小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「師走」の語源説は本当!?

筆者 : 「師走」は「先生(師)も走るほど忙しい」という意味だと言われますね。

小野先生 : はい、一般的にはその説が広がっていますね。しかし、「師走」は単なる当て字。「師」とはお坊さんのことを指していますが、「師も走る」語源説は、どうやら後付けの説です。

筆者 : えっ、そうなんですか?

小野先生 : 「師走」は奈良時代、万葉集がつくられたころからある言葉で、江戸時代くらいまでは、「師馳(しはす)」と書いていました。
「馳」は今でも「馳(は)せる」というように、走ると似たような意味ですね。「はす」は日本にもともとあった「和語」です。しかし、「師」は中国から来た外来語で、「し」はその音読みです。
外来語の音読みと、和語の訓読みがひとつの単語に入っています。今流に言えば「ティーチャー走り」といった構造になっています。ありえないことではないですが、不自然ですよね。

筆者 : なるほど〜。では、本当の語源は何なのですか?

小野先生 : それが、はっきりとはわかっていないのです。「としはつ=年果」「せはし=忙」などさまざまな説がありますが、どれも決定的ではありません。

筆者 : 忘年会トークのネタになりそうです(笑)。

「年の瀬」は年末を指す風流な表現

小野先生 : 年の瀬は、江戸時代ごろから使われた比較的新しい言葉です。「瀬」は、水の流れを表す言葉で、流れが急なところを指します。反対に流れの緩やかなところは「淵」。
古今集に「世の中はなにか常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬となる」という歌があります。
「年の瀬」は、ときの流れを川の流れに見立て、年末に向けて時が速く過ぎていく実感を述べています。比喩的で、風流な言い方なんです。

筆者 : どうやら、差し迫った慌ただしさのようなものは、昔から感じていたようですね。
現代でも出版業界の12月は「年末進行」と言われ、大変忙しい月です。印刷所が長い休みに入るので、その前に原稿を仕上げなければならないので……。

小野先生 : 「師走」「年の瀬」にも、仕事が忙しい、というような実際的な意味はあるでしょう。
加えて、どちらも心の慌ただしさを表現しているように思います。昔は年末にツケや借金を返して、心身を改めて新年を迎えるのが通例でした。

筆者 : 返済が近づいてもお金がなければ、精神的に焦ってきますね。

小野先生 : まさに「急流」です。
ちなみに、地方では、その習慣があとあとまで残っていました。私も子供の頃、年末の夕方、月明かりのなか、ひとりで借りたお金を返しに行かされたことがあります。思えば、それが初めてのお使いでした。

筆者 : 切ない思い出……。

小野先生 : また、一般的には戦前まで(地方では戦後も)、誕生日ではなく元日に1歳年をとる数え年がふつうでした。「おれももうすぐ40歳かぁ……」「あと半月で20代が終わってしまう!」と、直前の12月は余計に慌ただしい気持ちになったでしょう。

筆者 : お正月に抱負を述べるような習慣は、いろいろなことが新年に改まるという考え方を、反映しているのですね。昔の日本人にとって年を越すことは、現代よりずっと大きなイベントだったと、「師走」「年の瀬」のことばを掘り下げてみてよくわかりました。

取材・文=小越建典(ソルバ!)