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大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた
月刊『散歩の達人』の人気連載「失われた東京を求めて」のバックナンバーを配信。東京に生まれ育ち暮らしてきた"昭和40年代男子"樋口毅宏が綴る、あのとき思い出。

最新記事

『ドラゴンボール』はどうして永遠の名作にならなかったのか
『ドラゴンボール』はどうして永遠の名作にならなかったのか
挑発的なタイトルになりました。でもそうじゃないですか?『ドラゴンボール』を週刊少年ジャンプ連載時、最終回まで読んだ人ってどれぐらいいます? 『ドラゴンボール』は1984年の終わり、週刊少年ジャンプで連載スタートした。作者の鳥山明は前作『Dr.スランプ』で社会現象レベルのヒットを飛ばしていたため、集英社の大きな期待とプレッシャーの中の船出だった。どんな願いも叶えてくれるという7つのドラゴンボールを集めようと、主人公の孫悟空が世界中を冒険する当初のコンセプトは、天下一武道大会で大きく道筋が変わる。悟空が天下一武道大会でピッコロ(息子)に勝った後、ベジータたちとの戦いでこのマンガは最大のピ...

この連載の記事一覧

30年ぶりの大江千里
30年ぶりの大江千里
大江千里が大好きだった。中学生の僕は大江千里のどこに魅かれていたのだろう。あまりに特異なボーカル。「男ユーミン」とも呼ばれるポップでせつないメロディー。大瀧詠一が『A LONG VACATION』『EACH TIME』で、「優しくて、弱さを晒け出せる」新しい男性像を提示し、社会現象を巻き起こしていたが、イラストレーター永井博のジャケットでもわかるように匿名性が高かった。そのすぐ後、当時20代前半の大江千里はメガネをかけた王子として、新しい男性像を具現化してみせた(ちなみに大江千里が1983年にデビューしたときのキャッチコピーは「私の玉子様」。林真理子作)。
僕が東京で目撃した有名人たち
僕が東京で目撃した有名人たち
「特技は何ですか?」と訊かれたら、答えは決まっている。神が与えし唯一の能力、それは「人混みの中から有名人を見つける」こと。大袈裟な書き出しになりましたが、本当にそうなのです。
僕は渡辺美里と結婚したかった――80年代日本ポップミュージック考
僕は渡辺美里と結婚したかった――80年代日本ポップミュージック考
いまの若い人たちは渡辺美里を知っているだろうか。「渡辺」で検索したら予想変換で渡辺麻友、渡辺謙、渡辺美優紀、渡辺喜美、渡辺直美の後にようやく出てきた。よござんす。平成生まれの『散歩の達人』読者(いるかな?)に、渡辺美里を熱く語りましょう。
樋口毅宏の引っ越し人生① 池袋
樋口毅宏の引っ越し人生① 池袋
生まれてから25歳まで過ごした街をどうやって語ろうか。期間が長すぎてかえって難しい。
村上春樹と握手したのは僕です(しかも高田馬場)
村上春樹と握手したのは僕です(しかも高田馬場)
『ノルウェイの森』がミリオンセラーになって社会現象を巻き起こしたのが僕が17歳のとき、1988年だった。前年から赤と緑の装丁の上下巻が書店でやたら目立っていたが、当時から流行っているものに対して斜に構えていた僕はしばらく静観していた。
『タッチ』とは『あしたのジョー』である
『タッチ』とは『あしたのジョー』である
今回は思い出を振り返る感じではなく、ちょっと評論家めいた感じでお送りします。
When I was young, I’d listen to the radio
When I was young, I’d listen to the radio
ラジオの深夜放送を聴き始めるのが思春期の入り口だと思う。ということは僕の思春期は中学生のときに始まったことになる。早くもなく遅くもなく、ちょうどいい感じだ。
桑田佳祐は、日本のポップミュージック史上最大の変態だ
桑田佳祐は、日本のポップミュージック史上最大の変態だ
