は、遊び心満載の旧トンネルがあって、子供はもちろん大人も楽しめる散策道です。肝試しの季節は終わりましたが、これから秋が深まっていくので、散策にもちょうどいいことでしょう。
おまけ
接阻湖と井川線を空撮したときに旧線部分もチラッと見えたので、写真を紹介します。2019年11月18日撮影。
取材・文・撮影=吉永陽一