帰り道に食べた揚げ物の、忘れられない旨さ

中高生のころの帰り道、私もおなかがすきましたが、そのころ買い食いしたお店は、もっぱら個人商店でした。菓子パンなんかも買ってかじりましたが、一番好きだったのは、肉屋さんの揚げ物。通学路に、だいぶ古びた構えの肉屋さんがあったのです。

コロッケ、メンチ、ハムカツ……自転車を店の脇に停めて、店のおばちゃんから揚げたてのを紙に包んでもらい、受け取るやいなや、即ほおばります。これはもう、こたえられませんな。三つくらい一気にいけそうですが、おカネもちょっとしかもっていないし、夕飯食べられなくなるし、いつも一つだけ買っていました。

なかでも、好きだったのは、アジフライ。肉屋さんだけれども、おそらく冷凍物ではなく、店でおろした魚を使っていたと思います。揚げたてに歯を入れます。サクっ、衣を破ったあとに、ふわふわと白身の食感がやってきます。あの旨さ、ああ忘れられない。

思い出美化のバイアスがかかっているのはもちろんのこと、食べたシチュエーションが旨さを倍増させたのだと思います。畑の真ん中、峠道のてっぺんにあった店です。店先にずらりと貼られた手書きの品書きがバタバタと風に揺れるなかで、立ったまま食べるアジフライ。肉屋さんは肉や総菜を買って、自宅に持ち帰って食べるのが前提のところ、持ち帰らない。どころか、オモテで立ち食いする――常識を踏み破っているような感覚も気持ちいいわけです。田舎の内向的少年は、このくらいのことで、充分、「自由」を感じることができました。

あの放課後のアジフライを超えるものに出会えていない

先日、帰省したときに、久しぶりにあの肉屋さんの前を車で通りがかりました。建物は健在でした。周囲の商店は軒並み閉店していて、更地になっているところもあり、すでに商店街風の一角は風化しています。初めて通った人なら、畑のなかになぜぽつねんと肉屋さんの建物があるのか不思議に思ったでしょう。目を凝らして、さらに驚きました。一帯の商店全部閉店していると決めてつけてしまい申し訳ありません。肉屋さんだけは、なんと、まだ営業しているではないですか!  今の子どもたちもあそこで買い食いするのかな。

その後、私はたぶん何百回かアジフライを食べているでしょうが、あの放課後のアジフライを超えるものには出会えていません。あの「自由な味」。あなたにとって、「自由の味」はありますか? それともう一つ。最後に全世界を論争の渦に巻き込む問いをここに置きまして、しめくくりといたします。

 

「アジフライ、何かけますか?」 醤油派? ソース派? はたまたタルタルソース派? 何もかけない派? ちなみに私は、世界中から非難されようとも、ソース派です。

文・=フリート横田
写真提供=Photo AC

子どもの頃、母はとても忙しかった――年寄りの世話と家事に明け暮れ、父は仕事で遅くまで帰らず、目が回るほどの日々だったと思います。その頃、母が私と妹に年中食べさせていたのが、納豆ご飯、そして「ナポリタン」でした。口のまわりをオレンジ色に汚しながら食べる、幼い兄弟の古い写真が実家に残っています。※写真はイメージです。
今日は、ちょっとばっかりぐじぐじ節です。長いですよ(笑)。許してくださる方、ぐじぐじが好きな方のみ、以後読みすすめてください。
純愛、円熟、謙虚……あなたが心惹かれる二字熟語はなんでしょうか。私はもちろんこれです。