身もふたもないタイトルになってしまった。とりあえず進めます。お正月に桑田佳祐のボウリング番組を観ていて思ったんですけど、今更ながら、サザン(本稿はこれ以外もいちいち正式名称を出しません。みんなが知ってる固有名詞しか出てこないので)ってデビュー40周年なんですね。覚えてますよ、1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューしたとき、ベストテンの中継をオンタイムで見てました。
昭和最後の夜、平成最初の朝
昭和最後の夜、平成最初の朝
いつも苛立っていた。お気に入りのグリーンのジャケットで通学した。制服のブレザーはとっくに棄てていた。教師は見て見ぬ振りをしていた。俺が校内の成績上位に居座っていたからだった。新井薬師前駅は電車とホームがえらく離れていて、いつか足を踏み外し、グリーンに汚れが付くだろうと思っていた。
異説・長州力
異説・長州力
長州力がプロレスを引退した。67歳だった。もう一度書く。67歳。いくら休み休みとはいえこの年齢まで現役選手をやれるのがプロレスのいいところだと思う。原辰徳vs大谷翔平とか掛布雅之vsマー君といった世代超越の夢カードが実現しちゃうような世界なのである。
久米宏さんのこと【『久米宏 ラジオなんですけど』へのオマージュとして】
久米宏さんのこと【『久米宏 ラジオなんですけど』へのオマージュとして】
2013年、『タモリ論』が売れていた頃、BSの新番組「久米書店」からお呼びがかかった。声が悪くて早口なくせに、ラジオにはほいほい出る僕は、一方でテレビからのオファーには頑なだ。幾つかの人気番組から出演依頼があったが、共演者にまったく興味が湧かなかったため、丁重にお断りしたこともある。しかし久米書店のMCは久米宏さんである。出ない理由が見当たらなかった。久米さんの所属事務所であり、番組制作のオフィス・トゥー・ワンと打ち合わせをした。そこで僕は、子供の頃から久米さんのことが大好きなんです。影響を受けまくっていますと、一方的に熱くまくしたてた。〈『タモリ論』にも書きましたが、久米さんとタモリさんには...
【水島新司引退に寄せて】野球の素晴らしさを教えてくれた最大の恩人は水島新司先生です
【水島新司引退に寄せて】野球の素晴らしさを教えてくれた最大の恩人は水島新司先生です
あれは僕が中学生の頃。TBSの朝の帯番組はNHKから独立したばかりの草野仁さんが司会をしていた。その番組では毎朝8時過ぎ、月から金まで同じゲストに来てもらい、生放送で10分ほど喋ってもらうコーナーがあった。いま考えると、いや当時から無茶な企画だった。そのコーナーに手塚治虫が出演したことがあった。おなじみのベレー帽。はみ出た後れ毛。メガネの奥の充血した目。アホで観察眼のまるきりない僕から見ても、手塚が毎朝完徹でスタジオ入りしているのはわかった。その中でこんなやり取りがあった。草野さんが質問をした。「手塚先生は描いてないマンガのジャンルはあるのですか?」手塚は一瞬言い澱んでからこう答えた。「まあ…...
あなたの「昭和40年代男子」チェック~特別企画 『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』発売記念~
あなたの「昭和40年代男子」チェック~特別企画 『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』発売記念~
雑誌『散歩の達人』の連載「失われた東京を求めて」のバックナンバーを「さんたつ」でも配信していくことになりました。今回は、2020年4月号、連載をまとめた単行本『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』が発売された当時のものです。どうぞお楽しみください!
瀬古賛歌~なぜ瀬古利彦以上に有名なマラソンランナーは現れないのか?
瀬古賛歌~なぜ瀬古利彦以上に有名なマラソンランナーは現れないのか?
