樋口毅宏(達人)の記事一覧

『ドラゴンボール』はどうして永遠の名作にならなかったのか
『ドラゴンボール』はどうして永遠の名作にならなかったのか
挑発的なタイトルになりました。でもそうじゃないですか?『ドラゴンボール』を週刊少年ジャンプ連載時、最終回まで読んだ人ってどれぐらいいます? 『ドラゴンボール』は1984年の終わり、週刊少年ジャンプで連載スタートした。作者の鳥山明は前作『Dr.スランプ』で社会現象レベルのヒットを飛ばしていたため、集英社の大きな期待とプレッシャーの中の船出だった。どんな願いも叶えてくれるという7つのドラゴンボールを集めようと、主人公の孫悟空が世界中を冒険する当初のコンセプトは、天下一武道大会で大きく道筋が変わる。悟空が天下一武道大会でピッコロ(息子)に勝った後、ベジータたちとの戦いでこのマンガは最大のピ...
引っ越し人生70年、吉祥寺に戻った四方田犬彦。ここは終の住処になるか
引っ越し人生70年、吉祥寺に戻った四方田犬彦。ここは終の住処になるか
かつての本誌の名物連載「四方田犬彦の引っ越し人生」の四方田犬彦さんが、青春を過ごした吉祥寺に戻ってきた。今と昔の吉祥寺と普段の生活は、どんなものか。お話を伺うのは、現在の『散歩の達人』名物連載「失われた東京を求めて」の樋口毅宏さんだ!
町の良心~こういう店の常連でありたい~
町の良心~こういう店の常連でありたい~
東京に戻ってきて1年が経ちました。今回は僕がおすすめする東京のお店をご紹介します。*『散歩の達人』2019年1月号より。お店やメニューの情報は掲載時のものです。 ①ほていや (三軒茶屋)東京の何がいいかってお蕎麦が美味しいことです。町に長年根付いたお蕎麦屋さんはどこも安定の美味さでホッとします。そんな中でもいちばん好きなお蕎麦屋はこちら、ほていやさん。結婚する前、三宿に3年間住んで、いちばん足を運んだお店。料理が美味しいだけでなく、お店の雰囲気がとても良いのです。卑屈ではない愛想の良さ。ご家族のみなさんがあまりに優しいので、「ひょっとして宗教に勧誘されるのでは」と勘ぐってしまったほど...
中高生の頃、死ぬほど聴いていたアルバムを聴き直してみました
中高生の頃、死ぬほど聴いていたアルバムを聴き直してみました
最近(注:2018年)はヒップホップばかり聴いている。そして反動なのか、10代の頃に聴いていたアルバムを引っ張り出している。懐かしかったり、あまりの音の古さに驚愕したり、よくこんな文学的とはほど遠い、幼稚な歌詞の歌を聴いていたなとしみじみしたり。中島みゆきや泉谷しげるも入れようかと思ったのですが、このふたりに限って30年間ご無沙汰ということはありえませんでした。というわけで、我ながら恥ずかしい企画だなと思いますが、いってみますか。
尾崎豊が死んだ日~永遠に歳を取ることをやめてしまったロックスター~
尾崎豊が死んだ日~永遠に歳を取ることをやめてしまったロックスター~
※おことわり。尾崎豊の歌詞から引用は一切ありません。「盗んだバイク」も「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」もなし。「尾崎豊からの卒業」といったありがちな結論にも導かれません。あしからず。 僕は決して尾崎豊の良い聴き手ではなかった。だから彼のライブを一回も観たことがないし、26歳で急逝する前から彼のアルバムも聴かなくなっていた。校内暴力が吹き荒れていた時代の終わりに尾崎はデビューした。いつのまにか現れて、あっという間に売れた。僕が中学生だった頃だったか、ユーミンのラジオ番組だったと思うけど(違っていたらごめんなさい)、「卒業ソングといえば?」のリスナーによるランキングで、尾崎豊の「卒業」...
