先日もとある番組でラッパーの呂布カルマさんとディベート対決をするという仕事が舞い込んだ。ディベートなどろくに経験がなくてもいざやってみれば自分は案外イケそうな気がした。なぜそんな風に思ったのか。過去に他人のディベートを傍観したときも、「なんでそこで言い返さないんだ」「今の主張は矛盾してるだろ」など突っ込むポイントを私は把握していたからだ。ところが外野からゴチャゴチャ言うのと自分が実際にやるのとでは全く違う……と気づいた時にはもう遅かった。私はすでに舞台に上がっており、呂布カルマさんの圧倒的なディベート力に為す術もなく蹂躙(じゅうりん)されていた。鋭い指摘にしどろもどろになり、返答するのが精一杯で、自分が今何を喋(しゃべ)っているのかすらよくわからない。終了の笛が鳴ったのは開始から15分後。体感時間はその倍はあった。4人の判定員による結果は4対0。もちろん私の完敗であった。

負けるにしても負け方が情けなかった。バラエティー的な見せ場もなく、最初から最後までただボコボコにされ続けた。きっと視聴者は「こいつ何しに出てきたんだ」と思っただろう。期待に応えられなかった申し訳なさと、番組スタッフに気を使われているような空気を察し、そそくさとスタジオを後にした。

「言葉売り」という救い

外に出ると昼過ぎの日差しが照りつけていた。歩いて地下鉄の駅へ向かう途中、後悔の念がどっと押し寄せた。昨晩、友人と軽くディベートの練習をしてはいたが、もっと入念に準備しておくべきであった。別にその道のプロではないとはいえ、お金をもらって出演するからには最善を尽くす義務がある。今回の自分はプロとしての仕事ができていなかったと言わざるを得ない。いつもの失敗をまた繰り返してしまった。

多少心の救いとなったのは、その日の夜、「言葉売り」の予定が入っていたことだ。言葉売りとは、お客さんに悩みを聞かせてもらい、その場で格言風の一言を考え色紙に書いて売るという活動である。以前フリマで売るものがなくなり、相田みつをっぽい言葉を路上に並べて売っている人たちのパロディとしてやってみたら、思いのほか需要があったので、それ以来なし崩し的に続けてきた。

その日は友人主催のイベントに出店することになっていた。たくさん売って人と交流すれば、ディベートで負った傷も少しは癒えるだろう。夕方会場入りしフロアの片隅でお客さんを待つ。場内は徐々に人が増えてきたが皆ライブパフォーマンスを見て盛り上がるばかりで、言葉を買いにくる様子はない。私はバーカウンターに何度も酒を買いに行っては自分の場所に戻りひとりで飲んでいた。

全ての催しが終了し、そろそろお開きの時間。張り切って色紙を30枚も買ってきたが、そのほとんどが売れ残ってしまった。仕方なく帰り支度を始めていたところに女性2人組がやってきた。彼女たちは以前も私の言葉を買ってくれたそうで、色紙は現在も部屋に飾ってあるとのこと。私は久しぶりに人と話せたのがうれしく、自ら話題を振って会話を引き延ばしていた。そこに突然2人の友人らしき女性が割り込んできた。「ちょっと、成田凌いるよ!」彼女の指さす方を見ると、確かに今をときめく俳優・成田凌さんがバーカウンターに寄りかかって飲んでいた。先ほどから高身長で異常にルックスの良い男性がいるなとは気づいていたが、まさか成田凌だったとは。たちまち女性陣は私の存在を忘れ、すごい勢いでバーカウンターに走り成田氏を取り囲み始めた。

成田氏はまるでふらっとコンビニに行くついでに立ち寄ったかのような、部屋着にサンダルといった出で立ち。いっぽう私は勝負Tシャツを着用し頭髪をジェルで整えて臨んでいた。いくら身なりを整えても、またいくら付け焼き刃的な言葉で衆目を引こうとしても、人として圧倒的魅力を備えた成田凌の前で、私は本当に無力だった。

ひとりぼっちで所在をなくしている自分と、輝かしいオーラを放ち人々に取り囲まれている成田凌との対比を、誰の目からも認識されたくなかった。私は急いで色紙をカバンに詰め、誰に挨拶することもなくその場を立ち去った。

帰宅し湯船につかっても敗北感が残っていた。もっとも、冷静に考えてみれば、今をときめく超イケメン俳優がそこにいれば人が集まってくるのは当然だ。最初から同じ土俵にいないのに、何を変なプライドを持って張り合っているんだ。まさか自分が成田凌より人気者だとでも思っていたのか……違う。きっと問題の本質は、今日の自分に誇りを持てなかったことだ。ディベートをやっても言葉売りをやっても何も結果を残せなかった。成田凌さんは確かに超人気俳優だ。ただ、自分にはまた別の魅力があるはずだ。今日一日結果を残し自分に自信を持てていたら、「成田さん、本物だ!会えてうれしいっす!」とてらいなく話しかけることもできただろう。

たとえばもし呂布カルマさんなら、どんな芸能人を前にしても臆することはないだろう。彼にしかできない仕事を全うし、他者にない存在感を確立しているからだ。私も自分にできる仕事を誇りを持ってやっていくしかない。そう考えても一体何から手をつければいいのか、答えはすぐには見つからなかった。

