視線の先には生い茂る木々。「シロはどこだー!」と、『ねじ式』風に叫ばずにはいられない。城は観光地ではなく軍事施設。生半可な気持ちで足を運んではいけない。
だがここは、光秀ゆかりの城の中でも、群を抜いて個性的だ。特にそのスリバチ天国っぷりには、地形マニアも思わずうなるはず。「こんな城もありなのか」と、目からウロコ。アクセスのハードルは高いが、わざわざ訪れる価値はある。
住所は京都市内。だが京都駅から北へ向かうこと車で約1時間、バスなら1時間20分もかかる。旧京北町エリアを代表する産業は林業で、毎年「木こり技能大会」も開催される。歴史上、数々の名建築を産んだ北山杉の産地は、京の都から一山も二山も越えた先にある。周山はこのエリアの中心地で、かつては京都と若狭湾の小浜を結ぶ周山街道(現在の国道162号)のほぼ中間点。隣国・丹波から京都を睨む位置でもあり、光秀はここを要地と見たわけだ。築城は丹波平定から2年後の天正9年(1581)、本能寺の変のわずか1年前。従兄弟の光忠が居城としていた。
周山城の登城口は少々わかりにくい。周山市街の旧道沿い、JA京北支店前バス停脇から西へ。住宅街を抜けた先の行き止まりにある、茅葺屋根の民家脇から山へ入ってゆく。
登城口からの登山道がゆるやかなのはほんの数分で、いきなりドカンと壁が立ちはだかる。さっそく来たか。
はるか頭上に尾根が見える。周山城の比高は220mだが、ここだけで100mぐらいはありそう。つづら折りの小道をたどり、息を切らせながら歩を進めること10分ばかり。なんとか尾根にたどりついた。
ちょうど斜面から尾根へ上がる部分が、土塁を用いた虎口状になっている。「まずは入口で敵を防ぐ仕掛けか?」と思われるが、後世の造成の堀底道のようにも見える。ここを抜けた尾根上にかなり広い平坦地があり、そこも城域らしいので、虎口があってもおかしくない。心臓破りの急斜面の先に虎口を構えるのは、防御思想的にも理にかなっている。
が、城の遺構らしきものはそれぐらい。その先、今度は尾根から斜面に細くつけられた小道をたどる。足を滑らせないよう気を張りながら先へ。
※比高(ひこう)/麓から城の最高地点までの標高差。
150mぐらい進んだところで、道は折れ、方角を変えて鬱蒼(うっそう)とした森へ。ここから少しづつ登りに。道は相変わらず細く心もとない。ホントにこの先に城があるのか? 不安にかられつつ、林間の道をたどる。
入口の虎口から10分ばかり歩いただろうか。ようやく、はっきりした城の遺構が現れた。平虎口だ。石積で補強した土塁が、侵入者を阻むように両側から迫っている。
虎口自体は折れのないタイプの平虎口だが、ここまで登ってきた道からは右に直角に折れ曲がる。その手前の細い道の右手は、ただの斜面のように見えていたが、実は上部は土塁になっていた。傾いて滑りやすい斜面の道を、頭上からの攻撃をかわしながら駆け抜けた先に、右に急転して虎口。突破するのは容易ではない。
斜面を登り、虎口を抜け、ようやく本格的な城の中心部へと突入したかと思いきや。
甘かった。
目の前には反り返るような急斜面。まじか。
山城ではしばしば「これ登るのか……」という場面にでくわすが、「城内に着いたー!」と思った瞬間にそれが来ると、精神的ダメージが大きい。
さっき延々、壁みたいな急斜面を登ったのに、またか。比高と距離は半分くらいなのが、せめてもの救いだ。
水分補給で一服。気合を入れ直す。幸い、見通しはいいので迷うことはなさそうだ。しかしこれ、上から巨石とか落とされたら逃げ場がないな……。
登り切った先でまた、直角に曲がる平虎口があり、その中は妙に細長い尾根上の曲輪だった。
一部薄いところもあるが、両サイドは土塁でしっかり防御。大小様々な岩石が散らばっているのは、破城の跡? いずれにしろ相当の量だ。堀底道というよりは、明らかに曲輪といえる広さと形状。その半分はゆるやかな斜面になっていて、その先が本丸になる。
本丸の中央部は、土塁にグルリと囲まれてすり鉢状になっている。本丸自体も土塁で外周を覆われているので、同心円状に二重スリバチ状態。こんな不思議な形状の城は、見たことがない。それぞれに虎口はあるが開口部がずれていて、直線的な侵入を阻止する造り。
本丸には天守もあったとされ、光秀が豪商で茶人の津田宗及(つだそうぎゅう)と、十五夜の月見を楽しんだという話も残る。しかしこの山中に天守を築くのは相当だ。木材はふんだんにあるが、瓦など麓から運ばざるを得ない資材も多数あったはず。もし自分が家臣だったら、「ちょ、待てよ」だ。
周山城の見どころは、まだまだ本丸の先にも。段曲輪が連なる西側の尾根を下った先にあるのが、圧巻の高石垣。斜面の側に回りこむと「おおっ」と思わず声が出る。
握りこぶし大から人頭程度の大きさの石による野面積。急斜面と一体化し、さらにその上へと盛り上がっている。つまり切岸&高石垣のハイブリッド構造だ。美しく、かつ鉄壁の守り。光秀、やるな。
※切岸/斜面を人工的に削って断崖絶壁化したもの。
高石垣のある北斜面には、見どころがもうひとつ。井戸だ。城にとって重要ポイントのひとつである井戸だが、石垣や土塁と比べて見つけにくいことが多い。過去何度、井戸を追ってヤブや谷間に迷い込んだあげく、発見できず諦めたことか……。
本丸手前まで引き返してから、少し下るのが、井戸を探すには正しいルートなのだが、今来た尾根を登ってまた下って、というのはシンドイ。位置的には、高石垣から斜面を横移動していけばショートカットになるし、水平移動ですむ。というわけで道なき急斜面を這いつくばって進んでゆくと……。
井戸、無事発見。
小ぶりだが、しっかりと残っていると感動もの。本丸からの距離も近くて使い勝手はよく、見通しの良い急斜面のど真ん中にあるため、水回りを押さえに来る敵も撃退しやすい。さすが光秀だ。
そのまま斜面をカニ歩きで移動してゆき、北に伸びる長い尾根にたどりつく。縄張図だと、ここにも段曲輪が連なっている。上から眺めると一見、単調。だが下ってから振り返ると、ところどころにガツンと落差が。見事な切岸。左右いっぱい、あおりで写真を撮る。
縄張図上だと、約200mは段曲輪が下へ下へと連なっている。「下れば下った分だけ、帰りは登りなんだよな。でも、いい切岸がまだ先に隠れているかもしれないし」と逡巡しつつ、結局、鞍部になった城域の端っこまで歩いて行ってしまった。
折り返しの道程は予想通り。切岸に出会うたび、這うように登る。頭上から城兵の攻撃がないだけマシか。途中で脇にそれるかすかな別の道を発見し、たどってゆくと「破城跡」の曲輪に到達した。
登りに比べて下りは早いし、身体的にもかなり楽。今回のように、元来た道を引き返す場合は、迷う心配もなく残りの距離もわかっていて安心。往路で感じた「はてしなさ」はまるでなく、無事に城を攻め落とした満足感に包まれながら、ビクトリーロードを下っていったのだった。
『周山城』詳細情報
取材・文・撮影=今泉慎一(風来堂)