聖火リレーを巡る小さな誤解

私とカメラマンの夫が見せてもらったのは第1日目9番目の福島県大熊町。まさに東日本大震災と原発事故の被災地だ。

「ここを走る聖火ランナー5人で、地元出身者は最後の1人だってよ」

「へえ、じゃあ他の人は?」

「スポンサーの募集枠らしい」

「で、隣町まで誰が走るの?」

「いや、この先の役場がゴールだと」

「はあ?」

役場が配った可愛いくま柄の旗を握りしめる沿道の人たちの会話が聞こえてきた。

私には「?」なおばあさんの気持ちがちょっとわかる。恥ずかしながら以前は私自身も、聖火ランナーは地元から選出されて、駅伝みたいに各市町村を端から端まで駆け抜けるものだと漠然と想像していたからだ。

聖火リレー当日、役場職員たちが立てたのぼりがはためいていた。よく見ると2020年3月26日と書かれているのがご愛敬。

聖火リレーは2021年4月25日に福島県楢葉町のJビレッジから始まり、121日間で全国を巡る。ランナーは全部で約1万人。地元枠の他にスポンサー枠やゆかりの有名人が、各市町村が定めたコースを数百メートルずつ走るのだ。まあもう始まっているから、詳細は連日のニュースなどでご覧くだされ。

大熊町の応援団。聖火リレーコースは2019年4月に避難指示解除された復興拠点の大川原地区を東西に貫く。この沿道の災害公営住宅に避難先から戻って住めるようになった。

やっぱり一行のお祭り騒ぎには仰天!

パーンパーン!

「あ、花火だ!」「始まる!」

合図の花火が青空に上がり、一同ざわめく。聖火リレーは15時過ぎに役場から約1km東の地点でスタートした。やがて1本道を先導車一行が超低速で5〜6台通り過ぎて皆の胸が高まる。そろそろか…と思いきや、

「えっ、何!?」

また車だ。今度は華やかで個性的な大型車。元気な音楽とともに「皆さん、楽しみましょ〜!」ってノリの車上の男性が、声高らかに手を振りながら近づいてきた。車の周囲には揃いのユニフォーム姿のスタッフが沿道の見物客たちに何やらグッズを配っている。そんな群れが数台。そしてまた大型バスやマイクロバスや警察車両や報道車両や関係車がこれまた超低速で続く。

十数台が過ぎて、ようやく聖火トーチが見えてきた。聖火ランナーだ。

ようやく聖火ランナー登場。周りはセキュリティランナーが数人伴走。背後の建物は災害公営住宅。

紅白のユニフォームに身を包んだ笑顔のランナーがひとり、緩やかな坂道を小走りで登ってくる。周囲には数名のセキュリティランナーが取り囲む。200mほど走ると次のランナーのトーチに炎を移す儀式が始まる。これをトーチキスという。

次のランナーへ炎の引き継ぎ、トーチキス。

そしてまたゆっくりゆっくり走り出す。その後ろにまた車。全部で20数台の隊列だ。なんというか、30分テレビドラマのうち、オープニング・エンディング曲が各6分、CM15分、本編3分って感じだ。

それでも被災地を走る意義はあると思う

大熊町でのゴールは町役場前だった。役場前広場入り口で最後のトーチキスをすると、若い女性が走り出した。地元出身の実業団陸上選手・坂本ちほさんだ。そして後に青い揃いのユニフォーム姿のサポートランナーたちが満面の笑顔で続く。彼らこそが大熊町ゆかりの顔ぶれであり、地元の人たちはいっそう沸き立った。私もなんだか興奮した。パチパチパチと旗を持った手で一堂拍手。

地元枠の最終ランナーは実業団陸上選手として活躍する坂本ちほさん。中学2年生の時に被災して大熊町を離れたが、「走りを通じて大熊町民に勇気と元気を」という思いを胸に笑顔でゴール。

広場をぐるりと一周して役場入り口に到着した。坂本さんがトーチを掲げ、吉田淳町長がご挨拶。

「東日本大震災後、助けていただいた国内外の多くの方々に感謝の言葉を伝えたい。そして復興した姿やまだ道半ばの姿を見ていただければ」という内容の言葉にジワッときて、次にはっとした。

そういえば私たちはこれまで大熊町にはご縁がなく、東日本大震災のことや原発事故についてもぼんやりとしか知らない。実を申せば最初は単に聖火リレー取材にきたのだが、結局3日間通ってしまった。町長さんが知ってほしいという「大熊町の現状」を目の当たりにして、自分たちの無知さ加減に打ちのめされたのだった。なので、これは後半に書く。

このリレーには何人が関わっているのか?

