促音「っ」と語尾「わ」が絶妙の効果に
筆者 : 「うっせぇわ」は、「うるさい」という元のことばを、リズミカルに変化させたおもしろい表現だと思います。
小野先生 : 「うるさい」→「うるせえ」→「うっせえ」と変化し、最後に「わ」が付いて「うっせぇわ」になっています。
「うるせえ」は、関東のなまり方です。 「あ」「い」の母音が連続すると「え」に変化することがよくあります。「書いた」→「けえた」、「鯛(たい)」→「てえ」といった具合です。
筆者 : 「うるさい」より「うるせえ」のほうが、砕けた言い方というか、少し乱暴な印象を受けます。
小野先生 : 「うるさい」→「うるせえ」のようなことは珍しくないのですが、「うるさい」から「うっせえ」への変化は非常に稀です。
筆者 : そうなんですか!? 「ださい」→「だっさい」、「思い切り」→「思いっ切り」というような言い方はよくみられるように思います。
小野先生 : 「だっさい」「思いっ切り」は元のことばに、「っ」という促音が加わった変化です。促音は一回発音に「タメ」をつくるので、物事を強調する効果があります。
しかし、「うっせえ」は「うるせえ」という原型を留めていないことに注目してください。促音を足すのではなく、「る」が「っ」に変わっているでしょう? 「花を売る人」→「花を売っ人」のような言い方は、ふつうしませんよね(九州方言など一部には見られる)。
筆者 : あのイライラして、荒れてまくっているような感じの裏には、元のことばをふつうありえない形で“破壊”したことによる、違和感のようなものがあると!
小野先生 : そうですね。何か物を叩いたり、投げつけてぶっ壊しているようなイメージを「うっせぇ」から感じます。
筆者 : なるほど〜。ことばの奥は深い…。
もうひとつのポイントは、最後に付いている「わ」ですよね。
小野先生 : この場合の「わ」は、いわゆる女性言葉としての「わ」でありません。
「もうやめとくわ」のような、「相手に対しては、ややつきはなした尊大な物言い(『日本国語大辞典』第二版)」のほうです。
「うっせぇわ」は、相手とのコミュニケーションを打ち切りにする、といったニュアンスが生じます。「ほっとけ」のようなイメージですね。
筆者 : 「うっせえ」だけだと自分の気持ちを述べているだけ。「うっせえぞ」や「うっせえよ」は、静かにしてくれ、と相手に訴えかけていますが、突き放した感じはないですね。
「うっせぇわ」と言われると、取り付く島もないような、激しい感情が伝わってきます。
「うるさい」はずば抜けて優秀な人を表現することば!?
筆者 : ところで、本来の「うるさい」はどういう意味のことばでしょうか? 単に音や声が大きくてやかましい、ということではないニュアンスがありますよね。
小野先生 : 「うるさい」自体もおもしろいことばです。
元になった「うるさし」は、「こちらが嫌になるほど相手が優れている」ことを指していました。平安時代の『宇津保物語』には「うるさき人の幸ひなりや」という表現がありますが、これは「度を超して優れている人にもたらされた幸運である」という意味です。
筆者 : あら? 全然意味が違いますね。
小野先生 : そこから、何事にも度を越した様子を言い、さらに嫌悪の気持ちのほうが面に出てきました。現代のような「話がうるさい」「わずらわしい」という意味での使い方は、室町時代ごろからみられます。
筆者 : ことばの持つ多様な意味が抜け落ちて、一部が現在まで残るパターンですね。本連載でも、いくつか教わりました。
小野先生 : 「やかましい」は、音量的な側面を指すことばですが、「うるさい」は心理的な負担を表しています。「こちらが嫌になるほど、相手が優れている」という原義の名残ですね。
筆者 : 歌詞では「うっせぇわ」の後に、「あなたが思うより健康です」と敬語で語られています。上司や先輩でしょうか、立場が上の人に向けられた「うっせぇわ」だとわかります。
平安時代の「うるさし」も、ずば抜けて優れた人を、下から見上げることばですよね。そういう意味でも、ことばの意味や表現の効果を、上手につかっている楽曲なのだと感じます。
取材・文=小越建典(ソルバ!)