昭和の風情が色濃く残る江戸前天丼の名店
JR有楽町駅と新橋駅を結ぶ高架下のディープなエリアに足を踏み入れると、昔ながらの飲食店が立ち並んでいる。昼時とあってちょうどおなかもすいてきたところで、ガード下で光る“天麩羅”の看板に誘われて店に入ってみることにした。
『有楽町 天米』は、1952年に創業した江戸前天ぷら屋。初代店主はかつて神田須田町にあった高級天ぷら店「天米」で修業した職人で、のれん分けされて有楽町に出店。開店からほどなく店主が亡くなり、女将のいとこにあたる川口成一さんが養子となり2代目を継いだ。今なお厨房に立つ成一さんから店を託されたのは三男の敬紀さん。現在は3代目が中心となって、親子で店を切り盛りしている。
10年もの間さまざまな日本料理店で経験を積んだ敬紀さんは、29歳の時に店に入り、老舗の味を受け継いだ。
「江戸前天ぷらの流儀は諸説ありますが、新鮮な魚介をごま油で揚げた天ぷらを“江戸前”と呼んでいます。うちは天丼の場合、天ぷらを丼つゆにさっとくぐらせて盛り付けるので、サクサクした衣ではなく、しっとりした食感の天ぷらをお楽しみいただけます」と敬紀さん。
何十年も注ぎ足されてきた丼つゆは創業当時から変わらぬ味。この店の天丼目当てに長らく通い続ける客も少なくない。
敬紀さんが店に入ってから、メニューのバリエーションが増えた。毎朝、豊洲で新鮮な魚を仕入れ、ランチでは定番の天丼、天茶漬けのほか、曜日限定で天ぷらと刺し身の定食を提供。夜も天ぷらだけでなく、焼き魚や小料理など、晩酌にうってつけのメニューがそろう。
さて、今日のランチは何をいただこう。
独特のしっとり感がたまらない天丼にドハマり!
数ある天丼の中から今回選んだのは、かき揚げ・エビ・キス・野菜1種がのった天丼1200円。
蓋付きの丼だと、なんだかテンションが上がる。蓋付きにしている理由をうかがうと、「丼がなるべく冷めにくいように、昔から蓋付きでお出ししています。ちょっと蒸らしてから食べたいというお客さんもいて、それぞれお好みで楽しんでいただいています」とのこと。
早速、蓋を開けるとごま油の芳醇な香りがふわっと立ち上がる。この日の野菜はナス。
衣は丼つゆがしみしみで、見るからにしっとりしている。また、衣の付き具合が絶妙で、口の中でふわり&ほろりとほどける感じがいい。エビやキスの食感も良く、成一さんの熟練の技が光る。
かき揚げの具材は、イカと小エビ。このかき揚げがまたしっとり衣にマッチしていて、白飯といっしょにかっこみたくなる。
丼つゆは甘すぎず辛すぎず上品で、さすがは名店の味。このつゆがしみたご飯、いくらでもいけてしまう!
ご飯がおいしい理由は、2升釜で少なめの量の米を炊いているから。1升分ちょっとくらいの量で炊くと釜の中で米が踊り、ふっくら炊くことができるそうだ。ややかために炊き上がるように水加減を調整し、しみしみ衣の天丼にピッタリのかたさに仕上げている。
「常連さんに、『おこげありますか?』ってリクエストされることもあって、よほどおいしいんでしょうね」と話すのは敬紀さんの母・安子さん。
油っぽさやしつこさはまったく感じられず、最後までおいしくいただけて大満足! 食べ終えたあとも口の中がしあわせだ~♪
客が愛してやまない昭和レトロな雰囲気と家族の人情味
「繫盛期はものすごい数の天丼の注文が入って、丼つゆが底を突きてしまいそうなくらいだったんですよ」そう言って、昭和の時代を懐かしむ安子さん。3人の息子を育てながら50年以上、女将の役目を担ってきた。
もともと看護師だった安子さんは仕事が大好きで、病院で働き続ける気満々だったそうだが、「ここにお嫁に来たら、ずっと店に立つようになって。主人にだまされたんですよ」とうれしそうに笑う。
安子さんの出身地である鹿児島からも客がやってくるそうで、志布志市長もこの店のファンだとか。「地元のローカルテレビで紹介された時は、親族や友人がとても喜んでくれましたね」。
しっとり衣の天丼とアットホームな雰囲気で、多くの人を虜にし続けている『有楽町 天米』。長らくこの地で営業し続けてきたが、一時は立ち退きの話が持ち上がったこともあったという。
「数年前に高架橋の補強が行われることになったんですが、ここは運よく大工事をしなくて済んだんです。お客さんには『今の雰囲気じゃなくなっちゃうと落ち着かない』って言われてたんで、本当によかったです」と敬紀さん。客がそう言うように、この昭和レトロ感はめちゃくちゃ居心地がいい。
味も店も人情味も何ひとつ変わらぬまま、ずっとこの場所にあり続けてほしいと願ってやまない。次回は鹿児島の焼酎で天ぷらをいただくとしよう。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=コバヤシヒロミ