昭和になって建設された砲台には巡洋戦艦の砲塔が装備されていた
配備された砲は加農砲(カノン砲)なのですが、巡洋戦艦の砲を再利用していました。大正11年(1922)に締結したワシントン海軍軍縮条約によって廃艦となった、巡洋戦艦鞍馬の副砲「四一式四十五口径二十糎(センチ)連装砲」です。
艦本体は軍縮でリストラされたが、副砲は大房岬砲台へと再利用されたのです。
岬には艦船に備わる2門砲塔が2基配備され、自然の中に巡洋戦艦の砲があるという、不自然な光景が展開されました。といっても、その姿は当然軍関係者でなければ見ることはできず、軍機密の塊である大房岬周辺は厳重に警戒されていました。鞍馬の砲塔は終戦後に米軍管理のもと解体され、残されたのは土台となる砲台跡と付帯設備のみです。
ちなみに巡洋戦艦とは、ざっと言うと巡洋艦並みの速力、戦艦のような大口径砲を装備した火力、戦艦よりも軽い装甲などを備えた艦のこと。
砲台跡の痕跡をオリエンテーションのように巡っていくと弾薬庫を発見
大房岬自然公園に行くとき、街から急な上り坂をクネクネと登っていきます。随分と高低差があるなと感じた頃に、道路の終点が見えました。戦時中はトラックが通れる道があったにせよ、巡洋戦艦の砲塔を積みながら登っていくのは大変であっただろうに。当時はまだヘリコプターが開発される前で、上空に滞空して荷を輸送できる航空機はなかったわけだし、人海戦術で輸送したのでしょうか。
道路終端には駐車場があって、自然公園のインフォメーションセンターがあります。ここで地図を入手し、公園内の舗装道を歩いて巡ることができるのですが、ありがたいことに遺構の簡単な説明文もあるので、予習無しでも散策が楽しめます。
インフォメーションセンターからスタート。地図片手に数字の振られた遺構の場所へ目指し、現地に到着して探します。あれ、この感じは懐かしい。そうだ、林間学校のオリエンテーションだ。4、5人のグループ行動をしながらチェックポイントを目指すあれ。グループ行動が不得意であったから、オリエンテーションは苦手であったけれども(汗)。カメラマンの仕事では、エリア中駆け巡ってグループを全部撮らなきゃいけなかったやつです。でも、今回は自主的なので気が楽(笑)。
大房岬自然の家を左手に見つつ、バーベキュー施設も現れました。自然公園内は指定箇所でキャンプができ、炊飯施設やトイレがあります(シャワーも1箇所あり)。ということは、遺構と同じ空間で野宿ができるのか。それは魅力的だ。ただし、深夜の遺構散策は真っ暗になるから、くれぐれも足元に気を付けて! 懐中電灯(LEDタイプとか)必携です。
地図によると、展望塔の脇に弾薬庫があると記載。されど、どこやと見つからない。目線を小山に移すと「あった!」
木々の下の方に、祠(ほこら)のごとく眠っているコンクリート構造物! 第一遺構発見です。
弾薬庫は口を開けていました。どうやら普通に入れるようなのですが、反対側の展望台のたもとへ迂回してみると、こちらにも入り口があってロープが張ってある。いまいち判別できなかったのですが、ビジターセンターの方に尋ねたら、ここは入ってもいいとのことです。
中は電気もなく真っ暗なため、足元にはじゅうぶんに気を付けましょう。雨の翌日などはぬかるんでいることもあります。小部屋が二つあり、懐中電灯で照らすと地面は荒れているが、空洞となっています。ここに弾薬を保管していました。
弾薬庫は半地下になっており、周囲が小山状になっている形状からして、庫の躯体(くたい)を、建設後に土盛りと樹木でカムフラージュしたのではないかと。半地下の入り口の上部には換気口らしき穴もありました。幅は軽自動車よりも狭く、弾薬はトロッコか手押し車で輸送していたのですかね。
なかなか見つからない遺構。宝探しのように散策しながら探していく
次は発電所跡です。砲塔の動作に必要であった電力を作り出していたようで、砲台からちょっと離れたところに設置されていました。が、これが見つかりません。芝生となった広場をぐるぐる歩き、この小道は?と近寄った先にコンクリート構造物を発見! かまぼこ状の低い屋根と、大きな構造体が木々の合間から見えています。
それにしても、どうして木々は遺構の上に生えてくるのだろうか、ずっと気になっています。根を張るのにちょうどいいからなのか。栄養分が豊富なのか……。
ただし、先に進んでみようにもロープがかかっていて、立入禁止となっています。これは2年ほど前の台風被害がひどかったようで、その先で倒木や斜面崩壊などがあるために立ち入れられないとのこと。残念。芝生側からだとかまぼこ状のものしか見えず、全容が掴めませんね。ここもおそらくは半地下構造となっていると思われます。
四十五口径二十糎砲はどれくらいの大きさであったか、今となっては比較するものが無いため分かりません。それらが2基収まっていた砲座は、花壇と見晴台になっていました。言われてみれば円形の土台があって、砲座部分であることが判別できます。砲塔の大きさは砲座から推測して、おぼろげに想像しました。第二砲台は背後にトイレがあり、トイレ建屋よりは大きかったのではないかと。アバウトすぎますかね。
遺構散策はさらに進みます。地図には観測所の跡地が記載されています。しかし、見つけきれませんでした。米軍が破壊したそうでコンクリート片があるとのことです。もうちょっとよく探せばあるかもしれません。ちょっとこの地図だけだと難しかった(汗) 私もたまに方向感覚と観察力が狂うことがあるので、このときは体調がイマイチであったのか。そういえば花粉症の症状が酷くて……と言い訳をしてみる。
第一探照灯照座の場所は分かりました。坂を降りた先の展望台の半円形の土台がそうなのかなぁ。すぐ近くはキャンプ場となっていてトイレもあり、もうじきキャンプシーズンになると、利用者が増えてくることでしょう。
少し先に進みます。ビジターセンターを過ぎ、舗装道を下っていくと池が見えてきました。看板には「モーリー池」と書かれています。台風による倒木が池に半分沈み、鳥の鳴き声以外はしん……と静まり、水鏡となっています。
突如として現れた神秘的な光景に息を飲みつつ、はて? ここには火薬庫があったそうなのだが、と目を凝らせば、その池のほとりにコンクリート構造物が! そして、池の左手の斜面にはほぼ水没したコンクリート構造物。ここがそうだったのか。
きっと、池になる前は窪んだ場所に配備された弾薬庫だったのです。水が堰き止められたか湧水地だったのか、長い年月によって池となり、地下でつながっていた斜面側の場所も水で浸かっていったのではないかと。池の説明板にはとくに触れていませんでしたが、そんな気がしてきました。水没した遺構というのは、なぜ神秘的に映るのでしょう。
この先も遺構は続きます。次号はいよいよ大房岬砲台跡のメインである探照灯を散策します。
取材・文・撮影=吉永陽一