滝口悠生
1982年、東京都生まれ。2011年「楽器」で新潮新人賞を受賞しデビュー。15年『愛と人生』で野間文芸新人賞、16年『死んでいない者』で芥川賞受賞。著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』『長い一日』『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』(植本一子氏との共著)『水平線』など。
小説「反対方向行き」(交通新聞社刊『鉄道小説』収録)
湘南新宿ラインのボックス席に座り、亡き祖父・竹春の家に向かうなつめ。そのはずが、列車は目的地の宇都宮から遠ざかり、神奈川方面へ向かっていた。もう戻れないはずの時間、もういないはずのひとの記憶と、思いがけない出会いが交錯する旅の一日。
“鉄道”から物語が紡ぎ出されるまで
インタビュー当日は、「反対方向行き」の主人公・なつめの足跡をたどり、湘南新宿ラインで渋谷駅から小田原方面へ。なつめが乗り間違いに気付いたJR武蔵小杉駅まで向かいます。
——最初に「鉄道をテーマにした短編を」という執筆依頼を受けて、率直にどう感じましたか?
滝口 楽しそう、面白そう、と思いました。どんなことができるかなって。
——鉄道のことは知らない、わからないといった不安はありましたか?
滝口 電車は好きなんですけど、特別詳しいわけじゃないから、いくらでもネタがあるぞっていうことではなかったです。でも、マニアックな見方もあれば、歴史的な見方もあるし、土地や町といった要素もあるし、切り口がたくさんあっていろんなやり方がある題材だなと思いました。
だから、なにかひとつ決めてそれについて調べていけば、おのずと作品の内容や方法も見つかるだろうな、と楽観的に考えてました。
——執筆はどのように進めていったのでしょう?
滝口 まずは路線を決めようと思いました。乗ったことのない、知らない路線よりは、ある程度知っていて乗ったことのある方がいいかなと。アンソロジーだし、参加する書き手それぞれの鉄道との関係性みたいなものが出ると面白いんじゃないかと思って。
——それで、湘南新宿ラインにしたんですね。
滝口 自分の地元でゆかりのある西武線もちょっと考えたんですけど、これまでも結構書いてるしと思って。で、東海道本線でもなく湘南新宿ラインって、歴史的にはそんなに深くはないし、味わいというよりは機能重視というかドライというか……そもそも路線というよりは、走り方の名前ですし。でも、東京近郊のひとがちょっと遠出しようとすると、どっち方向にいくにも選択肢に挙がってくる電車なんですよ湘南新宿ラインって。そういう身近さがあって、それを選んでみようかなって思ったんです。ローカルな味わいのある作品は、きっと誰か他の方がやるんじゃないかなという予想もあり。
あと、「長い」というところもポイントでした。いろんなところに乗り入れてるが故の間違えた時のダメージの大きさとか、遠くまでつながっていることで夢広がる感じがいいな、と。
——舞台は湘南新宿ラインに決まったわけですが、そこからは……?
滝口 そこからどうしようか困っちゃったんですけど(笑)、とりあえず1回乗りに行きました。
お昼頃に渋谷駅に行って、夕方までに帰って来られればよかったのでとりあえず来たのに乗ろうと思ってホームに降りたら、ちょうど小田原行きが来たんです。
——その日は小田原でかまぼこを買って帰って来た、と言ってましたね。
滝口 そう。でも結局何を書くかは決まらず。
実はこの日、時刻表を買って車内で見ながら行こうと思っていたんです。でも、駅の売店で買おうと思っていたら売ってなくて。今、時刻表って駅で売ってないんですね。
それで、後から買ってパラパラ見ていて、「何時だったら宇都宮に行けたんだ」「あ、何時だったら逗子行きだったのか」みたいなことを見てる時になんとなく「逆方向に乗る」っていうのができるかもって思いました。
鉄道開業150年を記念して交通新聞社が企画したアンソロジー『鉄道小説』、発売になりました。書店でも鉄道開業150年記念コーナーができたりしてますね。僕は「反対方向行き」という湘南新宿ラインを舞台にした短編を書いています。左は書くときに使った時刻表。https://t.co/kMBpojN9Vz pic.twitter.com/8hXzbh3rTx
— 滝口悠生 (@takoguchiyusho) October 6, 2022
9年前に書いた『寝相』とのつながり
——本作は『寝相』の続編のような形になっていますが、その着想はどの段階で得たのですか?
滝口 時刻表を見ていた時です。宇都宮方面に行った方がよかったかな、とか考えていたら、そこにいる知り合いを思い出すように、かつて自分が書いた作品の登場人物が宇都宮にいたなってことを思い出したんです。それで、彼らにご登場願って電車に乗ってもらおうかなって。続編とかスピンオフって、期待に応えて、みたいないかにもな感じになるとなんというか醒めるんですけど、『寝相』で何を書いたかもう結構忘れていたので、忘れてるぐらいならあんまりわざとらしくなく書けるしいいだろうと思いました。
——線路を伝って過去の作品に辿りついたんですね。作中でなつめが路線図を見ながら思いを馳せていた場面が思い出されます。
滝口 そういう過程で思いついたから、「時刻表を見て空想する」という場面が作中で自然と描かれることになりました。時刻表を持ってるっていうシチュエーションは書けるといいなって思ったので。
ひしめく駅名のなかから宇都宮駅を発見して、そこに人差し指を置いてみる。そこから大宮まで線を辿ってみる。いつかの自分と彼らがそれぞれに走った線だ。こっちからこっちへ。そしてまたこっちからこっちへ。本来は南へ伸びるはずの線は、むりやり東日本の大半を見開き二ページにレイアウトした地図のなかではまっすぐ左に伸びていた。
東北本線の線上を行き来していた指が、並行するように記された真岡鐵道の線を見つけた。その途中に原郎おじさんが暮らした益子駅がある。
(滝口悠生「反対方向行き」より)
——いつもはどんな状況で構想を練っているのですか?
