激動の昭和の時代にあった店に集う名士たち
神保町駅にほど近い、すずらん通り沿いにある『神田 天麩羅 はちまき』。ゴマ油が香る黄金色の江戸前天ぷらが評判の老舗は、昭和6年(1931)に産声を上げた。はじめは神田駅前の神田富山町に店を構えたのだが、東京大空襲によって焼け野原となったため、空襲を免れた神田神保町に移転した。以来、昭和20年(1945)から現在の地で営業を続けている。
創業者の青木寅吉氏は、明治15年(1885)に創業した神田末広町の割烹「魚安」で腕をふるっていた一流料理人。当時、仕出しへ出かけた際に関東大震災に遭い、九死に一生を得たものの店が倒壊して廃業したため独立した。後に東京大空襲に見舞われるも、神田の闇市に屋台を出して生計を立て直し、間もなく店を再開させた。
寅吉氏は料理人としての腕は元より、すこぶる気風が良かったのだろう。昭和を代表する名士たちを次々と虜にしていった。店の常連の顔ぶれは、日本における本格推理小説の草分けである江戸川乱歩氏、演劇界の大御所と呼ばれる劇作家の北條秀司氏、昭和のスターで二枚目俳優の佐野周二氏など。各界の花形がこの店に集った。
カラッと揚がった軽い衣をまとう絶品天丼
激動の昭和の時代を生き抜いた名店の天ぷら、心していただきたい。今回は品書きの先頭にあった、天丼800円を注文。丼の中央にエビ天が2本、ピーンとまっすぐ背筋を伸ばして立っており、その迫力からも食欲をそそられる。
魚介類はエビ、キス、イカが定番。野菜はその日の仕入れや大きさによって種類も数も変わるそうで、今回はレンコン、ピーマン、ナス、カボチャがのっていたので、いろいろ味わえてめちゃくちゃお得だった。このボリュームで800円とは信じがたい。
衣がサクッとしていて、エビはふんわり、キスもふわっふわ、肉厚のイカはやわらかく歯切れがいい。
野菜は薄っすらと衣をまとい、素材のみずみずしさを残しながらもカラッとした揚がり具合で、ほっくり、もっちり、シャキシャキと、種類ごとにさまざまな食感を楽しめる。衣がとっても軽いので、これはいくら食べても全然胃にもたれそうもない。野菜天丼も800円で、だいたい8品の野菜が盛られるようだ。
秘伝のタレはさらっとしていて、すっきりした甘さ。創業以来の継ぎ足しのタレだそうで、この味をかの名士たちも味わったと思うと感慨深いものがある。言わずもがなご飯も絶品なので、天ぷらを平らげたあとは追いダレで白飯を堪能。ああ、最後の一粒まで旨い。
板場に立つのは3代目店主の青木昌宏さん。創業者・青木寅吉氏の孫にあたる。昌宏さんいわく、近頃は学生のお客さんが増えてきたそう。それもそのはず、天丼は800円、お弁当なら600円で、天ぷらはてんこ盛りだしご飯は大盛り無料だし、おなかいっぱい食べられてリーズナブル。
そして何より味がいい。「老舗はハードルが高い」と思っている若者たちの間でも口コミが広がるわけだ。かつて文豪や演劇人に愛された名店にもかかわらず、安くておいしくてだれもが入りやすい雰囲気とあって、庶民の心強い味方だ。
名士にも大衆にも愛されるその理由
3代目の昌宏さんは、すんなりと店を継いだわけではなかった。ある時、2代目の父親に反発して家を飛び出し、家業とは異なる事業を経営していたのだが、父親が病に倒れたため一念発起して跡を継いだ。
「父は築地に仕入れに出かけた際に脳梗塞で倒れてしまったのですが、搬送先の病院に家族が駆けつけると、自分が買ったアナゴの心配ばかりしてたんですよ。うまく言葉を発せずにごにょごにょ言ってたんですが、きっと『おれが買ったアナゴを新鮮なうちにさばけ!』って伝えたかったんでしょうね」。
丼からはみ出すほど大きいアナゴの天ぷらは、この店の看板商品。江戸川乱歩がアナゴとエビがのった天丼をよく注文していたそうで、初代・寅吉氏をはじめ、2代目もアナゴに相当な思い入れがあったのだろう。何をおいてもアナゴのことを考えるという父親の姿は、今も昌宏さんの脳裏に焼きついている。
店を継いでしばらくの間、調理はほぼ職人さん任せだったそうだが、昌宏さんは「一人立つ精神で」と意を決して自ら板場に立つようになり、アナゴもさばけるように日々鍛錬を重ねた。職人気質は親譲りといえよう。
代々受け継がれているのは、食材へのこだわりや味だけではない。江戸っ子の人情もまた受け継いだ3代目は、寅吉氏が名士たちに愛されたように、現代の著名人、そして地元民や神保町で働く人たちに親しまれているのだ。昭和の時代から多くの人を魅了してやまない『神田 天麩羅 はちまき』は、令和を生きる若い世代もたちまち虜にしてしまうだろう。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=コバヤシヒロミ