錦絵に描かれた江戸城外郭門の石垣も現存
カーブ上に造られた湾曲するホームと、西口駅舎〜ホームの長いスロープが印象的だったJR飯田橋駅。2020年7月には約200m新宿側の直線部分へホームが移設し、西口駅舎もリニューアル。それまでの駅の姿は、はやくも懐かしの存在となりつつある。
その飯田橋駅には、前身の駅から数えると130年近い歴史がある。周辺には江戸時代からの遺構も複数あり、駅を中心に歴史さんぽをするには面白い場所なのだ。そこで今回は、飯田橋駅の歴史を探りながらこの周辺を歩いてみた。
まずは駅舎がリニューアルされた西口へ。この付近を神楽坂上から描いた、歌川広重の天保11年(1840)ごろの錦絵『牛込神楽坂之図』を見ながら歩くと、地形が今と同じことに感心するはず。錦絵に描かれた江戸城外郭門の石垣もしっかりと現存していた。
石垣を眺めつつ外濠の内側を新宿方面に50mほど進むと、外濠公園の遊歩道に入る。ここが明治27年(1894)開業の牛込駅の駅舎があった場所だ。その牛込駅の駅舎脇の擁壁は、当時のままの姿で残っている。2020年に移転した現飯田橋駅のホームが、牛込駅に近い場所に戻ってきているのもなんだか感慨深い。そして、この牛込駅と近隣の飯田町駅が統合し、昭和3年(1928)に中間地点に造られたのが飯田橋駅だったのだ。
江戸もバブルも感じる多層的な歴史の街
次は駅西側のショッピングセンター『飯田橋ラムラ』周辺を歩いてみる。同施設を含む20階建てのビル『飯田橋セントラルプラザ』が建設されたのは1984年。空間にゆとりがあり、巨大なステンドグラスも配された欧風の街並みには、バブル前夜の空気が漂う。
その建物の住所は「神楽河岸1-1」。隣には「揚場町」の町名もある。石碑を見ると、江戸時代にはここに河岸があり、海から上がってきた船が米や味噌、醤油、材木などの荷揚げをしていたようだ。その河岸は『飯田橋セントラルプラザ』建設で消滅したが、ビル前には親水公園風の空間が残っている。なお水流自体は暗渠化されて今も健在。駅の東口側では地下水路の出口も見えた。
その駅東口側は、リニューアルされた西口側とは異なり、往年の飯田橋駅の雰囲気が今も残る場所。一方で地下通路を進んだ先にある地下鉄大江戸線飯田橋駅は、2000年の開業だけあり、空間もオブジェもクールでモダン。このように100年以上の歴史の多層的な重なりを確認できるのが、飯田橋駅周辺の楽しさなのだ。
そして最後に、飯田橋駅に統合後も、荷物や貨物の専用駅として1999年まで存続していた飯田町駅の跡地にも訪問。その跡地は、高層ビル群に緑化した広場や小路も配した「アイガーデンエア」として再開発済み。街路にはレールが埋め込まれた場所があり、そのレール上を進んだ先には「0」の数字をかたどった「甲武鉄道始点の地」のモニュメントもあった。
ちなみに同駅構内には「飯田町紙流通センター」という印刷紙の流通倉庫もあったが、それは近辺に出版・印刷企業が多かったため。昭和末期までは大きな流通量があったが、印刷工場の郊外移転や、都心部の用地の有効利用のために閉鎖されるに至った。駅の変遷に産業や社会の変化が感じられる点も、この飯田橋駅周辺を歩く魅力といえるだろう。
飯田橋駅ざっくり年表
江戸時代 駅周辺には江戸城外郭門の一つの牛込御門や神楽河岸があり、交通の要衝だった。
1894年10月 甲武鉄道 牛込駅開業
1895年4月 甲武鉄道 飯田町駅開業
1928年11月 牛込駅と飯田町駅が統合。中間地点に官営鉄道中央本線 飯田橋駅開業
1964年12月 営団地下鉄 東西線の駅が開業
1972年11月 荷物 · 貨物専用駅として使用されていた飯田町駅構内に、飯田町紙流通センターが開設。1980年代に最盛期を迎える
1974年10月 営団地下鉄 有楽町線の駅が開業
1984年11月 飯田濠の再開発により、駅直結の『飯田橋セントラルプラザ』が開業
1996年3月 営団地下鉄 南北線の駅が開業
1999年3月 飯田町駅廃止。跡地が「アイガーデンエア」となる。JR貨物本社ビル(現·大和ハウス東京ビル)をはじめホテルや商業施設ができる
2000年12月 都営地下鉄大江戸線の駅が開業
2020年7月 JR飯田橋駅 新駅舎が開業。ホームが西側に約200m移設
取材・文・撮影=古澤誠一郎
『散歩の達人』2021年11月号より