今の若い人はスポーツ新聞を買うことなどないだろう。うちは一般紙の他にスポーツ新聞も購読していた。僕が子どもの頃、中京や関西地区だとまた違うだろうけど、スポーツ新聞の一面は決まってジャイアンツ。大人の時候の挨拶は天気か野球だった。ほんとに。巨人の監督が変わるときは総理大臣が変わることと同じぐらい重要とされる時代だった。当時の日本の一般成人男性のマジョリティは「既婚・喫煙者・巨人ファン」だったのではないか。ときは流れて現代ではマイノリティーになった。つくづく価値観とか「当たり前」とか「フツー」とかって、変わっていくものだと思う。子どもだった僕が記憶する、巨人以外のスポーツ新聞の一面はふたつしかない...
長渕剛をちゃんと語ろう~気さくなアンちゃんはどうしてあんなコワモテになったのか~
長渕剛をちゃんと語ろう~気さくなアンちゃんはどうしてあんなコワモテになったのか~
いったいどこから語りましょう。活動歴は40年以上、いまだ第一線でヒット曲多数、キャラ的にもぶっ飛びすぎたこの偉大なミュージシャンを客観的に、かつ正しく評価するのは正直難しい。まずは「順子」かなあ。生放送のザ・ベストテンで「順子」を歌い出すも手拍子する客を制していちから歌い直したのが僕の長渕初遭遇だった。あれが1980年かな。長渕は「巡恋歌」「順子」と「乾杯」ですぐに売れたけど、その後数年の低迷期があり、フォークからロックへと徐々に転向し、歌い方も変わった。当時もっとも革命的なギャグ漫画『コージ苑』で、登場人物に「あんなの忌野清志郎のマネじゃねーか」と描いてあったことを覚えている。歌手と俳優業は...
ハウンドドッグを笑う奴は誰だ
ハウンドドッグを笑う奴は誰だ
あれは高1のときだった。頭の悪い学校に通い、担任の小井戸がいる社会科の教員室に呼ばれた。小井戸は朝日新聞を読んでいた。番組表の横にハウンドドッグのライブの広告がデカデカと載っていた。そこにはこんなキャッチコピーがあった。“ハウンドドッグ日本武道館10DAYS”その下には長いセリフキャッチ。“武道館10daysオレはかりたてられる武道館10daysあきらめない大友康平“小井戸の前ではおくびにも出さなかったが、軽く面食らった。だってロックミュージシャンの夢である武道館を10日間もやるっていうんですよ? しかもこの後1日追加され、その日はファンに無料で開放したと知ってグッときた。小井戸が何を話したか...
2022年に食べたいカレー100皿はこれだ! 樋口毅宏のカレー王決定戦
2022年に食べたいカレー100皿はこれだ! 樋口毅宏のカレー王決定戦
「カレーは夏」と思っていませんか?「暑いときに辛いものを食べて汗をかく」。正解だ。でも正しい答えはひとつじゃない。「冬もカレー」なの!「あの有名店が入ってないけど?」と指摘する方もいるでしょう。はいはい、行ってますよ食べてますよ。でも自分チから近いって大事。
幸福な嘘八百(フィクション)――梶原一騎・原田久仁信の傑作『プロレススーパースター列伝』
幸福な嘘八百(フィクション)――梶原一騎・原田久仁信の傑作『プロレススーパースター列伝』
梶原一騎が太く短い生涯を終えて今年(2020年)で33年になる。梶原が遺した代表作――。『巨人の星』、『タイガーマスク』、『あしたのジョー』は、いまなお現在進行形の輝きを放っている。他にも傑作が星座のようにある中、僕のような昭和40〜50年代生まれの世代にもっとも影響を与えたのは、『プロレススーパースター列伝』(以下、『列伝』)ではないだろうか。テレビのゴールデンタイムにプロレスが放送されている時代に、本作は週刊少年サンデーで連載されていた。どんなレスラーが登場したか、少年サンデーコミックスで挙げていく。1巻 地獄突きがいく!ザ・ブッチャー ①〜⑨2巻 ブッチャー ⑩〜⑫、首折り魔!スタン・ハ...
