座談会メンバー紹介
笈入(おいり) 建志 ……1970年生まれ
大学卒業後、大手書店へ就職。2000年に転職し、千駄木にある『往来堂書店』の2代目店長になる。18年より、曰く「なりゆきで」社長になり、現場以外の仕事にも奮闘する日々。人の往来が途切れない、活気ある街の本屋さん復活を目指し、それをじわじわと叶えている。
ヤマダ トモコ ……1967年生まれ
マンガ研究者・マンガライター・マンガ展キュレーター。マンガとサブカルチャーをテーマにした『明治大学米沢嘉博記念図書館』のスタッフとして、展示やイベントを担当する。マンガを描く、編集する以外のマンガ関係の仕事を展開。自称、「マンガ界の隙間家具的存在」。
荻原 魚雷 ……1969年生まれ
文筆家。『古書古書話』、『古本暮らし』といった著書から連想できるように、メインテーマは古本。最近は、これに街道や古道歩きが加わり、紙媒体とWebの両方にエッセーや書評などを執筆する。『毎日新聞』にラジオ番組についての連載開始。
松井一恵 ……1964年生まれ
ライター。
武田憲人 ……1964年生まれ
本誌編集Web「さんたつ」編集長。
門馬央典 ……1964年生まれ
フォトグラファー。
松井 : 最近の出版された本から、気になるものはありましたか。
笈入 : のっけから暗い話で申し訳ないですが、9月末に出た桐野夏生の『日没』を、ぜひ。主人公が小説家で、政府組織の「文化文芸倫理向上委員会」から呼び出しがあって、行ってみたらそこは収容所みたいなところで……。
一同 : わ、怖いっ。
笈入 : 小説家は、「良識に照らして恥ずかしくない本を書け」と言われる。表現と思想の自由を持って反抗するけど、反抗しきれないディテールが書かれています。いわゆる良識や常識以外を認めない空気に絡め取られてしまう様が、現世と地続きですね。一気に読めちゃう。今、読むべき本です。
ヤマダ : その内容につながる本があります。今日は別の作品を持ってきましたが、とり・みきの『DAI-HONYA』。本が統制されてしまい、手に入れるために躍起になる物語です。
荻原 : 僕は、昨年亡くなった橋本治の本から『そして、みんなバカになった』を。『考える人』など雑誌のインタビューをまとめた本ですが、滝沢馬琴や葛飾北斎といった、50歳ごろから活躍している人について出てくるんです。橋本治は50歳を意識していて、「やっと50歳になれた。これから好きなことができる」と書いている。僕は50歳になったばかりですが、肉体的にガタがきたりいろいろで、後ろ向きな気分になるのに、50歳を喜んでいて、読みながらうれしくなりました(にこにこ)。
ヤマダ : 江戸時代の人って、50歳ごろから元気になる人も多いんですね。きっと、仕事の責任を次の世代に早々と託して、自分は隠居して好きなことをする制度がいいのでしょうね。
笈入 : (ため息)ああ、隠居なんてほど遠い。真逆ですが、若い時にたくさん働いて早期退職する「アーリーリタイヤ」を目指している人もいますよね。
荻原 : 出版の世界は、ずっと同じ人がスライドしてて、高齢化しています。昔は、ある程度会社にいたら独立して編プロを作ったり、次世代に仕事を渡して、世代交代していたんですが。
ヤマダ : 現在と老後の生活の不安が拭えないから。自分のことは自分で面倒をみないとだめで、ポジションを後輩に譲れない。皆ゆとりがなく、切羽詰まっているのはなぜでしょう。
一同 : (無言に)
ヤマダ : 橋本治といえば、少女マンガの評論で有名な『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を思い出します。
荻原 : 大きな時代の中で現代を見ている。現代を橋本さんがどう把握しているか、参考にしていました。
笈入 : スケールが大きくて、何を書いているかわからない本もありました。
ヤマダ : でも、改めて何年後かに読むと、こことここのつながりって、これだった! と、わかることもある。
古い本から紹介しちゃいましたが、最近読んだおすすめは、カレー沢薫の『きみにかわれるまえに』。「きみ」ってペットのことで、ペットと人間との交差、例えばお別れするときのこと、身内が死んじゃって飼い犬を引き取るなどいろんなお話が描かれてます。動物との暮らしのほんわかしている部分だけでない、カレー沢薫特有の鋭さがあります。
さっき『往来堂書店』で、わたなべぽんの『さらに、やめてみた。』を目にして、こっちも紹介したかったー!
