200年先にも残るコンクリート

「蟻鱒鳶ル」を手がける一級建築士の岡啓輔さん。
「蟻鱒鳶ル」を手がける一級建築士の岡啓輔さん。

岡さんが蟻鱒鳶ルを作り始めたのは2005年。現代の建築のあり方に疑問を抱いており、それもこのビルを作るきっかけのひとつになったのだそう。

「今の建築に使われているコンクリートって耐用年数は35~50年なんですよ。各地で高層ビルが次々に建っていますが、あれだけ大規模に工事をしてとてつもない金額をかけて、たった35年しかもたないなんておかしいと思っていました」

そんな思いから、岡さんは水分量を調整しながら強度が高く耐用年数も長いコンクリート作ります。一般的な建物に使われるコンクリートは、セメントに対する水分の質量が60%ほどですが、これを37%程度に抑え、「200年もつ」と鑑定された密度の高いものになりました。

完成図なしで作り上げる即興建築

内部の階段からは伸び上がるような意匠が。
内部の階段からは伸び上がるような意匠が。

生き物がうねり立ち昇るような、他に類を見ないデザイン。現代の建築は完成図を作ってから建物を作り始めますが、蟻鱒鳶ルはそれを行わない「アドリブ建築」なのです。

「気に入っているところもありますし、『あぁ、失敗したなぁ』と思うところもあります。でも、それもそのままにしていますね」

きめ細かで美しいコンクリートと鋭い装飾の外壁。
きめ細かで美しいコンクリートと鋭い装飾の外壁。

人間も完璧な存在ではなくさまざまな面を持っています。それでも、よくない部分や後悔するような過去も抱きとめながら生きている。岡さんの話を聞いていると、この蟻鱒鳶ルもまた、そんな人間味を帯びた建築であるように感じます。

さらに、岡さんの心境の変化も建物に宿されていきました。

「ここ100年くらいの建築業界において、装飾は不要だとすら考えられ、僕も、装飾を削いだツルンとしたデザインを褒められて育ってきました。でも、僕はこれを作り始めてから、装飾というものに向き合い続けました。そして、考えきることができたかなと思っています」

そのため、最近作られた上の階の方が装飾が多い作りになっているのも特徴的です。

カオスなのに調和も感じる不思議な空間。
カオスなのに調和も感じる不思議な空間。

そんな、装飾に対する、岡さんひとりの試行錯誤に変化が起きたのが2021年。

「再開発のために、完成までの期限が切られたんですよ。そのため友人らに協力してもらうようになりました。なので、ここ数年は多くの人が参加してくれて、僕の思いだけでなくいろんな人の思いが入りながら出来上がっていきました」

ジャズのアドリブ演奏にもたとえられる建て方で、さながら岡さんのソロコンサートだったものが、完成に向けて大きな楽団のように展開してきたのです。

一度は「もう無理」だと思った時も

約20年で屋上までたどり着いた。奥に見えるのは丹下健三が手がけたクウェート大使館。
約20年で屋上までたどり着いた。奥に見えるのは丹下健三が手がけたクウェート大使館。

建設当初は3年ほどで完成予定だったものが、やがて20年。なかなか完成しないことで知られるサグラダ・ファミリアの建築家ガウディになぞらえて、岡さんは「三田のガウディ」とも呼ばれています。

この長期間に及ぶ建築作業、諦めそうになったことはなかったのでしょうか。

「今まで、これを作っている理由について、いろんなところでで建築の理屈をしゃべっていました。でも、妻に別居すると言われた時に、モチベーションの半分くらいがゴソっとなくなった感じがしました。誰にも言っていなかったんですが、妻のためという思いがとても大きかったんです。そこで一度、無理だと思いました」

それでも、現代の建築に対するアンチテーゼや、自身の表現として「まだやり抜く理由があると思える部分が残っていたので、もう一度腰をあげました」と奮起し、今の姿があるのです。

まだ完成ではない!? 蟻鱒鳶ルの未来とは

再開発が進む街と蟻鱒鳶ル。
再開発が進む街と蟻鱒鳶ル。

ごく最近まで、再開発の影響で、蟻鱒鳶ルは足場とシートに覆われる数年間を過ごしました。それが外れ、全容が姿を現したのが2024年10月。

うねりながら呼吸をしているようなそのフォルムに、多く人が足を止めるようになり、SNSやメディアでも注目を集めます。

紙面やネット上には「ついに完成」という言葉も躍っていたのですが、岡さんは「僕は完成なんて一言も言ってないんですよ(笑)」と話します。

この窓も今後さらにアップデート。
この窓も今後さらにアップデート。

「完成の基準をどこにおくかによりますが、自分が考える建築とは何かというコンセプトはすでに示し終えているとは思います。ただ、完了検査という役場の検査を通過するための作業がまだ必要です。また、それでも完璧だとは思いません。隙間風をどうするか、階段の手すりをどうやってもっといいものにするかは、それから考えていきます」

2026年の春頃には、多くの人に中を見てもらう機会を作るそう。

「今でも、見に来てくれる人たちに“どうぞ”って言いたいんですけど、作業が進まなくなるので、公開まで我慢しておいてくださいね」と岡さん。

都会の中で異様な存在感を発する蟻鱒鳶ル。目の前に立つだけで、唯一無二で圧倒的な存在感に心を打たれるはずです。内部公開の日を楽しみにしながら、その外観を生で体感してみてはいかがでしょうか。

取材・文・撮影=Mr.tsubaking