同時進行する様々な種目と、支える審判員たちのパフォーマンス
先日初めて国立競技場で陸上競技を観た。面白い!
幕の内弁当みたいだ。楕円形の会場にはトラック競技が周回し、その内外でハンマー投げや棒高跳びなど、さまざまな競技が同時進行するのだ。
「一度に4~5種目が行われることも」というのは日本陸上競技連盟の石井朗生(あきお)さん。ご自身も十種競技選手だったので「最近はハンマー投げのように回転して投げる砲丸投げ選手も増えて」など、どの競技も詳しい。
何より驚いたのはスタッフの動きだ。投てき競技の着地点を確認する姿、短距離走後にすぐハードルが整然と並べられる様。背筋を伸ばし次々にピシッと仕事をしてゆくのだ。
「彼らは審判員といいます。外国ではそれ自体をパフォーマンスのように見せる大会もありますよ」と石井さん。へえ、俄然(がぜん)興味を抱いた。
審判員になるには経験や実績、推薦と試験が必要だからか、出会った審判員の方々は真面目で誠実な印象だ。競技の審判のほか、選手の誘導や報道対応など、1大会に約300人もの審判員がテキパキと働くのだ。
静寂の1.6秒の後、号砲が鳴り響いた
1964年大会を経験した審判員・野崎忠信さんにお話をうかがった。スターターという花形の任務だ。
母校・東京学芸大学の恩師、佐々木吉蔵氏の下、高校教師の野崎さんは大会1年前にスターターの補助役員となった。その仕事を野崎さんは「各地の陸上大会でストップウォッチを握り、号砲のタイミングを計り続けました」。それまでの大会で目立ったスタート時のフライングを「東京大会では絶対に出さない」と、佐々木氏は決意、その研究に携わったのだ。
1年がかりの成果は「『位置について』は大きな声で、『よーい』はむしろ声を落とす。そしてその後1.8~2.0秒でピストルを撃つ。これが最も美しくスタートできる形だとわかりました」と野崎さんは振り返る。
当時の「よーいどん」は開催国の言語が用いられ、外国人選手は事前に練習した。そして予選から決勝までは同じスターターが担当、選手との間に信頼関係が生まれるという。
当日、男子100m走の号砲は1.6秒で撃たれた。選手たちの体がピタッと止まった瞬間を狙ったのだ。
成功! 「これで俺の仕事は終わった」という佐々木氏の満足げなつぶやきを野崎さんは胸に刻んだ。大会に向け、下支えの人たちも努力を重ねていることに私も思いをはせた。
国立競技場
1964年大会 審判員の研究成果も花開いた大会の舞台
1952年、東京オリンピックとアジア大会招致を契機に国立競技場を建築。神宮競技場跡地に33年完成。64年、東京オリンピックでは観客席増など拡張工事。この大会からトラックが6レーンから8レーンとなり、選手とスターターに距離が生じ、号砲音の時間差解消にスピーカー導入など工夫。当時の号砲は警視庁から借りた本物のニュー南部銃の空砲で、野崎さんは最適な音への火薬の分量調整や手入れも担当した。
2020年大会 大正・昭和・平成と3代目の大競技場へ
江戸時代には幕府の火薬庫などがあった渋谷川沿いの傾斜地。明治時代の陸軍練兵場を経て、明治天皇崩御後の大正13年(1924)に明治神宮外苑競技場を建築。斜面を利用し観客席が造られた。第二次世界大戦時には学徒出陣の舞台に。現在の国立競技場は2019年竣工。設計は隈研吾。座席は森の木漏れ日風に5色を配し空席が目立たない。前競技場の絵画や銅像も各所に飾られる。
取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2021年8月号より