瀧川鯉八(たきがわこいはち)

落語家。1981年、鹿児島県鹿屋市出身。2006年瀧川鯉昇に入門、10年二ツ目昇進、20年5月真打昇進。独特の世界観を展開する新作落語で注目される。15・17・18年に渋谷らくご大賞、20年3月に花形演芸大賞銀賞受賞。出囃子は『悲しくてやりきれない』。10月中席から11月中席にかけて、コロナウイスル禍で延期になった寄席での真打昇進披露興行が開催予定。

人生で「創作」をしたことがなかった

──『散歩の達人』8月号で披露していただいた「江の島慕情」という落語は、2020年の春に作って6月に「渋谷らくご」でネタおろしされたばかりの噺ですが、どんなところから生まれたのでしょうか?
鯉八

みんな出かけられなかったからですね、湘南の海に。緊急事態宣言が出ている期間に作っていて。もちろん僕も行けないので、今回はネットを駆使して行ったつもりで書きました。喫茶店は架空のお店です。

──冒頭の道中づけ(落語で歩く道筋や地名などを言い立てる部分)は、本当に現地を散歩しているみたいです。散歩の落語と言えば、鯉八さんの新作落語で、亡くなった夫の墓前で昔の長崎旅行に思いを馳せる「長崎」という落語もありますね。
鯉八

「長崎」という噺は、長崎に初めて降り立ったとき、ここ、好きだなあと思って作った落語です。散歩、好きなんです。寄席から1時間くらいかけて、家まで歩いて帰ったりもします。喫茶店も好き。

──「長崎」にもミルクセーキやトルコライスなど、ご当地の喫茶店の名物が出てきます。古典落語にも具体的な町名や食べ物はよく出てきますが、現代の風景が描かれていると新鮮です。ところで、最初に「新作落語を作ろう」となった時って、何から始めたんですか?
鯉八

1作目ですよね? そもそも僕は、人生で「創作」をしたこと何もなかったんです。

──落語以外も?
鯉八

落語以外のことも、何もなくて。だから、落語作ろうってなったときに、自分の中に「手法」がない。もう、考えようと思っても、頭の中真っ白になっちゃって。

──どんな風にそこを突破したのでしょうか。
鯉八

星新一さんが好きだったから、星新一さんみたいなテイストで作ろうと思ったんです。でも、自分なりの「星新一さんぽい」っていうの作ってみたら、全然ウケなかった。それで、人の手法を真似してもダメなんだっていうことに気づいたんです。

──手法?
鯉八

もちろん、星新一先生みたいなものを作れなかったせいもあるんだけど、そうではなくて、手法が悪いんだ、これは自分と向き合う作業なんだっていうことに気づいて。それで2作目から自分の中にあるものを出すようになったんですけど、結局、お客さんが喜んでくれたのは4作目、5作目くらいからですね。

──その4、5作目は今もやっている噺ですか。
鯉八

やってないですね。これまで80本くらい作ったんですけどいつもやる噺、いわゆる“一軍”が10本。たまにいつもやってないのやろうかなっていうときの“二軍”が10本くらい。だから結局、60本は眠っちゃってるんです。二軍が一軍に上がる可能性はあるけど、残りの60本は二軍に上がることがない。一番いいものを作るために100本作る、みたいに考えてるのでそこはいいんですけど。

──たとえば「江の島慕情」はどんな位置づけでしょうか。
鯉八

笑いが多い噺でもないので、一軍には上がることはないですね。一軍っていうのは、お客さんのための一軍ですから。大事なアルバムの一曲っていう感じじゃないですか。独演会とか、何席かあるうちの一席ならやるかもしれない、という。

──年に何本くらいのペースで作っていますか。
鯉八

7本くらいですかね。いつも、大晦日に布団に入ったときに、「今年、来年もできるやつあるかな?」って振り返るんです。一本でもあると、すっごい気持ちよく年を越せるんですよ。たとえば今は2020年が半分終わって、今のままじゃゼロ本だぞって、だんだん焦ってきてる。1本も残らない年のほうが圧倒的に多いんで。

田舎町にきたサーカス団みたいになりたい

──初めて落語を作ったのは何年ですか?
鯉八

2006年入門で、2007年の終わりですね。前座時代、こっそり作って、こっそりやっていました。

──師匠(瀧川鯉昇さん)もご存じだったのでしょうか。
鯉八

新作落語は、前座はお客さんの前で、商売としてはやっちゃだめなんです。師匠に、宣伝とかはしないのでいいですかって聞いたら、もちろんルールとしてはだめだから、表だってはダメだけど、隠れてやるならどんどんやれと。師匠は“どんどんやれ派”だから、そこは全然。やっちゃダメって言う師匠もいると思うんですけど。

──どんどんやれ派、いいですね。
鯉八

師匠にはよく、一生古典をやらないでほしいって言われます。新作落語を作れなくなったから古典をやる、というのはやめなさいと。お前が古典をやり始めたら、もう作らなくなったんだって思うよ、と。「ずっとへんてこなのを作ってなさい」って言われます。

