凸凹地形さんぽマップ
映画『君の名は。』の聖地巡礼!? 須賀神社へ
3つ目の谷の起点にあった若葉公園から、まずは須賀神社へ向かいます。
ちなみに私、『君の名は。』は3回観ています(夫が好きなため)。楽しみ!
闇坂(くらやみざか)。お寺があり、樹木が茂っていて薄暗かったから闇坂と呼ばれたそう。なんだか恐ろしげな名前です。
皆川「闇坂って名前の坂、都内は多いんだよ」
吉玉「そうなんですね!」
一瞬「闇坂46」という言葉が浮かびましたが、言いませんでした。
坂を上ったところにある、レトロなマンション。ひらがなのマンション名にグッときます。
外壁がスミレ柄(?)のモザイクタイル。タイル一枚一枚が、親指の爪くらい小さいです。
吉玉「この壁すごくないですか!? タイル、めちゃくちゃ小さいですよ!」
皆川「これはね、30センチ四方くらいのシートにあらかじめタイルが貼られてる製品で、それを壁に貼っていくんだよ。小さなタイルを一枚一枚壁に貼り付けてくんじゃ大変だから」
……ですよね。
須賀神社に到着。鳥居があるほうではなく、地味な入り口から入りました。平日の夕方ということもあり、とても静かです。
とりあえずお参り。
100円のお賽銭で、「この連載が書籍化されてたくさん売れますように」とお願いしました。強欲すぎる。
イラストが上手な絵馬が多かったです。『君の名は。』の影響でアニメファンが多く来ているからでしょうか。
本殿の脇からは、谷底にある住宅街を見下ろすことができます。
皆川「ここが台地の際で、その北側が鮫ヶ橋谷のいちばん上流部分です」
吉玉「初歩的な質問ですみません。『谷のいちばん上流部分』って、どういうことですか?」
皆川「谷が始まるところですね。今は水が残ってないけど、こういう地形は湧水が作っているんです。谷の先端から水が湧いて、川になって流れていく。その、先端の部分です」
吉玉「なるほど(と言ったもののイメージできてない)」
皆川「あの丘の上に甲州街道が走っていて、そこが分水嶺だったんですね。甲州街道の向こうは、違う川が反対方向に流れてたんだよ」
お恥ずかしながら、分水嶺という言葉を知りませんでした。ようするに、標高の高い尾根が川を分断し、異なる川同士の境界線となっていたようです。
鳥居を出るとすぐ階段があったので、中村嬢と「あったあった!」とはしゃいでいたら、皆川さんに「あ、映画の階段はそれじゃないです」と言われました。恥ずかしい。
皆川さんと『君の名は。』について話します。皆川さんも3回観たそう。
吉玉「瀧くんの高校、すごい都心にありますよね。初めて入れ替わったとき、三葉ちゃんがグーグルマップ見ながら高校に行くんですけど、よくたどり着けたなぁと思いました」
方向音痴の人、そう思いませんでした?
こっちが本物の「ラストシーンの階段」!
皆川さんが「丘の上と谷底、ふたつの違う世界をつなぐのが階段。瀧くんと三葉ちゃん、ふたりの世界が階段で交わるのは象徴的」とお話されていた、あの階段です。
吉玉「あのシーン、たぶんふたりは通勤途中で、それぞれ別の駅から来てここですれ違うんですよね。通勤でここ通るって、職場はどこなんでしょう?」
皆川「そうですね、瀧くんが採用試験を受けてたのは、新宿センタービルにある大成建設でしたよ」
……皆川さん、知らないことないんですか?
