忘れられない駅、それは誰の心にもある
この曲は、シンガーソングライター・西島三重子のファーストアルバム(1975年9月発売)に収録され、その後人気が出て1976年4月にシングルカットされた。私がはじめてこの曲を聴いた時は、発売からすでに5年以上が経過していたことになる。じわじわと長い時間をかけて、累計80万枚を売り上げた息の長いヒット曲だ。たぶん私と一緒で、
「なんか気になっている」
という人が多かったのだろう。
『池上線』は男女の別れを唄った曲だ。その舞台が池上線の電車と、その沿線にある小さな駅……池上線には乗ったことはなかった。けど、似たように地味で小さな私鉄路線は、東京圏のあちこちにある。知らずとも想像することは可能だ。
いま一度、歌詞をしっかり読んでみる。と、私が昔住んでいた京王井の頭線・池ノ上駅あたり、その80年代頃の駅前風景がリアルに想像された。
少し調べてみたところ、この歌詞は西島三重子とバンド関係で交友のあった作詞家・佐藤順英が書いたもの。彼女は東京生まれだが、西武新宿線沿線で生まれ育ち、池上線とは縁遠い。イメージするのは難しかったのだろう。そこで当時ヒットしていた野口五郎の『私鉄沿線』をイメージしてこれに曲をつけたという。
そういえば、『私鉄沿線』を作詞した山上路夫も、歌詞は特定の路線や駅ではなく、郊外に向かう私鉄の沿線をイメージして書いたと言っていたっけ。
まあ、現実世界でも人との別れの場所は、だいたい駅か空港だろうし。誰にも思い出の路線や駅というものがある。そういったところが呼び起こされる曲だから、聴き継がれて長いヒットになったのだろう。たぶん。
しかし、佐藤の場合は山上とは違って、私鉄沿線ならどこでもいいわけではなく「池上線」という場所に強い思い入れがあった。この歌詞は佐藤が恋人と別れた時の実体験を描いたものであり、その舞台が70年代の池上線沿線だったという。
「あの歌を世に出したくて、作詞家になったようなものです」
彼は2009年に発刊された『うたの旅人』(朝日新聞出版)でこのように語っている。また、舞台となった駅についてもこの本の中で「池上駅」と証言していた。
曲の舞台となった駅はどこか。それは長い間の謎でさまざまな推理や憶測が流れていたという。80〜90年代頃、ファンの間では「旗の台駅」説が有力だったとか。それだけに、本人の口から明かされた「池上駅」ってのは、衝撃の新事実だったのか?
池上線に乗ったことない私には、それがどこの駅だろうが同じなんだけど。具体的な駅名を出されると、むしろイメージが湧いてこなくなる。だから作詞家も長らく駅名について語らなかったのだろう。
変わらないのは列車のスピードだけか?
池上線・五反田駅は、山手線ホームから連絡通路で直結している。改札を入ると1面2線の島式のホームがひとつだけ、しかもJRや他の私鉄路線と比べて短い。列車は3両編成だから、長いホームは必要ない。
『池上線』の歌詞の一節には、車両の吹き込む隙間風に震えていたというのがある。70年代の頃は、戦前から使い古された木製車両が使われ、冬場には窓の隙間や連結部から冷たい風が吹きこんでいたとか。現在は密閉性抜群のステレス製車両、当時を想像するのは難しい。
しかし、変わらないものもある。駅の間隔は昔から変わらず、駅間の距離は路面電車やバス停なみ。発車したかと思えばすぐに止まり、列車の速度は上がらない。線路沿いの家々の窓の形やカーテンの模様、路地を歩く人々の顔などがはっきり見てとれる。車窓の景色はゆっくりと流れていた。
別れを意識していた男女も、同じ景色を眺めていたはず。気まずい空気のなか何を話せばいいのか……そんなシチュエーションには、ゆっくり流れる風景とガタゴトのんびりした車輪の音がしっくりくる。新幹線だと車輪の音もゴーってな感じで速く忙しなく、別れの名残惜しさも消し飛んでしまいそう。
五反田から約20分で池上駅に到着。商業施設と一体化した巨大な駅舎は2021年に完成したもの。かつては木造1階のこぢんまりした駅で、プラットホームの屋根は木造で跨線橋がなかったという。五反田方面からの列車を降りた乗客は、構内の踏切を渡って改札口に行かねばならなかった。
現在の駅改札口付近には、旧駅時代に使われていたベンチの一部が保存展示されている。昔はホームの壁に沿って、この木製ベンチが並んでいたという。別れを惜しむ男女が、何も言わずにしばし座り続けるってなシーンを想像してしまうのだが。
歌詞から情景を想像すれば、ぴったりとくるのは古いほうの駅であることは間違いない。もっと早くに来て見ておけばよかった。
駅を出てすぐ左のケンタッキーフライドチキン、そこが歌詞に書かれた「フルーツショップ」のあった場所だというのをネットの記事で読んだことがある。有名な話のようだ。
フルーツショップだけじゃない。何十年も経てば商店街の店舗も多くが入れ替わっている。また、昔からある店の外観もリニューアルされているはず。
ふと見かけた文具店、古ぼけたビニールの屋根や雑然とならぶ商品に思わず立ち止まってしまったのは……もはや、それがいまどきは見かけない珍しい眺めになっているから。昔懐かしさが琴線に触れたから。ここが『池上線』の舞台であることは間違いないのだが、当時の風情を感じることは難しい。
余談だけど、2012年に西島三重子は『池上線ふたたび』というシングルをリリースしている。タイトルからも分かるように『池上線』のアンサーソングだ。
別れた恋人のことを思い出しながら、池上線に揺られて懐かしい駅や街を訪れる。おそらく、久しぶりに目にした街の変貌に戸惑ったのではなかろうか。あれから40年近い時が過ぎていた。遠い昔に終わった恋。と、それを実感できる眺めだったと思う。
街中の踏切も「昭和」の遺物になりつつある⁉
また、70〜80年代頃には見かけなかった大型の電飾看板が増えている。LED照明がなかった当時と比べれば、通りはかなり明るくなっているだろう。
男女の別れの舞台にはちょっと向かない。もっと、しっとり落ち着いた情緒が欲しいかも。なんてことを思いながら歩いていると、商店街を通り抜けてしまったようだ。
駅からは歩数にして150〜160歩、100メートル程度の短い距離。話す間もなく、商店街から左に曲がると踏切がある。まだ話し足りない。名残惜しい……そんな、もやもやした気持ちの時、好都合なことに遮断機が閉まる。開かずの踏切も、こういったシチュエーションにはありがたい。
線路の高架化が進んで、街中の踏切は少なくなっているという。幸いなことに、ここにはまだそれが残っていた。電車も、駅も、商店街も。みんな変わってしまったいまは『池上線』の世界観を体感できる唯一の場所なのかもしれない。
情緒あふれる男女の別れ。それには難しい場所になってきたよなぁ、いまどきの街って。
取材・文=青山 誠