よそとはちょっと違うパン

JR巣鴨駅と都営三田線千石駅の中間あたり。白山通りから少し入った、かつては商店街として栄えていたであろう通りに『個性パン創造アルル』はある。その店名、テントに書かれた「余情残心」という言葉。見た目からして個性的だが、作っているパンも個性的だ。

ズラリ並んだもち粉塩バターロールは110円。
ズラリ並んだもち粉塩バターロールは110円。

いまや定番メニューの塩バターロールだが、『アルル』ではもち粉が入っている。かじるとムチッとした食感とともにバターの香りが一気に広がり、気分が高揚する。最近は全般的にモチモチした生地が人気だが、こちらのはその先を行くムチムチ感。ひと味違う、うまさなのだ。

店主の林 太郎さん。
店主の林 太郎さん。

店主の林 太郎さんによると、塩バターが流行っていたが、人と同じことはやりたくなくて、ずっと作っていなかった。しかし出入りの業者さんから「もはや定番なのだから」と口説かれ、それなら少し変えてみようともち粉を混ぜて作ったところ、これが大人気になったんだとか。

店のホームページを見てみると、それ以外にも「無塩パン」や「小麦ふすま入り食パン」に自然酵母で作る「古代パン」など、個性的なパンが載っている。これらのパンを始めたのが、現在は引退した先代の林 春二さんなのだが、この春二さんが、なかなか個性的な人物なのだ。

昔からの人気メニュー、かぼちゃパン280円は生地にかぼちゃが練り込まれている。
昔からの人気メニュー、かぼちゃパン280円は生地にかぼちゃが練り込まれている。

春二さんは千葉県匝瑳市出身で、昭和17年(1942)の生まれ。中学を卒業後に上京し、浅草橋にあった「ドーメル」(2010年に閉店)で働き始める。その後、1968年に滝野川で洋菓子の店「アルル」をオープン。苦労の末、店を拡大して1974年、巣鴨でパンの店『アルル』を始めた。これが現在の店舗で、滝野川の店舗は20年ほど前に閉めている。

健康志向への転換

春二さんがいろいろなパンを作り始めたのは、90年代に健康食ブームが起きたのがきっかけ。保育園にパンを卸していたこともあり、食物アレルギーの問題が耳に入ってくる。そこで卵を使わないパンを作り始めたところ、これが園児の母親経由で広く知られることに。

かつては多くの店が並んでいた『アルル』前の通り。
かつては多くの店が並んでいた『アルル』前の通り。

春二さんは新しもの好きで、当時、一般に広まり始めたパソコンを始めると、一気にハマった。ホームページビルダーなどの制作ソフトがない頃から、自分でコードを打ち込んで店のホームページを作成。当時はホームページを持つベーカリーなどほとんどなかったため、健康志向のパンをアピールするのには絶好で、テレビや雑誌の取材が相次いだのだという。『アルル』はトランス脂肪酸不使用、天然酵母や国産小麦を使う健康志向のベーカリーとして有名になっていった。店名を『アルル』から『個性パン創造アルル』に変えたのも、この頃だという。

「余情残心」の文字は太郎さんの発案。
「余情残心」の文字は太郎さんの発案。

一方、その頃、息子の太郎さんは、洋菓子に力を入れようと『東京會舘』に就職。さらにチェーンのベーカリーで働いて『アルル』に戻るも、春二さんとパン作りをめぐってギクシャクしてしまい、また外に働きに出ることになる。

豆乳で作ったクッキー生地で菓子パン生地を包んだオマメパン200円。豆は入っていない。
豆乳で作ったクッキー生地で菓子パン生地を包んだオマメパン200円。豆は入っていない。

知り合いの縁もあって、働き始めたのが北軽井沢にあるベーカリー。夏季限定ということもあって夏だけ働いていたのだが、力が認められて中軽井沢にある同じ系列のベーカリーで、通年、働き始めた。そこであった、ある出来事が、太郎さんのパン職人としての人生に大きな影響を与える。

軽井沢で得た経験

そこは「安心・安全」なパンを売りにしていたのだが、フランスパンは天然酵母と、補強のためにドライイーストを併用して作っていた。そのことをある客からとがめられる。人が口にするものは、天然の素材で作るべきだというのだ。太郎さんはレシピに従って作っていたのだが、その言葉に感じるものがあった。自由にパン作りをやらせてもらっていたこともあり、自分でレーズン酵母を起こし、地の素材を使ったパンを作るようになった。

生地がもちもちのフランスパン(中)260円。国産小麦と天然酵母使用で17時間も発酵させる。
生地がもちもちのフランスパン(中)260円。国産小麦と天然酵母使用で17時間も発酵させる。

その後、太郎さんは軽井沢のベーカリーをやめ、フレンチトースト通販の会社で少し働くなどした後、12年ほど前に『アルル』に戻る。再び喧嘩をしながら春二さんとパンを作り始めたが、春二さんも近いうちに後を譲るつもりだったこともあり、じょじょに太郎さんに任せるようになっていったという。

太郎さんは、店舗をリニューアルしたこともあり、パンの作り方やラインナップをじょじょに変えていった。パンと一緒に店で売っていたさまざまな健康食品を外し、パンに専念。軽井沢での経験もあり、天然酵母、国産小麦と、材料にこだわったパンを作りたてで提供する。千石という、裕福な住民が多い土地柄もよかったのだろう、この路線で一時は傾きかけていた店も、見事に復活した。

さて、春二さんと似て、太郎さんも十分に新しもの好きで個性的だ。時流に合わせ、生地は加水率が高めのもちもち系。米粉やもち粉をブレンドし、新鮮な食感、風味の生地も作っている。その生地を使った惣菜系も、「旨辛チリビーンズエッグ」や「カレーとチーズとソーセージのフランスパン」など、工夫をこらした個性的なものが多い。作るものこそ違えど、方向性が似ていると感じるのは、私だけではないと思う。そこはやはり、親子なのかもしれない。

旨辛チリビーンズエッグ420円。フレンチトーストにチリビーンズで壁を作り目玉焼き乗せ。かなりの食べごたえ。
旨辛チリビーンズエッグ420円。フレンチトーストにチリビーンズで壁を作り目玉焼き乗せ。かなりの食べごたえ。

「パンを作るのが好き」と、はっきり言い切る太郎さん。『個性パン創造アルル』の二代目は、その店名通りに、これからも個性的でおいしいパンを、作っていってくれることだろう。

住所:東京都豊島区巣鴨1-21-11/営業時間:9:00~20:00/定休日:木/アクセス:JR山手線巣鴨駅から徒歩6分

取材・撮影・文=本橋隆司