とりあえず名シーンを再現しておきました。ピースしてるのは、三葉ではなく観光客のマネをしてるから。
地形から歴史を学ぶ。アカデミック散歩
須賀神社の階段を下りて、谷底の街を北へ歩きます。なぜ北とわかったかと言えば、さっき地図を見たからです。
開いているお寺があったので行ってみます。
写真だとイマイチ伝わりにくいのですが、お寺がけっこう高いところにあり、街を見下ろせます。
このスリバチが、さっき須賀神社から見た鮫ヶ橋谷の起点。さっきとは別角度から見ています。
別のお寺の前に誰かの像がありました。
皆川「これは、弘法大師である空海ですね。水源とか、水に関するところは空海の像が多いんですよ。空海が杖をついたら地面から水が湧き出た、って言い伝えのある場所がたくさんあって。僕は湧水を巡ってるから、あちこちでよく空海に出合うんですよね」
吉玉「空海が湧水を作って、皆川さんがそれを巡ってるんですね」
1000年以上の時を経て、湧水でつながる空海と皆川さん。なんだか壮大なスケールの話です。
大きな道路に出ました。一部が甲州街道と重なっている新宿通りです。駅で言えば四谷三丁目駅の近く。
皆川「ここが分水嶺、つまり尾根です」
尾根とは、山地のもっとも標高が高い部分の連なりのこと。山では意識する尾根も、下界ではまったく意識していませんでした。
皆川「江戸時代に作った甲州街道は、尾根を巧みに利用しているんですね。自然の地形に沿って道を作ったから、まっすぐじゃなく曲がってるんです」
信号の標識を見ると、「津の守坂(つのかみざか)通り」の文字。
皆川「この名前がついてるのは、この先が松平摂津守(まつだいらせっつのかみ)のお屋敷だったからなんですよ」
吉玉「そうなんですね!」
いかにも松平摂津守を知ってるかのような相槌を打ちましたが、誰かわかりません。あとで調べたら江戸時代の大名でした。
皆川さんの知識が炸裂! レトロでほっとする荒木町商店街
新宿通りを渡ると、すぐに荒木町商店街が。交通量の多い新宿通りとは打って変わって、静かで落ち着く雰囲気です。
チェーン店ではない、小さな個人店がたくさんあります。赤提灯やスナックや喫茶店、中華やお寿司屋さん。新しそうなお店もありますが、全体的にレトロな雰囲気です。この街に行きつけの店があったらかっこいいな~。
商店街は一本道ではなく、大小さまざまな道が複雑に入り組んでいます。これは迷いそう……。
路地に石畳が敷かれていました。
皆川「これは、路面電車の敷石ですね。昭和の初めまで、甲州街道には路面電車が走ってたんですよ。電車が廃止されるとき、ここの商店街の人たちが敷石を貰ってきたんだろうね」
公園にお稲荷さんが。
皆川「ここは検番(けんばん)って建物があった場所。芸者さんの取次ぎをするところです」
検番は、見番と表記することもあるようです。
皆川さん行きつけのとんかつ屋さん『鈴新』。マスターは「荒木町を発見する会」として活動しているのだとか。皆川さんもイベントにゲストで出たことがあるそうです。
鈴新さんの脇の小さな路地を抜け、坂道を下っていくと……
吉玉「この看板、なんて読むんでしょう?」
皆川「なんでしょうね?」
皆川さんでも知らないことがあるなんて……!
吉玉「鍋コーヒーですかね?」
皆川「いや、鍋ではないでしょう(笑)。熱燗の燗じゃないかな」
検索したら『燗コーヒー藤々』でした。喫茶店っぽいけど小料理屋さんだそう。
一見すると電柱のような柱。おそらくは石でできていて、表面に溝が彫られています。
皆川「これは民有灯(みんゆうとう)といって、地元商店街が設置したものですね。もともとは街路灯のように、上に灯りがついていました」
皆川「ここはね、通称・モンマルトルの坂」
四谷を歩いていたはずが、いつの間にかパリに来ていたようです。
小さな公園のようですが、津の守弁財天です。池には、亀や鯉がたくさんいました。
皆川「弁財天って水辺に多いんですよ。もともと水の神様だから」
吉玉「水の神様なんですね。金運のイメージがあります」
皆川「そうそう、金運や、あとは芸能の神様でもある。雨音が琴の音に似てるってことで、音楽の神様でもあるし。芸事をしてる人たちの神様だね」
私、今日だけで新しい知識をいくつ仕入れただろう……?
荒木町を縦横無尽に歩きまくる。そして、吉玉に変化が……
ここで小休止。明治19年(1886)の荒木町周辺の地図を確認します。
方角を合わせようと試みましたが、番地がないため、さっぱりわかりませんでした。皆川さんと中村嬢は、「今この辺ですね」などと話しています。なんでわかるの?
