とんねるず『雨の西麻布』(1985年)
西麻布ってどこよ?
当時のとんねるずは、女子大生ブームを巻き起こしたテレビ深夜番組『オールナイトフジ』にレギュラー出演し、人気も急上昇。番組でもよく歌われて曲はヒットしていたのだが。しかし、
「西麻布ってどこ?」
最初に聴いた時、そう思った。私のような地方出身者にはなじみのない場所で、『雨の西麻布』と言われてもまったくイメージできなかったのだ。
2020年に配信された『WEBザ・テレビジョン』でとんねるずの石橋貴明が語るところによれば、この曲のタイトルは当初『雨の亀戸』で決まっていたという。しかし、亀戸に行ったことのない石橋には、その地名がピンと来ない。そこで作詞家の秋元康に曲名変更を願いでると、
「じゃあ、西麻布でいこう」
と、いうことになったのだとか。
演歌の世界で「雨」は男女の別れを連想させる枕詞だ。別れのシーンは酒場が定番なだけに、酒場がある場所ならばどこでも良かったのか? 演歌やムード歌謡の舞台によく登場する新宿や池袋といった盛り場をタイトルに使うよりも、あまり知られてない場所のほうが新鮮で、人は「おや?」と興味をそそられる。それを狙ったのだろうか。
しかし、私が知らないだけで、当時から西麻布界隈にはそれなりに飲食店や飲み屋はあったようでもある。いわゆる“ギョーカイ人”といわれる人々の間では、
「昨晩は“霞町(かすみちょう)”で飲んだ」
などという言葉がよく聞かれたという。ちなみに「霞町」は西麻布界隈を含むエリアの旧町名。当時はそう呼ぶ人が多かったのだろうか。 それなら「雨の西府麻布」ではなく「雨の霞町」でも良かった気がするけど。
クルマがなければ行けないややこしい場所だけに、芸能人やセレブが人目を気にせずくつろぐ隠れ家的な感じ。なら一般人には余計に敷居が高い。
曲名が「西麻布」となったのはたまたまのようだが、そこは……私たちが慣れ親しんだ新宿や池袋といった盛り場とはかなり遠く、難易度が高そう。ネットもなく、情報の少ない当時、マイナーな盛り場の情報を得ることは難しい。私のなかで「西麻布」は、とんねるずの歌を聴いて想像することしかできなかった。まあ、知らないだけに想像は無限に広がる。人はみなそれぞれに、雨の西麻布を背景にした男と女の物語を思い描くのだった。
かつてFOCUS、今は文春砲がうごめく
そして、じつは私……いまも麻布について、よく知らない。
街歩きをする前に、少しネットで調べてみることにした。すると、この戦前からの由緒ある高級住宅地も、細かく地域が分けられて、そこには越えることのできないヒエラルキーがあるようだ。
地域で最も高台に位置する元麻布は、諸大名の下屋敷があった場所。明治時代から政府高官などが住む高級住宅地として名を馳せて、同じ「麻布」でも別格の扱い。現在も広い敷地をもつ邸宅が立ちならんでいる。
それにつづくのが南麻布や東麻布と呼ばれる地域で、麻布十番や西麻布のランクは最下層になるという。
とりあえず元麻布方面から西麻布に向かって歩いてみる。
高台から低地に向かう下り坂。高級住宅地は高台にあり、低湿地は庶民が住む下町というのが、多くの日本人が抱くイメージ。
だが「麻布の下町」はただの下町ではなかった。下町というわりに建物が密集しておらず、通りには緑の樹木も多い。また、駐車場に停められているクルマはヨーロッパの高級外車だらけ。
「ここは、どこの国?」
そんな眺めがつづく。坂をさらに下ってゆくと、そこはレストランや飲み屋が点在していた。閑静な麻布界隈では比較的にぎやかな通りがあった。
ここが西麻布のメインストリートだろうか。『雨の西麻布』のモチーフになったのも、ここか? 夜の通りに雨が降る情景を想像してみる。渋谷や六本木と比べれば人通りは少なく、たしかに大人の男女の恋や別れにはお似合いな雰囲気ではある。
そういえば、当時よく売れていた写真雑誌『FOCUS』でスクープされていた芸能人の密会現場も、西麻布界隈っていうのが多かったような。
文春砲がとどろく現代と同様、当時も芸能人の不倫報道はよく目にした。しかし、世間がそれを見る目はまだ生温かったような。「不倫は文化だ」なんて言葉も流行ったし。
まあ、有名人が人目を避けて相引きするのに、昔の西麻布は都合が良かったのだろう。人知れず存在していた陸の孤島なだけに。
『雨の西麻布』のヒットでその地名が脚光を浴びた時には、
「余計なことすんなよなぁ」
とか思った芸能人や業界人も、多かったのではないだろうか?
櫻坂46『条件反射で泣けて来る』(2022年)
37年ぶりの麻布ソング
また、昨年にはこの地の新たなご当地ソングが誕生している。
2022年に発表された櫻坂46のアルバム『As you know?』収録『条件反射で泣けて来る』という曲がそれ。麻布界隈のご当地ソングとしては37年ぶり、『雨の西麻布』以来のことだと思う。
作詞はこちらも秋元康。『雨の西麻布』とは違って、歌詞にはこの土地にあるものが登場している。曲名に地名は入ってないけど、舞台が麻布十番だということはすぐにわかる。間違いなく麻布のご当地ソングだ。
麻布十番は近年の麻布界隈で最も大きな変貌を遂げた場所でもある。
『条件反射で泣けて来る』は、恋の思い出を歌ったもので、麻布十番はふたりがつき合っていた頃によく行ったデートスポット。地下鉄南北線や大江戸線が乗り入れるようになってからは、クルマのない若いカップルでも気軽に行ける場所になっていた。
歌詞の中には、いまも健在で人気の鯛焼き屋『浪速屋』と、かつてあったスーパーマケーケットの「ピーコック」が登場してくる。麻布十番の「ピーコック」は2016年に閉店して、現在は『Bio c’ Bon』という外資系の有機製品専門店になっている。ということは、この歌詞は少なくとも7年以上前の思い出ということになる。
昭和歌謡の演歌を知る世代には10年前なんてのはつい最近。だが20代くらいの若者には、人生の半分近くにもなる。それはもう遠い昔の感覚だろうなぁ。
同じ歌を聴いていても、世代が違えば感じ方も違ってくる。当然のことなんだろうけど。いまの20代に『雨の西麻布』を聴かせたらどんな印象を抱くのだろうか。彼らにとっての麻布……あの頃より、ずっと身近に感じていたりするのだろうか?
文・撮影=青山 誠