1985~86年、私が子供だった頃。家業に明け暮れた年末年始。
1985~86年、私が子供だった頃。家業に明け暮れた年末年始。
阪神タイガースが日本一になった年の12月、父が倒れた。ある朝、布団から出られず、「水が飲みたい」と言うので、14歳の樋口毅宏くんがコップを持って行ったところ、父親の顔半分が曲がっていた。口に含んだはずの水が歪んだ唇の端から零れた。毅宏の中で父親の威厳が崩壊した瞬間だった。父親は関係各所の忘年会に漏れなく出席して朝まで痛飲し、ほとんど寝ないで自らが経営する肉屋「肉のひぐち」で働き続けたため、体がギブアップしてしまった。セブンスターの量も多かった。44歳の体を過信したツケが来たのだ。近所に住む父方の祖母が自宅に駆けつけ、「病院で診てくれ」と懇願した。医者嫌いの父親は「たいひたことないから」と返すの...
1980年、私が子供だった頃。池袋駅から歩いて5分の、精肉店の家に生まれた子供の一日
1980年、私が子供だった頃。池袋駅から歩いて5分の、精肉店の家に生まれた子供の一日
郵便番号171、東京都豊島区南池袋2-9-4にお住まいのひぐちたけひろくん(9)はお寝坊さんだ。雑司谷小学校は家から歩いて約10分、墓場を抜けて緩やかな坂道の先にある。登校時間は朝の8時半までだが、たいてい8時過ぎまで寝ている。早起きが大の苦手だ。「たけひろー8時20分だよー!」1階から母親・都志子が叫ぶ。先ほどから何度も呼んでいるが、聞こえないふりをしている。しかしいよいよ待ったなしの気配を感じ取り、布団から跳び起きた。後の行動は速い。黒のランドセルを手に1階へと駆け下りると、テーブルには新聞を読みながら、タバコとコーヒーを嗜む父親・正憲が座っていた。「おはよう」たけひろは返す。「ございます...
子どもの頃うっかりテレビで観た映画で人生が決定する
子どもの頃うっかりテレビで観た映画で人生が決定する
うちには今4歳児がいて、暇さえあれば自分専用のノーパソを開いて、YouTubeばかり観ている。ロシアや韓国あるいは中東発の、言葉を必要としないコメディや、スーパーマリオやパックマンのパロディなど、他愛もない動画を無邪気に視聴している。うちの子だけではないようで、それら動画のチャンネル登録数はどれも10万を軽く超えている。 4歳児はテレビをあまり観ない。ママ友と話をすると、どこの家庭も似たようなものらしい。以前ネットで読んだ記事を思い出す。僕が子どもだった頃、つまり40年ほど前は、「いい子にしてないとテレビを見せないよ!」と言われた。この脅し文句は大変効果があった。そして現代は、「いい...
極私的No. 1ギャグ漫画『すすめ!! パイレーツ』とは何だったのか
極私的No. 1ギャグ漫画『すすめ!! パイレーツ』とは何だったのか
「あなたのナンバーワンギャグ漫画は何ですか?」と訊かれたら、答えは決まっている。江口寿史の『すすめ!! パイレーツ』(以下、『パイレーツ』)だ。『パイレーツ』は1977〜80年に週刊少年ジャンプで連載していた江口寿史のデビュー作。江口先生が中3のとき引っ越した千葉県を舞台に、架空のハチャメチャプロ野球チーム「千葉パイレーツ」を描いた作品。江口先生はこのとき弱冠21歳。集英社の執筆室(カンヅメ部屋)の主となり、1年で18キロも体重が増えたという。この時代のジャンプは、日本の3大新聞を凌駕する部数に迫っていた。当時の連載陣は、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『東大一直線』、『サーキットの狼』、『...
1986年、名盤『J. BOY』誕生~浜田省吾はどうしてあんなに怒っていたのか~
1986年、名盤『J. BOY』誕生~浜田省吾はどうしてあんなに怒っていたのか~
1986年――。それは日本のミュージシャンのアルバム当たり年だった。3月、BOØWYの『JUST A HERO』。4月、山下達郎の『POCKET MUSIC』。6月、松田聖子自身最大のセールスを記録する『SUPREME』。7月、渡辺美里が大ブレイクする2枚組『Lovin’ you』と、KUWATA BAND唯一のオリジナルアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』。10月、バービーボーイズの『3rd BREAK』。11月、大江千里の『AVEC』と、BOØWYの『BEAT EMOTION』。12月、オフコースに在籍しながら小田和正のファーストソロアルバム『K.ODA』と、佐野...
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