丸の内にある『相田みつを 美術館』の吉田が好きな言葉の前にて。
丸の内にある『相田みつを 美術館』の吉田が好きな言葉の前にて。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子 写真=(C)相田みつを美術館
『散歩の達人』2023年1月号より

実家が神社をやっている影響で、子供の頃の私は近所の人たちから割と丁寧に扱ってもらっていた。道を歩いて老人とすれ違うと「あんた神社のとこの子やんな。はよお父さんやおじいちゃんみたいに立派な神主にならんといかんで」と声をかけてもらうことが多々あった。親の命令により毎日学校に行く前に神社の階段を掃除させられていたことも近所で知られており、「あんたは偉いなあ」とよく知らない人から褒められたりもした。半面、私は古典的なマンガに出てくる悪ガキ的ないたずらをして、近所の雷親父から「コラー!!」と追いかけまわされるようなキャラクターにちょっと憧れていた。しかし、もしいたずらをした相手が私を神社の息子だと認識していたら、過去に「立派な息子さんやなあ」と神主の父にお世辞を言ったことなどを思い出し、𠮟りつけるのを躊躇して気まずい空気になるのではないか。そんな心配のせいであまり大胆にピンポンダッシュもできず、サザエさんのカツオのような天真爛漫なやんちゃ坊主とはかけ離れた自分のキャラ設定を歯がゆく思った。年に一度、神社が主催する恒例のバスツアーがあった。30人程度でバスを貸し切り、ほかの地方の有名な神社を回る。神主である父親はそのバスツアーの先導役であった。私はあまり神社を巡りたくはなかったが、毎年3日ほどは小学校を休み、バスツアーに参加させられた。神社の跡継ぎとして期待され、高齢者ばかりの旅に参加する唯一の子供であった私は、みんなに可愛いがられた。人見知りで無口な子供だったため小学生としてはあまり可愛げがなかったように思うが、他に比較対象がいないおかげでツアーのマスコットキャラクター的な注目を一身に集め、ことあるごとに「これ食べな」とおやつを貰ったり、「学校は楽しいか」と話しかけられた。私はイメージを壊さないようできるだけ努力して振る舞いながらも、学校でのキャラクターとは違う丁寧な扱われ方を息苦しく思った。大学2年の時、上京していた私のもとに父親から電話がかかってきた。昔私が参加していたバスツアーで、新橋のちょっといいホテルに来ているらしい。「美味いもん食わせてやるから仲がええ友達何人でも連れてこい」と父親は言った。今や典型的ダメ大学生と化した自分が、信心深い氏子さんたちの集まる場に顔を出すのは多少抵抗もあったが、その頃金欠であまりいいものを食べていなかったせいもあり、「美味いもん食わせてやる」という父親の誘いは魅力的だった。サークルのたまり場で友人たちに話してみるとみんな「面白そうじゃん、行ってみようぜ」と乗り気な様子だったので、そのまま友人たち3人を引き連れ新橋へ向かったのである。
子供の頃は大食いがかっこいいことだと本気で思っていたがあれは何だったのだろう。テレビの大食い番組を食い入るように観ては自分もいつか絶対あの舞台に立ちたいと思っていた。回転寿司へ連れて行ってもらえば自己記録を一皿でも伸ばそうと、食べたくもない寿司を食べた。クラスにも、誰よりも多く給食をおかわりしようとするライバルが必ず数人はいた。大食いがかっこいいという感覚がどこで植え付けられたのかは分からないが、少なくとも大食いに憧れていたのは私だけではなかったようだ。小3の頃、あきひろおっちゃんと呼ばれる友達の叔父がバイキングへ連れて行ってくれる機会があった。将来フードファイターを志す者としては腕を試される場所だ。友達に圧倒的な大食いの実力差を見せつけ、あわよくば初対面のあきひろおっちゃんにも「こんなに食う子がいるのか」と驚いてもらいたい。ただ、あきひろおっちゃんは怖い人だと常々聞かされていたので少し不安だった。何の前触れもなくブチ切れ、友達のいとこはよく泣かされているらしい。何が逆鱗に触れるのか分からず怖かったが、とりあえず「いただきます」と「ごちそうさま」を忘れないように言おうと決意した。おっちゃんは車の中でほとんど喋らず、友達もいつになく無口だった。車内の静けさが不安を搔き立てたが、店に着いてしまえばそんなことを気にしてはいられない。制限時間は90分。友達と競い合うように肉を取り、我先にと網へ乗せていく。あきひろおっちゃんは私たちを気にするでもなく、ただ自分のペースで肉を焼いていた。昼飯を抜いて可能な限り腹をすかせて臨んだのに一時間も経たないうちに満腹になった。時間はまだまだ余っている。ここからが勝負だ。鶏肉など比較的あっさりめの肉に切り替え、強引に咀嚼し飲み込んでいく。腹がいっぱいでも感覚を無視して口に入れていけばなんとか食べられるものだ。そう感じた瞬間もあったが、しばらく経つともう満腹感どうこうの問題ではない、今までに経験したことのないレベルの限界を感じた。これ以上は何一つ食べたくない。いや食べられない。