事実はひとつだけど、真実は人の数だけある
『列伝』は人気が高かったにもかかわらず、連載期間は3年で終わった。梶原一騎と暴力団の関係が取り沙汰されて、中でも打ち切りに追い込まれた決定的なトラブルは「アントニオ猪木監禁事件」。『列伝』が始まる頃はタイガーマスクをデビューさせる企画が進んでいたので、梶原と新日本プロレスは蜜月にあった。実際、『列伝』は「協力●アントニオ猪木」とクレジットがあり、ロゴマーク付きで毎回猪木のコメントが入った。
ところが猪木の放蕩事業により、梶原への支払いが滞り、関係がこじれて猪木がホテルに監禁された。しかしその後猪木は「梶原一騎という人には会ったこともない」とコメント。これには当時中学生の僕は腰を抜かした。
歳月は流れた。残念ながらプロレスラーが最強ではないことや、プロレスにブック(試合進行)があることも知っている。『列伝』にあった煌めきのエピソードもほとんど噓、もとい梶原一騎の創作だったと知った。
例えば先に紹介したブッチャーの不幸な生い立ちだが、あるときテレビで、死んだはずのブッチャーの実母が出てきた。身を粉にして働く両親を見習ってブッチャーも早くから働いた。ブッチャーがプロレスラーになって稼いだ金でお母さんに新車をプレゼントするなど、関係も良好。どこが一家離散だ。力道山がアントニオ猪木と命名した逸話もまったくの捏造。他にも若き日のハンセンが木に吊るしたタイヤに血が出るまで左腕を打ち込んでラリアットをモノにしたとか、馬場が野球選手を引退したのは風呂場で滑って腕をケガしたからとか、ホーガンがアリを翻弄した猪木に憧れてプロレス入りを決意したとか、カブキが若手時代にシンガポールでカンフー殺法をマスターしたとか(他にも例無限)、激しく作り話。
そもそも梶原一騎は、極真を作った大山倍達の伝記『空手バカ一代』もフィクションに溢れている。大山がアメリカ武者修行時代にテレビの生放送でプロレスラーを半殺しにしたなんて全米から訴えられるだろうに。だけど真に受けた若者が極真会館の門戸を叩き、多くの空手家が輩出されたように、『プロレススーパースター列伝』のおかげで僕を含む無数の生涯プロレスマニアを生んだ。どうせ私を騙すなら、死ぬまで騙してほしかった。
でももちろん怨みはない。むしろ感謝している。虚虚実実はプロレスそのものだし、事実はひとつだけど真実は人の数だけあると教わった。
「プロレスはインチキだから」「マンガを本気にするな」と嗤(わら)う人もいるだろう。だけどQueenの『ボヘミアン・ラプソディ』はどうなんだ。評論家は「史実と違う」と酷評していたのに世界中で大ヒットした。大衆はウソ・大袈裟・まぎらわしいを支持した。プロレスだけじゃない。みんな「面白いほう」が好きなのだ。
編集者時代に、原田久仁信先生の御自宅にお伺いしたことがある。どれだけ『列伝』が好きか、お伝えした。
「先生には夢とロマンを見させて頂きました」
原田先生は温厚な笑みを浮かべた。
「アシスタントに言われたことがありますよ。先生にはすっかり騙されましたって」
「梶原一騎は編集者に暴力を振るっていましたが、原田先生はご無事でしたか?」
原田先生は首を縦に振る。
「僕は可愛がってもらいましたよ」
とても素敵な笑顔だった。ああ、綺羅星のごとく幸福な噓に騙されてきて良かった。
帰りは原田先生が運転する車で駅まで送ってもらった。僕は心の中で囁いた。“おーい、小学生の頃の僕、『プロレススーパースター列伝』の原田先生の車に乗っているよ!”。小学生の僕は、信じてくれただろうか。僕の夢見心地はいまも続いている。
文=樋口毅宏 イラスト=サカモトトシカズ
『散歩の達人』2020年10月号より