1986年、名盤『J. BOY』誕生~浜田省吾はどうしてあんなに怒っていたのか~
1986年、名盤『J. BOY』誕生~浜田省吾はどうしてあんなに怒っていたのか~
1986年――。それは日本のミュージシャンのアルバム当たり年だった。3月、BOØWYの『JUST A HERO』。4月、山下達郎の『POCKET MUSIC』。6月、松田聖子自身最大のセールスを記録する『SUPREME』。7月、渡辺美里が大ブレイクする2枚組『Lovin’ you』と、KUWATA BAND唯一のオリジナルアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』。10月、バービーボーイズの『3rd BREAK』。11月、大江千里の『AVEC』と、BOØWYの『BEAT EMOTION』。12月、オフコースに在籍しながら小田和正のファーストソロアルバム『K.ODA』と、佐野...
極私的No. 1ギャグ漫画『すすめ!! パイレーツ』とは何だったのか
極私的No. 1ギャグ漫画『すすめ!! パイレーツ』とは何だったのか
「あなたのナンバーワンギャグ漫画は何ですか?」と訊かれたら、答えは決まっている。江口寿史の『すすめ!! パイレーツ』(以下、『パイレーツ』)だ。『パイレーツ』は1977〜80年に週刊少年ジャンプで連載していた江口寿史のデビュー作。江口先生が中3のとき引っ越した千葉県を舞台に、架空のハチャメチャプロ野球チーム「千葉パイレーツ」を描いた作品。江口先生はこのとき弱冠21歳。集英社の執筆室(カンヅメ部屋)の主となり、1年で18キロも体重が増えたという。この時代のジャンプは、日本の3大新聞を凌駕する部数に迫っていた。当時の連載陣は、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『東大一直線』、『サーキットの狼』、『...
子どもの頃うっかりテレビで観た映画で人生が決定する
子どもの頃うっかりテレビで観た映画で人生が決定する
うちには今4歳児がいて、暇さえあれば自分専用のノーパソを開いて、YouTubeばかり観ている。ロシアや韓国あるいは中東発の、言葉を必要としないコメディや、スーパーマリオやパックマンのパロディなど、他愛もない動画を無邪気に視聴している。うちの子だけではないようで、それら動画のチャンネル登録数はどれも10万を軽く超えている。 4歳児はテレビをあまり観ない。ママ友と話をすると、どこの家庭も似たようなものらしい。以前ネットで読んだ記事を思い出す。僕が子どもだった頃、つまり40年ほど前は、「いい子にしてないとテレビを見せないよ!」と言われた。この脅し文句は大変効果があった。そして現代は、「いい...
1980年、私が子供だった頃。池袋駅から歩いて5分の、精肉店の家に生まれた子供の一日
1980年、私が子供だった頃。池袋駅から歩いて5分の、精肉店の家に生まれた子供の一日
郵便番号171、東京都豊島区南池袋2-9-4にお住まいのひぐちたけひろくん(9)はお寝坊さんだ。雑司谷小学校は家から歩いて約10分、墓場を抜けて緩やかな坂道の先にある。登校時間は朝の8時半までだが、たいてい8時過ぎまで寝ている。早起きが大の苦手だ。「たけひろー8時20分だよー!」1階から母親・都志子が叫ぶ。先ほどから何度も呼んでいるが、聞こえないふりをしている。しかしいよいよ待ったなしの気配を感じ取り、布団から跳び起きた。後の行動は速い。黒のランドセルを手に1階へと駆け下りると、テーブルには新聞を読みながら、タバコとコーヒーを嗜む父親・正憲が座っていた。「おはよう」たけひろは返す。「ございます...