──へんてこなのを(笑)。
鯉八

ずっとへんてこな感じで生きていきなさいと。尊敬されたいとか、センスがいいとか思われるように作るのは僕もだめだと思って常に肝に銘じているんですよ。とにかく、面白いってお客さんが笑ってくれるのを優先するべきで。「全然うけないけど、私がわかんないだけで、すごく才能あるんじゃないの?」「よくわかんないけど、たぶんすごいんだと思う」みたいのはやめなさいと。

──新作だけでいこう、と決めたきっかけは。
鯉八

東京の生まれじゃないので、まず、イントネーションがつらい。だからもう名人になれないなと。その代わり、歴史に残る発明をしたいなと思ったんですよ。

──常に新しいものを作っていくなかで、決めているルールってありますか?
鯉八

自分としては、自分の中の成功体験を追わないように作ってます。でもそれは作り手のエゴで、本当は、受けたやつを真似して、そっちのほうがさらによくなればいいのかなとは思うんですよ。でも、「自分を更新しない」というのはテーマなんです。

たとえばミュージシャンでも、ヒット曲のあとに違うテイストの曲がきたら「違う、君に求めてるのはそうじゃない」ってなるお客さんの心理はわかる。だけど作り手としては、自分の模倣をしていくのに耐えられなくなるんですよね。真似をしてもいいもの作ればいいんじゃないかって言う考えもあるんだけど、それに耐えられなくなってるんだよね、自分が。

──真似をしないようにというのは大変なことですが、逆に、違うものとして作ってきた80本の落語に、共通する要素ってありますか。
鯉八

自分の、気持ちにある醜い部分、人には言いたくないような部分をさらけ出すようにはしますけど、それはお客さんには悟られないように。お客さんを、煙に巻きたいって言う気持ちがあって。田舎町にきたテントだけはってるサーカス団みたいな、そういうちゃちい手品師みたいになりたいっていうのがあるかな。大仕掛けのサーカスじゃなくて。

──大仕掛けじゃない、というのは落語らしいですね。どんなに鯉八ワールドでも、きちんと「落語」になっているのはそういうところにあるのでしょうか。
鯉八

でも、僕が作ってる落語は、田舎の両親は全然意味がわからないっていうんですよ。ま、師匠もわかんないって言うんですけど(笑)。両親とか僕の師匠とか、僕より年齢の高い、僕の大切な人に、理解されてないわけですよね……。でも、それも考えがあって。僕は完全に、同世代に向けて作ってるんです。

以前は「中学生ぐらいの多感な時期の自分がどう思うか」みたいなことを考えてやってたこともあるんですけど、最近は、現在の僕が、パラレルワールドで違う仕事をしてて、ふらっと落語を見に来たときにどう思うかっていうのを考えてやってますね。

──自分で自分を見ている。不思議ですね。
鯉八

昔から、ちゃんと寄席でウケる人に合わせて作れってよく言われんですけど、70歳の師匠が同世代の客席に向けてやるのはいいんだけど、ぼくが70歳の方に向けて作っても、10年後はどうするんだ? と。それで10年20年経てば客層は僕の同世代になっていくと思って作るんだけど、今、自分の大切な師匠や両親に伝わってないって言うもどかしさはあるんですよね。

本当に面白ければだれも放っておかない

──お客さんに喜んでもらいたい、という気持ちは強くありますか。
鯉八

僕は今年40で。新作やりはじめたころは20代後半なんですけど、若い頃なんてお客さんがどう思おうと関係なく、むしろ自分がいいと思うものを作ったほうがいい結果になると信じてたんです。自分と向き合って向き合って、自分のエゴをだしたほうがお客さんが喜んでくれるものを作れると。でも、年齢を重ねていくと、経験としてみんないろんな人生があるっていうことに気づいて。やっぱり僕の落語で幸せになってもらいたいなと思うんですよね……。

災害やこのコロナみたいな状況になったとき、芸術がみんなを幸せにするっていうと、よく叩かれがちなんです。落語もよく人を救えないって言われる。でも、僕の落語だけは、悲しんでる人を幸せにできると思ってやってるし、それはほんとに思ってる。もう、選ばれた男だっていう、使命ですよ。

──その、自信の根拠って何ですか。
鯉八

中学生くらいが思ってる無根拠な自信があるじゃないですか。常にあの火が消えない。むしろ、常に薪をくべてるみたいなところがあります。

──薪をくべる……! そういう自信のあり方って今の時代では新鮮な気がします。
鯉八

でも、大いなる野心はないんですよ。最近、野心は誰でも持てるものじゃないっていうことが気づいたというか。ただ才能だけがある。才能をもてあましてる男だと。

──どんどんいい作品を作れるはずだと。
鯉八

だから意外とやることがもう絞られていて。自分のおもしろい落語を作るだけって決めてて、そのために時間を使いたい。いま主流の自己プロデュースと真逆なんですよ。頭が固くて、古いんです。

能力がなくても打って出ればそれに実力が後から追いついていくんだ、とも思うんだけど、それができない。本当に面白ければ誰も放っておかない。放っておかれているってことは、本当に面白いものを作れてないんだって思う、そういうのがバネになってるかもしれないんですけど。

