「子供の学校のために、阿佐ケ谷に引っ越してくるネパール人が多いんですよ。私たちも7年くらい前に川崎から移ってきました」
『パティバラ』の女将・テベ・アニタさんはネパールの納豆「キネマ」のスープを作りながら言う。学校とは、阿佐ケ谷駅のすぐそばで2013年に開校した『エベレスト・インターナショナルスクール・ジャパン(EISJ)』のことだ。
「小さいうちからぜんぶ英語で教育してくれるから」
立場が不安定な外国暮らしだ。だから子供たちにはしっかり「国際語」を身につけさせたい。そう考えるネパール人の親たちが、阿佐ケ谷近辺に集まってくるようになる。EISJはその後、すぐ隣の荻窪に移転するが、阿佐ケ谷を含めた杉並区に住むネパール人は増え続けている。2013年にはおよそ500人だったが、いまでは2100人を超える。
だから街を歩いていても、ネパール人と思しき南アジア系のファミリーをよく見るし、駅周辺のインド料理店で働いているのもたいていはネパール人だ。
ネパール少数民族がつくる「納豆汁定食」とは?『パティバラ』
「大豆を茹(ゆ)でて潰して、茹で汁を加えるだけなんです」と店主のアニタさん。あとは自然発酵を2、3日。ネパールの少数民族ライ族とリンプー族がよく食べるという納豆「キネマ」だが、これにショウガ、ニンニク、クミン、トマト、それに唐辛子を少し加えてスープに。味わいは、ほのかにスパイシーな納豆汁という感じ。日本でこのキネマを出している店は「他に知らない」そうだ。
彼らの「食」を支える存在が、『エベレスト・スパイス&ハラルフード』だ。ネパールをはじめアジア各地のスパイスや調味料、雑貨などがびっしり並ぶ店内で、店主のブダトキ・ジバンさんは言う。
「阿佐ケ谷、便利で住みやすいね。最近ではうちだけでなく、日本人の八百屋さんでも、パクチーとかヘチマとかネパール人が好きな野菜を置いてくれるようになったんです」
日本で育った子供たちも街にすっかりなじんでいて、当面はここで暮らすことになりそうだ。
「さて、ちょっと出かけますね」
ジバンさんはそう断ると、代わりの店番の奥さんが顔を出した。
「配達もやってるんです。今日は荻窪。やっぱり杉並区が多いですね」
そう言うと、食材を積んだ自転車にまたがり、阿佐ケ谷の街に走り出していった。
店内に一歩入れば、そこはネパールの下町『エベレスト・スパイス&ハラルフード』
「最近は日本人のお客さんも多いですよ。カレーのレシピのメモを持って、スパイスを買いに来るんです」と店主のジバンさん。ネパール人には現地のインスタント麺が大人気なのだとか。調味料やコメ、ギー(南アジアのバターオイル)、ヤギやマトンなどの肉類、スナック、石鹸(せっけん)やシャンプーや歯磨き粉などの日用品まで、コンパクトな店内にネパール人の生活が詰まっている。
ネパール人のパーティーに遭遇するかも?『マティナ・ダイニング』
「日本人は昼、ネパール人は夜に来ることが多いですね」とスタッフ。ランチの人気は、豆スープとカレーにネパール風の総菜が盛りだくさんの定食ダルバート各種。夜は居酒屋使いのネパール人に混じって、スパイス風味の焼き肉セクワやアチャール(漬け物)など、ツマミ系で一杯やりたい。よくネパール人ファミリーの誕生パーティーなどイベントが開かれる店でもある。
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2022年11月号より