狭い店内に並ぶ多様すぎるパン
『サンロード』があるのは、大塚駅南口から歩いて5分弱。飲食店や商店が並ぶエリアから住宅地に切り替わるあたりだ。駅から歩いていくと、まず目に入るのが「三栄機械株式会社」と書かれた看板。その看板のある建物の一階部分が『サンロード』なのだが、店内はとても狭く、前の人が買い終わるのを外で待っている人をよく見る。
そんな店舗なのだが、そこで売られているパンはやたらに種類が多い。アンパンなどの甘いものから総菜パン、ハード系からクロワッサンなどのリッチ系もあればポンデケージョもある。
そして、種類が多いだけではない。それぞれのパンもまた、多くのバリエーションがある。たとえばアンパンなら、小倉にこしあん、栗あん紫イモあん、あんバターといった具合。食パンも同様で、普通の食パンにホテルブレッド、ハードトーストにライ麦入り……。このサイズの店舗で展開するバリエーションではない。あまりに種類が多すぎて、常連でもその全貌を把握している人は少ないそうだ。
なぜここで、こういう店舗をやっているのか? 店主の早川龍彦さんに聞いてみたところ、そこには意外な経歴があった。
もともとは厨房機械を作っていた
もともとはこの建物、看板通りに「三栄機械株式会社」というオーブンなどパン製造の厨房機器を扱う会社の事務所だったのだ。「三栄機械」は早川さんの父が始め、早川さん自身もそこで働いていた。
もとからのパン好き。さらに最新の機器を扱うわけだから、早川さんはパンについての知識、技術は十分で、過去には日本パン技術研究所にも通っている。自分でパンも焼く、機械のプロであると同時にパンのプロでもあった。若い頃はODA(政府開発援助)に協力して、ロシアにパン製造の技術を教えに行っていたこともあったという。
さて、その「三栄機械」が自社のアピールのため、事務所1階にアンテナショップ『サンロード』を開いたのが1998年ぐらい。これが現在につながっているのだ。ちなみに当時は東十条にも「三栄機械」のベーカリーがあったという。
しかし、社長だった父が病気で倒れてしまい、タイミング悪く別の役員も死去。バブル崩壊の余波もあり、会社を閉めざるをえなくなってしまった。当時、専務だった早川さんが工場の処分などさまざまな整理をして、残ったのは大塚の建物と『サンロード』だった。技術はある。オーブンもある。小さな店舗だけれど、両親と自分が食べていけるぐらいならと、あらためて2001年ぐらいに、ベーカリー『サンロード』として再出発した。店が小さいのは、もともと「三栄機械」のアンテナショップだったからなのである。
なぜ頑張れるのか?
それではなぜここまでたくさんの種類を焼いているのか? 早川さんに聞いてみたところ「パンが好きなんですよ」と、なんとも明瞭な答えが返ってきた。
取材をした時刻は15時すぎ。焼成はすべて終わったタイミングだったが、朝から多種のパンを焼き続けてきた早川さんは疲れた表情をしていた。『サンロード』のパンは小ぶりなものが多い。「いろいろ食べてほしいから」らしいのだが、朝からずっといろんな種類の小さなパンを焼き続けるというのは、素人でも大変なのが分かる。
それでも「パンが好きだから」いろいろ作っちゃうのだ。疲れるけれど、楽しくて仕方ないのだろう。「お客さんもパン好きの人が来るようになったから、いろいろやっていかないとね」なんて早川さんは笑いながら話してくれた。いろいろなことがあってたどりついた『サンロード』は、早川さんにとって、大変だけれど楽しい場所なのだ。
ちなみに表の「三栄機械株式会社」の看板は「取るのが手間」で、しばらくはそのままの予定。大塚に行ったら「三栄機械」の看板を目指し、『サンロード』に行ってほしい。お目当てのパンが買えるかは、タイミングによってしまうのだけれど……。
取材・撮影・文=本橋隆司