荻原 : 書店に行くと目移りしますよね。僕も棚見て、『危うく一生懸命生きるところだった』が目に付いて。韓国の翻訳本ですが、肩の力を抜いて、アクセクせず生きようという感覚が書かれていて、韓国ではベストセラー。ニュースでは伝わらない隣国の変化が感じ取れたこともよかったな。
笈入 : 世の中進歩しているのに楽にならないのはなぜか? 江戸時代のように50歳で隠居できないのはなぜか? この問いに答えてくれる本が最近出たんです!
一同 : お〜!
「人生の時間の限界にようやく気付いた」
笈入 : 『ブルシット・ジョブ ― クソどうでもいい仕事の理論』。なかなか複雑な話で、50歳が読むと複雑な心境になるかもしれない内容です。
ヤマダ : 分厚いですね。
笈入 : 読んで、黒澤明の映画『生きる』を思い出しました。死ぬ前に何をするか? 僕もやっと残りの時間が限られているなと思うようになったんです。これから先にできることと、できそうもないことを考えています。今までは頑張れば何でもできると信じて疑わずにきたけれど、時間も体力もなくなったなあと実感している。
一同 : (真剣に、うなずく)
笈入 : だったら、やりたくもない仕事に時間を使っている場合じゃない。大著ですが、気付くきっかけになります。
荻原 : 仕事も人付き合いも、どこかで不義理をしないと。自分の時間を作るためには、やらないことを決めないとだめ。生活が困窮しないように切る、そのさじ加減が大事なんです。
ヤマダ : 断捨離にも通じますね。できることには限りがあって、だからわたなべぽんの〝やめてみたシリーズ〞が求められて、ヒットするのかもしれません。
「ひとり時間を楽しむ発想の転換が大切」
ヤマダ : 田中圭一の『うつヌケ』を紹介させてください。ギャクマンガの人ですが、鬱になって、その体験から、鬱のトンネルを抜けた人に取材して、「鬱って抜けられる時がくる」という事例を描いてます。コロナで鬱々とした人が増えているように思います。
笈入 : コロナ以降、売れる本も変わっています。おこもりしている人が増えていて、料理本や刺繍本が売れています。手仕事って、集中して無になれて、瞑想(めいそう)の効果があるのでしょう。
ヤマダ : ですね。今日は思いがけずできた時間を楽しく過ごすヒントになる本を選んできました。高野文子の『るきさん』は、おうちで仕事をしておこもり生活しているおひとり様の話で、楽しそう。『てぬのほそみち』は、手抜きできる料理や手芸を紹介しています。
荻原 : 時間の使い方、変わりましたね。今、街道を歩いていますが、バスで20分のところを、半日かけて歩いたり。
笈入 : 普段は忙しくぎっしりの予定に追われますが、我を忘れて何かに没頭する時間っていいですね。本も没頭できますが、半分仕事みたいなところもあって。自由時間と仕事の切れ目がないのは危険ですね。家で仕事をする人が増えると、危険は高まる。
ヤマダ : そんな時は、『遠くへいきたい』がいいです。再び、とり・みき。正方形のページに9コママンガで、すっと読めます。なんとなく違う世界に飛んで、すーっと戻って来れる。発想の転換ができて、小さいことにあまりとらわれなくていいんじゃないって気付かされます。
荻原 : 遠くではないですが、佐藤徹也の『東京発 半日徒歩旅行』が好きです。目的地へ向かう道にひとひねりあって、川べりや旧街道など、行程を楽しめる。軽装で家から2〜3時間で往復できる徒歩旅行って、おもしろい。
武田 : 佐藤さんは前から仕事で知ってますが、ハードな登山や、スペインのサンティアゴ巡礼も経験しているんです。
ヤマダ : きっと豊富な経験が半日徒歩に役立っていて、経験を持ってゆるゆるしているのが、いいのかも。
一同 : (歩いた後、あちこち痛くなる話でしばし盛り上がる)
荻原 : 街道を歩くきっかけになったのは、『新・東海道五十三次』です。武田泰淳が妻の百合子さんと東海道周辺を車で旅していて、僕が生まれた頃の話。日本の風景が変わる境目、50年前の日本を味わえます。
笈入 : 読もうと思ったのはなぜで?
荻原 : 父が4年前に亡くなって、事後処理で郷里の三重県との往復に疲れて嫌になった時、「往復」に関係する本を読もうと。
笈入 : なるほど。いいですね。
荻原 : 二人は東海道から脱線して渥美半島へ行ったりして、真面目に順番に進まなくてもデタラメでいいんだと、三重から東京へ戻る際、中山道を歩いたり、宿場町で泊まったり。楽しみができたんです。それまで古本屋がない街に行ったことがなかったのに。これまで読んだ本も、街道や宿場町の視点で読み直すのも興味深いです。
笈入 : 僕は店と家を車で往復する日々です。
荻原 : 往来堂ですからね!