皆川「この辺一帯は、松平摂津守のお屋敷の池だったんだね。さっきとんかつ屋さんの前を通ったでしょう。あのへんから坂下は全部池だったんだよ。今残ってるこの池は、そのほんの一部分」
吉玉「え、とんかつ屋さんからかなり歩きましたよ!? めちゃくちゃ池デカいですね……! お屋敷は、池のほとりにあったんですか?」
皆川「お屋敷は、池を見下ろす一番いい場所にあったと思うよ。池を南に見られる場所。日当たりの関係で、日本人は南向きの庭を好むから」
そっか、江戸時代も今も、太陽の向きは変わらないもんなぁ。
皆川「ここの地形の面白いところは、水の出口をダムでふさいじゃってること。江戸時代に人力でダムを作って水を堰き止めたんだけど、その痕跡がちゃんと残ってるんですよ」
今から、そのダムの跡地に行くとのこと。ダムの跡地ってどんなだろう……。
こんなでした。
けっこうな高さがあります。重機のない時代、どうやってこの高さまで土を盛ったんだろう?
吉玉「人力で土を盛っても、盛ったそばから水で流されちゃいそうじゃないですか? いったん水を堰き止めてしまえばできそうだけど、それも無理だろうし……」
皆川「実は文献が残ってなくて、江戸時代にどうやってダムを建設したか、詳しい方法は分かっていないんです。でも、発掘したらダムの下に石組の排水溝が見つかりました。大阪の太閤下水に次ぐ、日本で2番目に古い排水溝だそうです」
そう言われれば、現代においてもダムの建設方法って考えたことなかったです。街の解像度が低い。
凸凹地形を観察しながらクネクネ歩きまわるうちに、さっき前を通ったモンマルトルの坂に出ました。さっきは階段を下から見たけど、今度は上から見るかたちです。
もうちょっと高いところから眺めるとこんな感じ。地図と照合しようとしましたが、いまいちよくわかりませんでした。どこをどう歩いてきたかも、よくわかりません。
階段を下り、皆川さんについて歩いていると、ふたたび津の守弁財天に出ました。弁財天の前を、さっきとは違う方向に歩きます。
すると前方に公園が。とんかつ屋さんの隣の、お稲荷さんがある公園です。さっきとは別の道から来たんですね。
吉玉「なんか実がなってる。ミニトマトですかね?」
皆川「トマトではないですね。ナツメかな」
ナツメと書いてありました。ミニトマトなわけないじゃん。
明治5年(1872)の絵図。めちゃくちゃでかい池とお屋敷があったことがわかります。
こういう絵図が残っているからこそ、100年以上前の地理がより詳しくわかるんですよね。この記事も、150年後は貴重な資料となっているかもしれません。
商店街にぽつぽつと、灯りが点ってきました。風情がありますね。
雑居ビルの通路を通って、別の通りに抜ける皆川さん。こういうところを通るの、まさに「散歩の達人」の風格。
荒木町の中では広めの、杉大門通り。夜のはじまりだからか、人の姿が増えてきました。
皆川「ここは古くからある通りで、お寺の参道だったんですよ。参道の両端に杉が植わっていたから、杉大門通り」
ひと通り歩いたかな? と思いきや、皆川さんはまだ散歩続行中。荒木町をあっちこっち歩きます。
さっきも見たお店の前に出ました。方向音痴だけど、建物や看板はわりと覚えているほうです。
吉玉「ここ、さっきも通ったところですね」
皆川「お、わかりますか。じゃあ、方向もわかりますか?」
吉玉「えっと、こっちが北で、あっちが新宿通りですよね」
皆川「正解です! だいぶクネクネ歩いたのに、把握できてるじゃないですか!」
あれ、ほんとだ……。
自分でもなぜかわからないのですが、特に考えなくても、すんなり方角がわかりました。
このあと、四谷三丁目駅で解散。ぜんぶで2時間半ほどの散歩でした。
たくさん歩いていい汗かいて、好奇心も満たされて、とても充実感があります。また、今までは坂道を上っても「坂だな~」としか思わなかったのですが、凸凹に着目して歩いたことで、坂同士の位置関係を気にするようになりました。
途中から私が方角を当てられるようになったため、担当編集の中村嬢が感激していました。だけどこれ、方向感覚が鍛えられたわけじゃなく、歩きまくって風景を覚えただけだと思います。たぶん、他の街に行ったら応用がきかない。でも、「歩きまくれば多少は方角がわかるようになる」ことが判明し、自信につながりました。
そもそも今回の目的は、散歩を楽しむこと。たっぷり楽しめたので、目標達成です。
今さらだけど、ちょっと散歩にハマりそうな予感……。これからも散歩の達人を目指します!