一張羅のスーツを着て、すっとんでいった

いまやっている商売の駆け出しのころのことです。日々、ほうぼうに売り込みにでかけていました。大抵相手の反応はよくなく、会ってはもらえてもそれっきり。

ところがある日、一社のスタッフさんから連絡がありました。富裕層向けの広告制作をしている会社でした。

「当社の社長があなたに会いたいと言っています」

よっしゃ!色めき立ってすっとんで行きました。待っていた男性の社長さん。50代に見受けられましたが、サングラスにピアスなどのアクセサリー、高そうなスーツに色付きワイシャツなどの着用によって、もっと若く見せようとしているようでした。社長さんはさっそく、私に怒涛の質問をはじめます。以前提出してあった過去の私の仕事例には一切ふれず、出身地、学校、親の職業など……私の世間での「属性」を探し当てようとしているようでした。

その日はそれで終わり。すこしたって、またスタッフさんから連絡が来ました。

「社長がパーティをするから来てください。業界の人たちもいろいろきますよ」

なんのツテもない自分は、この「業界」という言葉に下心を出し、一張羅のスーツを着て都心のタワービルへ、またもやすっとんでいきました。

いやー驚きました。屋上でエレベーターを降りるや、いきなり受け付けがあって、参加費(たしか1万円)を払うよう言われ、とりあえず支払いました。中に入ると、おしゃれなドレスをきた女性や高級スーツの男性たちが、確か寒い夜だったと思いますが、大勢立食形式で飲んでいました。安物スーツを着た私は気圧されて、端のほうでちびちびとシャンパンを飲みはじめたのです。

しばし経つと、周囲を観察できる心の余裕がでてきます。私と同様に、立つ瀬なくもじもじしている安物スーツ組が何人か紛れているのがわかりました。男性も女性もいます。みんな1人っきり。どうやらこの人達も「動員」されたようです。

もうこの時点で一刻も早く帰りたくなっていましたが、ミッションが2つ残されています。1つは社長に挨拶して、私が来訪していると認知してもらうこと。もう1つは「業界」の人を紹介してもらうこと。

意を決して、私はシャンパングラス1つ持って社長へ近づいていきました。屋上にはプールがあって、ムーディな照明が水面を照らしています。彼はそのかたわらで、大勢の人たちに囲まれ、談笑していました。人をかきわけ、そばに行き、

「あの……今日はお招き、ありがとうございます」

「あっ、来てくれたの。ありがと」

大体2秒。それっきり社長は別の人たちのほうを向き、ふたたびこちらを振り返ることはありませんでした。下心丸出しの安物スーツを着た、なんの「属性」ももたない若者は誰ひとり業界人に紹介されることもなく、だれにも見送られることももちろんなく、高速エレベーターで下界へと降りていきました。滞在時間は、おそらく30分。あの夜、私と同じ気持ちで何人が会場をあとにしたのでしょうか。

人参とイカの醤油漬けと、里芋の煮付け

帰路、「若い動員者たちの背中の上に乗って繰り広げられる華やぎなんぞ、こっちからお断りだ、へっ」と思おうとしながら寒空の下を歩き、電車を乗り継いでいっても、みじめな気持ちは消しようもない――それでもアパートに帰り着くと、グーッと腹が鳴り出しました。パーティー会場では、巨大な氷の上に並べられたカルパッチョみたいのは少しつまみましたが、緊張してほとんど飲み食いできなかったのです。

元を取れなくてくやしい、そんなふうにいやしく思う自分もいやだなーと思いながら冷蔵庫をあけると、ネスカフェゴールドブレンドの空き瓶に詰められた人参とイカの醤油漬けと、里芋の煮付けがありました。前日、田舎から送られてきたもの。前者は婆さんが漬けたもので、後者は母ちゃんが煮たものでした。

上着を放り投げ、もっつりもっつり、冷蔵庫の前で立ったままそれらをむさぼり食らいながら、

「やっぱ俺はここにいて、こういうことを書いていくわ」

そう思ったことを今も覚えています。どうしてこんなぐじぐじ話をいまさら書いたか。そうです、今朝の朝飯もあのころと何の変化もなく、おなじ里芋をもっつりもっつりと、食っていたからでした。

茶色しかない、色気もない、昭和のころから何もかわらない、けれど本当にうまい里芋の、甘くてしょっぱいこの味とともにいま、20年前の苦味をちょっと、思い出していたのです。その社長にはその後お会いしていませんが、この芋のありがたさを思い出させてくれて、いまも感謝しています。

文・写真=フリート横田

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