1985~86年、私が子供だった頃。家業に明け暮れた年末年始。
1985~86年、私が子供だった頃。家業に明け暮れた年末年始。
阪神タイガースが日本一になった年の12月、父が倒れた。ある朝、布団から出られず、「水が飲みたい」と言うので、14歳の樋口毅宏くんがコップを持って行ったところ、父親の顔半分が曲がっていた。口に含んだはずの水が歪んだ唇の端から零れた。毅宏の中で父親の威厳が崩壊した瞬間だった。父親は関係各所の忘年会に漏れなく出席して朝まで痛飲し、ほとんど寝ないで自らが経営する肉屋「肉のひぐち」で働き続けたため、体がギブアップしてしまった。セブンスターの量も多かった。44歳の体を過信したツケが来たのだ。近所に住む父方の祖母が自宅に駆けつけ、「病院で診てくれ」と懇願した。医者嫌いの父親は「たいひたことないから」と返すの...
尾崎豊が死んだ日~永遠に歳を取ることをやめてしまったロックスター~
尾崎豊が死んだ日~永遠に歳を取ることをやめてしまったロックスター~
※おことわり。尾崎豊の歌詞から引用は一切ありません。「盗んだバイク」も「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」もなし。「尾崎豊からの卒業」といったありがちな結論にも導かれません。あしからず。 僕は決して尾崎豊の良い聴き手ではなかった。だから彼のライブを一回も観たことがないし、26歳で急逝する前から彼のアルバムも聴かなくなっていた。校内暴力が吹き荒れていた時代の終わりに尾崎はデビューした。いつのまにか現れて、あっという間に売れた。僕が中学生だった頃だったか、ユーミンのラジオ番組だったと思うけど(違っていたらごめんなさい)、「卒業ソングといえば?」のリスナーによるランキングで、尾崎豊の「卒業」...
中高生の頃、死ぬほど聴いていたアルバムを聴き直してみました
中高生の頃、死ぬほど聴いていたアルバムを聴き直してみました
最近(注:2018年)はヒップホップばかり聴いている。そして反動なのか、10代の頃に聴いていたアルバムを引っ張り出している。懐かしかったり、あまりの音の古さに驚愕したり、よくこんな文学的とはほど遠い、幼稚な歌詞の歌を聴いていたなとしみじみしたり。中島みゆきや泉谷しげるも入れようかと思ったのですが、このふたりに限って30年間ご無沙汰ということはありえませんでした。というわけで、我ながら恥ずかしい企画だなと思いますが、いってみますか。
町の良心~こういう店の常連でありたい~
町の良心~こういう店の常連でありたい~
東京に戻ってきて1年が経ちました。今回は僕がおすすめする東京のお店をご紹介します。*『散歩の達人』2019年1月号より。お店やメニューの情報は掲載時のものです。 ①ほていや (三軒茶屋)東京の何がいいかってお蕎麦が美味しいことです。町に長年根付いたお蕎麦屋さんはどこも安定の美味さでホッとします。そんな中でもいちばん好きなお蕎麦屋はこちら、ほていやさん。結婚する前、三宿に3年間住んで、いちばん足を運んだお店。料理が美味しいだけでなく、お店の雰囲気がとても良いのです。卑屈ではない愛想の良さ。ご家族のみなさんがあまりに優しいので、「ひょっとして宗教に勧誘されるのでは」と勘ぐってしまったほど...
『ドラゴンボール』はどうして永遠の名作にならなかったのか
『ドラゴンボール』はどうして永遠の名作にならなかったのか
挑発的なタイトルになりました。でもそうじゃないですか?『ドラゴンボール』を週刊少年ジャンプ連載時、最終回まで読んだ人ってどれぐらいいます? 『ドラゴンボール』は1984年の終わり、週刊少年ジャンプで連載スタートした。作者の鳥山明は前作『Dr.スランプ』で社会現象レベルのヒットを飛ばしていたため、集英社の大きな期待とプレッシャーの中の船出だった。どんな願いも叶えてくれるという7つのドラゴンボールを集めようと、主人公の孫悟空が世界中を冒険する当初のコンセプトは、天下一武道大会で大きく道筋が変わる。悟空が天下一武道大会でピッコロ(息子)に勝った後、ベジータたちとの戦いでこのマンガは最大のピ...
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