笈入 : いや往来は、本当はいたるところにあるはずです。
武田 : すべてはオーライ! と(笑)。
ヤマダ : 私はインドア派で歩かなくて。でも、すごい方向音痴で迷子になるから、それが散歩になる。いつか大人になったら直ると思ったのに、直らない。ある時から地図を持ち、時間通りに着かなかったら人に地図見せて聞くことにしたんです。私なりの工夫です。
荻原 : 僕はコンパスを。一歩目を間違えて、真逆に歩いていても、迷いなく迷い続けてしまう。コンパスがあると方向は間違えず、安心して迷えます。
「先送りはもうやめて体当たりしたくなる」
松井 : 同世代で気になっている作家を教えてください。
荻原 : 星野博美さんが50歳になってから書いた『今日はヒョウ柄を着る日』。頑固で流されないけどユーモアがある。繰り返し読みたい人です。この本は周囲のおじいさん、おばあさんの話を観察していて、年取ってから語学を学ぼうという人に対して、「老後、老後と言っている人は一生せずに終わってしまう、という母の言葉は含蓄に富んだ言葉だ」など、先送りにしないで、新しいことにも体当たりで会得していくようすが眩(まぶ)しいんです。僕は免許取る前に車に関する古本を30冊も買って読んで、知識を知って満足しちゃうタイプ。釣りなんて何年も行っていないのに釣り道具の歴史とか、200冊くらい読んでいる……。
武田 : それはそれで楽しそうですが、もう読書いいんじゃないですか(笑)。
笈入 : やりたいことを、すぐに始めましょう。人生50歳からなんですから。
荻原 : そうでした(笑)。
笈入 : 世代は少し上ですが、気になるのは伊藤比呂美さん。ラジオなどで話すとテンション高く感じますが、文章はとても落ち着いていて好きです。少し前に出た『父の生きる』は、自分の父親を介護して看取るまでの記録で、郷里の熊本と当時在住していたアメリカを往来する日々が綴(つづ)られている。共感したのは、「親から電話かかってくるとめんどくさい」という感じ。ほっといたらだめという気持ちと揺らぐ。私の場合は父はすでに亡く、母が元気でひとり暮らししています。普段は考えないようにしていることが書いてあり、早めに読めて良かった。
荻原 : 介護、入院、葬式など知らないことがいっぱいある。街道歩きがなかったら、ただつらいだけだったので、『新・東海道五十三次』と出合えてとても助けられました。
ヤマダ : 笈入さんのお母さんはお元気そうですが、おざわゆきの『傘寿まり子』など、最近、高齢の主人公が登場するマンガ、増えているんです。これは80歳の女性作家が主人公。仕事が来なくなり、家庭でも居場所がなくなるけど、やりたいことを軽やかに始めるんです。年上が活躍する話は、年取るの悪くない、こういう風に生き生きとやれるのかもと思えて。
荻原 : 『無名の人生』を書いている、熊本在住の渡辺京二さんは、90歳です。ここにきて刊行ペースが増えていて、しかもどんどんおもしろくなっている。日本近代史家ですがすごく時間をかけてものを考えてこられた人。
笈入 : 渡辺さんは『橙書店』の田尻久子さんが発行している雑誌『アルテリ』の発案者です。うちで扱っています。
松井 : 先ほどの伊藤比呂美さん、一昨年亡くなった石牟礼道子さんと、熊本から生まれる本は気になります。さて、最後にどうしてもこれは伝えておかなくちゃの本を、ぜひ。
ヤマダ : 手塚治虫の『きりひと讃歌』。今も、今でなくてもおすすめしたい大事な本です。感染症やその差別について考えさせられる話なんですね。あと三原順の『Sons』や『はみだしっ子』も深い問題が扱われていて、今こそ読んでほしい。
武田 : 魚雷さんの『中年の本棚』もぜひ。
荻原 : (遠慮がちに)テーマにも合いそうなので、少しだけ。中年の過渡期の間ずっと書いていたので、読み返した時、おもしろかったです。40代前半は、不安が大きい。衰えてこの先下り坂じゃないかと思うが、途中であまり変わらない? そういえば若い頃も下り坂だったなあと思えてくるんです。最終的には、年を取るのも悪くないと思えるところに着地できました。
ヤマダ : 答えを出してくれる本は、私たちの世代は必要なくて、考える道筋に触れて、読みながら自分で考えるのがしっくりくるのかもしれません。若い頃は答えがはっきりある本を読んでスカッとしていたけれど、スカッとしないのが心地よくないですか?
一同 : (静かに、うなずく)
みなさんの読書
『往来堂書店』店舗詳細
取材・構成=松井一恵 撮影=門馬央典
『散歩の達人』2020年11月号より