機械の設定通りでもマニュアル通りでもないひとりひとりが淹れる味
2021年10月にオープンした『Swell Coffee Roasters』は、コンクリートのアーチが美しいビルの1階にある。ガラス張りのお店の前にテラス席がいくつも用意され、天井の高い店内は席もゆったり。中目黒というにぎやかな場所にありながら、どことなくリゾート地を思わせるような気持ちのいい空間だ。
代表を務めるのは尾﨑数磨さん。2016年にラテアートの世界大会で準優勝した実力をもつバリスタだ。カフェラテを頼むと、美しいラテアートを作ってくれた。コーヒーに泡立てたミルクを注ぎ入れるだけで、どうしてこんなに美しい模様が出来上がるのかと驚くばかり。飲むと無くなってしまうとことが惜しくなるほどだ。
尾﨑さん以外にも、スタッフにはバリスタとして大会で受賞歴のある人をはじめ、全部で6人のスタッフがコーヒーを淹れている。
「コーヒーは、飲まなくても暮らしに支障のない嗜好品です。どうやったら付加価値をつけられるかを考えると、マニュアル通りの均一なコーヒーよりも、淹れる人の魅力も伝わるコーヒーを提供したいと思います。この人のコーヒーはこんな味だ、初めて会った人が入れるのはどんな味のコーヒーだろうと違いも楽しんでもらいたいですね」と尾﨑さん。
バリスタとの出会いが転機に。元ホテルマンがラテアートで世界大会準優勝
スタッフは、コーヒーの技術や知識以上に、人間として魅力的であることが重要だというのがお店の方針。コーヒー以外に好きなことがあることも採用の基準としているのだとか。その背景は、尾﨑さん自身が異業種のサービス業からコーヒーの世界に飛び込んだことも理由のひとつだ。
尾﨑さんは12年間、名古屋の有名ホテルでレストランの他、数百人規模のパーティーでスタッフを担当。「お客様の要望にはできる限り対応する、ガチガチのホテルマンでした」と振り返る。ホテルマンとして技術と知識を向上させようとコーヒーの資格を取得したころ、ひとりのバリスタと出会ったことが転機になった。
「そのバリスタさんの接客がとても素敵でした。フランクで、どこか自由で、でも失礼なことをしているわけでもない。誰もがファンになってしまうような接客でした」
コーヒーを介したその接客が素晴らしいと感じたことで、自らもバリスタになると決意。30代も半ばでバリスタとしてはスタートが遅かったことから、猛烈にラテアートの練習を重ねた。そして2014年にアメリカ、セントルイスでの世界大会に出場し3位に。一気に業界で認められる存在になった。そして2016年には準優勝の栄誉に輝いた。
その後、名古屋や京都でいくつかのお店の立ち上げやプロデュースを手がけ、拠点を東京に。しばらくしてオープンしたのが『Swell Coffee Roasters』だ。携わったどのコーヒー店でも、コーヒーの技術以上に、元々ホテルマンとして培ったサービス技術に、憧れのバリスタを見習ったフランクな接客方法を取り入れた尾﨑さんのコミュニケーションは確実にファンを増やしてきた。その中には、サッカーやバスケットボールなどプロスポーツの第一線で活躍する選手もいて、定期的にコーヒーを飲みに訪れる。
お店の魅力を広げるためにスタッフのチャレンジも促す
自分以外のスタッフの魅力がお店の魅力という考えのもと、その分、スタッフは給料以上の経験やチャレンジをしてほしいというのも尾﨑さんの方針だ。コーヒー豆は横浜にオープンした2号店で焙煎しているが、焙煎に興味があれば中目黒のスタッフもチャレンジできる。使いたいコーヒー豆や作ってみたいドリンクがあればお店で出すチャンスもある。
フードメニューも考え方は同じ。カウンターのケースに並ぶケーキはスタッフから提案があったものばかり。試食を経て店頭に並んでいる。中でもチーズケーキは特に人気。アールグレーチーズケーキは、あっさりした中に茶葉の風味が感じられ、ほろっとした食感も食べやすい。
淹れてくれる人が魅力的なら、コーヒーが一層おいしく感じるはず。そんな考えのもとコーヒーを淹れる『Swell Coffee Roasters』。お店に足を踏み入れて、コーヒーをオーダーして受け取るまで、生まれる会話ややり取り。それがコーヒーの味に深みやアクセントを加え、その時間を豊かにしてくれるはずだ。
取材・撮影・文=野崎さおり