「じいちゃんと一緒に働きたい」。3代が揃って働く店
青柳ベーカリーが扱うのは、パンだけではない。焼き菓子もあれば、レジ横にはお赤飯があったり、それだけでなく、クリスマスにはケーキ、年末には餅、バレンタインにはチョコも並ぶ。どうしてそんなにも幅広い品物を作るようになったかというと、初代、2代目、3代目それぞれが要望や時代に応じた技術を培ってきたからだ。
お店を開いた初代の青柳三夫(あおやぎみつお)さんは、15歳から給食用のパンを作る工場で働き、パン作りを習得。現店主で息子の徹(とおる)さんが生まれる少し前に篠崎の地でパン屋として独立した。
開業から間もないころ、近所の人たちから和菓子も作って欲しいという要望を受けた。そこで和菓子や餅作りもしていたパン屋で修業を積んで、餅や赤飯まで店に並べるように。
84歳になって「若い人がしっかりやってくれているから、任せている」と話すが、クリームパンのカスタードクリーム、コロネに入れるチョコクリーム、あんぱんなどのあんこは、今も三夫さんが作っている。
現在、主な担い手である2代目の徹さんは、ケーキ職人としてキャリアをスタート。目黒にある有名店で7年修業したのち、三夫さんが体調を崩したタイミングで『青柳ベーカリー』へ。父からパン作りを引き継ぎ、餅も、焼き菓子も作るマルチ職人となった。
店の奥にある電動の餅つき器は、今では珍しいタイプ。自動で上下する杵に合わせて、手で生地を返しながら、餅の出来を判断している。正月用以外にも近隣の寺から供え餅の作り手として頼りにされている。
もちろん徹さんはケーキが専門なので、バースデーケーキのオーダーにも対応。まさになんでもござれだ。
そして、2022年の末、3代目となる航(わたる)さんも家業に入った。まだ25歳の航さんは、専門学校で製パンを学んだのち、2つの店で修業。「じいちゃんと一緒に働きたい」と実家に戻ってきたというから泣かせるではないか。かくして『青柳ベーカリー』は現在、祖父、息子、孫の3代が一緒に商品を作る貴重なパン屋さんになった。
センスを生かしてフランスパンを作る2代目と知識を生かしたパンを作る3代目
古くからの人気商品は昔ながらのパン屋さんらしく、手作りの総菜パン。コロッケやハンバーグ、サラダなどを挟んだパンは、具材もドレッシングやマヨネーズも店で作っている。
冷蔵ケースに入っているサンドイッチもいろいろ。人気はサラダパンで、食感をしっかり感じられる大きさのレタスやきゅうり、りんごなどをさっぱりしたドレッシングであえている。きちんと野菜を食べた感じがして、また食べたくなる。
棚にならぶフランスパンは2代目の徹さんの手による。実は徹さんはパンを焼き始めて20年ほど経ってからフランスパンを独学で焼き始めた。「息子がパンをやるんだったら、パンをきちんとやっておこうと思いました」と徹さん。つまりパンの後継者がいることを意識してパンに力を入れることにしたのだ。
それは息子の航さんが専門学校で製パンを学んでいたころのこと。航さんが習ってきた知識や教科書を参考に、職人として培った経験とセンスで焼き上げたフランスパンは、店に欠かせない商品に成長。材料がシンプルなフランスパンは、発酵の進み具合や焼くタイミングが湿度や温度に左右されて、今も難しいと感じているそうだ。
理論以上に実戦と感覚をフル回転させて納得がいくフランスパンにたどり着いた父を、3代目航さんは「ジャンルレスに作れる化け物じみたセンスのよさ」と尊敬する。その航さんが焼くパンは店の中央に並ぶ。
ひと際大きく、装飾を施したパン・オ・ヴァン・ルージュは赤ワインを生地に使っていて、ナッツやドライフルーツをたっぷり混ぜ込んでいる。食べ応えのよさに加えて、発酵の香りもかすかに残り、熟成を楽しめるパンだ。
まるで青山や銀座の店にでも並んでいそうなラインナップは、予想に反して近所のお年寄りたちが興味を示して、「これはどんなパンなの?」と質問しては買っていき、リピーターもいる。
航さんは、本来は洋菓子の職人である父、徹さんの技術が十分に生かしきれていないことを店の課題に感じている。確かに、ケーキ用と思われる冷蔵ケースには商品がまばら。「あれもこれもやりたいんですけど、手が足りないので何かを増やすには、何かを止めなくてはならない。でも、どの商品も愛されすぎているんです」と誇らしげだ。
航さんが専門学校や修業先で培った技術や知識が加わったことで、『青柳ベーカリー』は、地域のパン屋さんとして愛されながら、次の段階に進みつつある。粉を厳選し、製法にも変化が生まれて、味も底上げされた。親子3代が作る味はこれからますますレベルアップして、他の地域からも買いに訪れる人が増えるそうだ。
取材・撮影・文=野崎さおり