滝口 普段は、わざわざ構想を練るための時間というのは作らないんです。出てくるまでいろんなことしながら持ち歩いてるって感じ。だから、いわゆる取材みたいに鉄道に乗りに行くこと自体珍しかったし楽しかったです。
——『寝相』発売から9年近く経ち、作中ではなつめに娘が生まれ小学生になっていました。滝口さんもお子さんが生まれ、当時からの変化もあったと思いますが、自分の生活が作品や登場人物に影響していると感じますか?
滝口 あると思います。子供の話もそうだし、なつめと自分は大体同じぐらいの年齢なので、20代の後半だった人が30代になって……っていう経過に伴う変化も「反対方向行き」には表れていると思います。
あと、スマートフォンや乗り換え検索のこととかを書きましたが、あれは割と僕の実感なんです。なつめと同じように、スマホがあっても乗り間違えるし、 道にも迷う。
——『寝相』に収録されている作品「楽器」は、みんなが道に迷う話でした。
滝口 当時はそれなりにスマホが普及していて地図アプリもあったのですが、「この人たちはスマホ持ってないっていう設定で、だから迷えるんですね」と編集者に確認されました。僕はその時スマホを持っていなかったから、「そうか、スマホ持ちだと迷わないんですね、確認できちゃいますもんね」って思ったんですけど、いざ自分でスマホを持ってみると、調べても結局乗り間違えたり迷ったりするし、結局その人の意識次第だなって実感して。
それって、僕にとってはいいこと、希望なんです。まだ間違えられるし、迷える。スマホぐらいじゃ、間違えたり迷ったりしなくはならないぞって思いました。それを書けたのもよかったです。
——反対方向に乗ってしまった、あるいは乗ってみたという経験はありますか?
滝口 昔はよく、どっちでもいいやと思って来たやつに乗ることがありました。
——まさに今回、執筆のために乗ってみた時のようですね。
滝口 どこに行かなきゃいけないという目的地がない旅先で、移動しながら時刻表を見て「何時にここについて、そのまま今の進行方向に乗り換えるんだったら何分発だけど、ここでこっちに行くやつも乗り換えできんのね。じゃあこっちが早いから、そっちに乗るか」という感じでした。
東海道本線で行ってたけど、「琵琶湖の北側回っても結局同じところに戻ってくるし、こっちから行ってみるか!」とか。でもそれによって、その日の行程や旅のありようは大きく変わるわけです。鉄道はそれができるのが面白いですよね。
“表現”とは、何かと何かのつながりに意味を与えること
——今回の作品に限らず、視点が変わっていくシームレスな表現が滝口さんの作品の魅力のひとつですが、こういった表現は書きながら作っているのですか? それとも頭の中に出来上がっているものを書き起こしてるのでしょうか。
滝口 書きながら、という方が近いような気がしますね。もちろん、全くノープランで全部書いているわけではないけれど、 書いてるうちに「あ、ここでこう飛び移れそう」みたいなポイントを見つけて、ぴょんと飛んでみる、みたいなことが多いと思います。
視点が移ったりすることって、人が話していたらむしろ自然に生じることだと思うんです。話題の中に誰か自分以外の人が出てくると、その人の視点みたいなものが話の中に設定される。その視点に立って代わりに話してみたりすることって、現実の会話ではごくごく普通のことで。
それが文章だと、視点ってそんなにあちこち行かないものっていう感覚があるし、書き言葉って事後的なものだから、そういう操作がすごく恣意的に見えたりテクニカルに思われたりするんですけど。だから書き手としては、文章でそういうことが起こった時に、誰かの話を聞いている感じで自然に読めるように色々処理や始末をしているという感じですね。
——視点が移っていくきっかけになるアイテムとして、作中では時刻表やそこに乗っている路線図が登場していますが、2022年7月に発売した『水平線』(新潮社刊)では電話やメールが似たような役割でした。
滝口 電話もメールも、どっちも連絡の方法なんですよね。離れているところにある何かと何かがつながる時に、それは一体どういうことなんだろうとか、これってなぜなんだろうとかって考えますよね。それによって、違うところにあるものが隣り合わせになったり、その2つのつながり方に意味が与えられたりする。小説を書いたり読んだりするのってそういうことだと思います。小説に限らないかもしれないけれど、表現するっていうのはそういうこと。
——路線図は特に、わかりやすく「繋がっている」様が見えますね。鉄道や電話の他に、そういったアイテムになり得るものやおもしろいなと思っていることはありますか?
滝口 去年、車の免許を取ったんですよ。これまでは長距離の移動は電車が主だったんですけど、自動車に乗ると“地図が変わる”っていうところですかね。
電車って東京だと割と横に走っているけど、車だとむしろこう縦に移動していく感じになるとか。鉄道とは違う走り方をしていたりもするし、あるいは並走してるところもあるし、似てるとことか違うところとか、時間のかかり方の違いとかっていうのは面白いです。
それでなんかやろうとかはまだ考えてないんですけど、自分の中で新しい方法が1つわかりやすく増えたことは面白いなと思ってます。
取材・構成・撮影=中村こより(交通新聞社 鉄道文芸プロジェクト事務局)