──古典落語のように、新作落語も、他の落語家さんが作ったものをやるということもありますよね。鯉八さんの落語をやりたいという方もいらっしゃるのでは。
鯉八

断る。絶対に断る。昔一回あげたことがあったんですけど、自分の富を守れなかった、唯一の持ち物を守れなかったっていう後悔があります。自分の子供とか愛する人差し出すか?っていう話ですよ。くださいって言った人に嫌われたくなくて、そこをかっこつけちゃったなって。他の人のテクニックでお客さんにウケたとしても、僕の落語の本質で伝えられるのは僕しかいないと思ってます。

全部自分の顔だと思ってやっています

──落語は聴いていると、登場人物の人相がぼんやり頭に浮かぶことも多いのですが、鯉八さんの落語は、全部鯉八さんの顔に見えるんです。
鯉八

他の人がどう考えてやっているかはわからないけど、僕は全部自分の顔だと思ってやってます。『青年の主張』ってありますよね。あれなんです。落語の手法で何人か登場人物にわけて見やすくしてますけど、本当は一人の人間の話で、一人称でいいくらい。人の言葉じゃなくて自分の言葉で語りたい。

──噺によって自分語りの手法はさまざまですが、中毒性があるというか、ときどき“教祖感”を感じることがあります(笑)。
鯉八

僕の宗教はその場限りの宗教なんで。マクラで宗教感出すよりはいいですよね(笑)。

──たとえば、夏休み中にウサギの世話を誰がやるかを多数決で決めようとする「多数決」という噺や、名前を呼んでそれに応えるというコールアンドレスポンスが続く「おはぎちゃん」など、笑いつつもどこか風刺的な落語も多いなと感じます。「おはぎちゃん」は、いつの間にかほのかな独裁者感がただよってくるというか、狂信的な感じに背筋が寒くなるというか。
鯉八

「おはぎちゃん」に関しては、シンプルに、大きな声で誰かを呼ぶって気持ちいいな、大きな声で誰かに呼ばれるって気持ちいいよね、という噺で。大きな声で呼び合うという落語はないから、それいいなと思って肉付けしたんです。おはぎちゃんも、僕のことです。世の中に放っておかれてるから、無視すんなよって(笑)。でも、応えるか応えないかは僕の気分次第で決める。常に主導権はこっちだよ、と。

──なるほど。どの作品も自信を持ってネタおろしされると思いますが、過去の作品をなぞらないということは、お客さんの反応を読むのが難しそうです。
鯉八

僕は、えらいすべるんですよ。落語だって競争だし、マラソンでいったら世界新記録をだして一位になりたい。でも、よく考えたら観客を喜ばせるプロですから、めちゃくちゃ遅いけど走り方が面白いとか、遅いけど応援したくなるみたいなのもあるのかな?と。でも、そいつはあくまでも世界記録を出したくて、面白い走り方をしたくて走ってるわけじゃないというのが大事で。

キャリアを重ねていくと、みんなすべらなくなっていくんですよ。すべりたくないし、すべらない手法を学びますから。新作落語の天才で、春風亭百栄師匠っていう方がいて。百栄師匠に7~8年前に言われたのが、みんな三振しないようにするけど、そうならないでくれって言われたんです。三振しないってことは、大振りしないってことなんですよね。ホームランは、大振りする奴、三振する奴にしか打てないから。

──三振もする奴にしかホームランは打てない。いい言葉ですね。5月に真打に昇進されましたが、今、どんなことを考えていますか。
鯉八

常にすごく時間を気にしてます。寿命というか、残された時間。まあ、明日も命あるかというとその保証はないんだけど。単純に平均寿命でいくとあと何十年だろうとなったときに、2カ月かけて作った落語がだめだったら、有限な時間を無駄にしてしまったんだという絶望に襲われる。

日々の暮らしや仕事の忙しさでだんだん希望の気持ちがすり減って、こなすだけになっちゃうのが一番怖いし、それが一番時間がもったいないと思うんですよね。だから、創作に集中しているときは他の仕事を断ることもある。お金も入らないし、次は声もかからないかもしれないしから、かなり勇気をもって断る。もちろん師匠や仲間の仕事は断らないですが。自分が作りたい、自分の思いにもっと忠実な落語を作りたいという、青臭い考え方も死ぬまで持ち続けようと思ってます。

──延期になった寄席での披露興行は10月中席、『新宿末廣亭』からはじまります。いま作りたいなと考えている噺はありますか?
鯉八

おめでたいネタを作りたいなと思いますね。自分の披露目だけじゃなくて、次に誰かのおめでたいときに寄席に出る機会があったらと思うと。なんか、僕のネタは嫌な噺が多いんですよね……(笑)。

取材・構成=渡邉 恵(編集部) 撮影=武藤奈緒美
撮影協力=かふぇ・あっぷる

明けない夜はないけれど、夜がなければ朝もない。2020年5月に真打昇進した新作落語の奇才・瀧川鯉八さんの創作落語で、深夜の湘南江の島へ。不思議なトリップを、音源とともにお楽しみください!