つけ麺の歴史を語るうえで外せない店
初めてうかがったのは2018年、当時月刊『散歩の達人』で連載していた「町中華探検隊がゆく!」の取材でのことだった。
当時からずっと思ってきたことだが、『お茶の水、大勝軒』はこうして記事を書く身からすると実に「コンテンツ」が多い店だ。まず語るべきは店の看板メニュー、もりそば。しっかりした噛みごたえは自家製麺ならではで、一口、また一口と食べたくなる。
店主・田内川真介さんはもりそば(つけ麺)を世に広めた山岸一雄さんの旧東池袋大勝軒に惚れ込み大学生の頃から修業していた、もりそばの遺伝子を継ぐ男。自身も家族に連れられて幼いときから旧東池袋大勝軒に通っていたという彼は、「リニューアルしてからも土・日は家族連れにたくさん来ていただいています」と話してくれた。時代が変わっても家族に愛される、それが『大勝軒』のもりそばだ。
「もりそば」視点で、少しだけ補足しておきたい。旧東池袋大勝軒、さらには『お茶の水、大勝軒』のスゴさを思い知るはずだ。
旧東池袋大勝軒のルーツは、2023年に惜しまれつつ閉店したつけ麺の名店、荻窪「丸長」だ。同名の中華・つけ麺店は今なお関東を中心に30店舗ほどあり、「丸長のれん会」を形成する。こののれん会は「ラーメンのれん会」としては日本最古とも呼ばれ、今ものれん分け店は増えている。『お茶の水、大勝軒』はこのグループの中核を担う店だ。
その歴史は80年近く前にさかのぼる。1947年、長野県出身の青木勝治さんが日本そばの製麺技術を生かし中華そば店荻窪「丸長」を創業。創業者の1人、坂口正安さんがその後、独立して開いたのが『中野大勝軒』で、若き日の山岸一雄さんはここで腕を磨き旧東池袋大勝軒を開く。
『丸長のれん会』には自家製麺の教えがある。どの店も製麺技術を磨き、自家製麺にこだわっている。日本の「麺」史を語るうえで外せない『丸長』『大勝軒』の歴史を噛み締めながらいただく特製もりそばは、また格別だ。
料理に息づく山岸さんのDNA。カレーライス、チャーハンなど町中華の味を復刻
そして田内川さんは、味を「復刻」させる達人でもある。旧東池袋大勝軒というと、前述のもりそばが看板料理だが、実はもともと「町中華」メニューをたくさん提供していた時代があり、田内川さんは昭和町中華の味も今に引き継いだ。
『お茶の水、大勝軒』では現在、カレーライス、チャーハン、さらには餃子や焼売など山岸さんの味の復刻版を提供中。これらの味を継ぐことを条件に独立を許されたという田内川さんは、少しずつ復刻版を増やし続けてきた。
偶然見つけた昔のメニュー表が、復刻料理の原点
それにしても、昭和の味をそのまま今に再現するとは……。「本当にスゴいことですね」と改めて話すと、田内川さんは復刻版の誕生秘話を教えてくれた。
「気づけば“スゴい”ことなってしまいましたね。もともと僕が『東池袋大勝軒』の製麺室で古いメニューを発見し、自分でも食べてみたいというところからマスター(山岸さん)に聞いたのがきっかけ。マスターから直接レシピを教えてもらったメニューも多いですが、マスターが亡くなってからは『中野大勝軒』 直系の代々木上原『大勝軒』に残っていたレシピをヒントにして復刻したメニューもあります。ほかの店のレシピを入れてしまうと、本当の復刻にならない。これらの料理は本当に直系の味です。違うものを参考にしてしまうとDNAが変わってしまいますから」
田内川さんがメニューを見つけていなかったら、山岸さんからレシピを教わっていなかったら、代々木上原の店に山岸さんの味が伝わっていなかったら……と思うとゾッとする。時代を超えて愛される料理、そんなふうに言葉にするのは簡単だが、味を引き継ぐとはなんと大変なことだろう。『お茶の水、大勝軒』の料理をいただくといつも、料理とは文化であるなあと、じーんと感じ入ってしまう。
復活してくれてありがとう、そう言ってくれるお客さんも多い
4年ぶりのリニューアルとなり、うれしい声をかけてくれる人も多いと田内川さん。「本当はこちらがありがとうございますって言わなきゃいけないのに、戻ってきてくれてありがとうございますと言われることも多いんですよ」。
来年(2025年)は師匠、山岸さんの没後10年でもあり、新たなプロジェクトにも期待してほしいと、ワクワクする話も聞かせてくれた。「昔ながら」でありながら、店主にもスタッフにもバイタリティがあふれ、新しい息吹も感じる『お茶の水、大勝軒』。もりそばしか食べたことがなかったという人、本当もったいないです! 二度、三度と行かないとこの店の本当の魅力はわからないはず!
取材・文・撮影=半澤則吉