聖火リレー話に戻る。

私たちが見た大熊町のコース沿道は、ほど良い感じにソーシャルディスタンスが保てていた。平日だし、何より現在の大熊町住民は200名あまり。この日の里帰り観客などを入れても約1kmのコースの沿道は十分な広さだった。でもその後ニュースを見るとやはり都市部では観客山盛りで大変そうだ。

そもそも観客以外に聖火リレーにはどれだけの人が現場で関わっているのか。

組織委員会の武藤事務総長によれば、この聖火リレー部隊は組織委員会・パートナー企業など1日あたり約460名のスタッフで運営しているという。もちろん全部同じメンバーが移動するのではなく入れ替わるものの、中には2週間も旅の人もいるらしい。大変そうだけどちょっと面白そうな生活だ。

このご時世なので東京から現地に行く人はPCR検査を受け、今後は感染者の多い大阪発のスタッフもPCR検査を受けるという。ちなみに今のところ感染者はゼロ。よかった。

そのほかに各県市町村職員や警察官などの現地スタッフ、それからボランティア。先頃、「新潟県の聖火リレーボランティアを3000人募集したが3分の1しか応募がない」というニュースを見たから、運営には本当に人力と手間がかかるのだなと思った。

サポートランナーは公道は走れないので、ゴールまでの役場前広場をぐるりと約200mを聖火ランナーと伴走。
ご家族がサポートランナーを務める地元出身の皆さん。事故後の全町避難後、幾多の転居を余儀なくされて今も町外暮らしの方や町内の災害公営住宅に住む方。「聖火リレーのおかげでみんなと再会できたことが嬉しい」。

全国津々浦々、被災地は多めに走ります

聖火リレーは、全国一律の日程や距離ではない。スケジュール表によれば東京や首都圏を除くと大抵は2日間で、東日本大震災被災地である岩手・宮城・福島の3県は3日ずつだ。

「福島県では26市町村と多めです。特に浜通りの被災地は全部回ります」と福島県オリンピック・パラリンピック推進室の担当者が教えてくれた。大熊町町長さんが語ったとおり、「被災地からの復興への感謝と現状を見てもらいたい」という思いを込めた行程なのだ。

聖火リレーのスタート地点からコースとは逆向きに一本道を行くと、帰還困難区域のゲートで行き止まりとなった。

確かに「復興オリンピック」を掲げているのだから、被災地での意義はわかった。ではそもそも聖火リレーはなぜその他の全国各地を回るのだろう。

東京オリンピックの舞台は主催地の東京やその周辺が中心だ。でもせっかくだから同時代を生きる全国津々浦々の児童生徒にも、オリンピックを実感してもらう重要な機会として聖火リレーを実施するというのが組織委員会の思いだ。それもわかる気はする。

1964年オリンピックをテレビで見て「東洋の魔女がすごかったねえ」というおばあさんは、「それが自分の町に聖火がやってくるなんて滅多にないことだから見たかった」と嬉しそうだった。

私はこの3年あまり、月刊散歩の達人誌に『東京オリンピックを歩く1964→2020』を連載し、1964年の東京オリンピックについての聞き取りをしている。当時子どもだった人たちは、その時のことを大なり小なり記憶に留めていた。聖火リレーを家の近所で見たという当時の小学生や、超モダンな代々木国立競技場に刺激されて建築家を目指した人、テレビで観て自分も選手になる!と奮起して、後のオリンピックに出場した人もいた。

まあ、今回のオリンピックについても、年代を超えてみんなの心に強烈に残りそうなのは確かだ。

大熊町のマスコットキャラクター「まあちゃん」。 震災後は避難で離れ離れになった町民の絆維持に奔走中なのだとか。

変化していく聖火リレーの今後

ところが新型コロナウイルス感染拡大のこのご時世ゆえに、大熊町で見た王道の聖火リレーが全国を巡れるとは限らなくなってきた。

ご存じの通り、大阪府は新型コロナウイルス感染拡大防止のために、公道での聖火リレーをやめ、万博公園内を走ることになった。組織委員会によれば「聖火ランナーの皆さんで希望される方は全員走っていただいた」そうで、1日約90名ずつが2日に分けて園内を走った。壮観だなあ、だけど一般客は入園できない。

さらに公園内での聖火リレーは無観客になるので、スポンサー車は帯同しなかった。あの華やかな隊列を大阪の方は見られなかったのか。残念。

コロナ禍での全国行脚は今後も様々に姿を変える可能性もあるが、これもまた歴史の1ページに記される。私たちはその瞬間をリアルタイムで眺めているのだ。

 

取材・文=眞鍋じゅんこ
撮影=鴇田康則

大熊町での聖火リレーはこれで終了。聖火を隣町まで車で運ぶために、ランタンに炎を移した。燃料は灯油だ。
聖火リレーが3月25日に福島県をスタートして、ひと月以上。7月23日まで粛々と全国を網羅するらしい。コロナ禍なので当初とは形を変える自治体も増えてきたが、聖火リレーの原型はこんな感じ、というのは前編で書いた。で、私たちがなぜ第1日目の福島県での取材に訪れたのかと言うと、もうひとつ取材しておきたいことがあったからだ。それは「復興五輪」。今更ながら、これは一体どういう意味なのだろう?