江戸前の天丼を廃れさせてはいけないという思いから店をオープン
一心会とは明治38年(1905)創立以来、118年もの歴史のある調理士会であり(2022年時点)、天麩羅専門としては日本唯一の調理士団体。300~400人の調理士が所属し、天麩羅職人の紹介事業を展開している。
初代・金子留次郎、2代目・金子半之助、3代目・金子将人、4代目・金子将之と、一家相伝、天麩羅魂を脈々と引き継いでおり、『一心 金子』は、その一心会が直営店として2015年にオープンさせた店だ。
さぁ、現在店を切り盛りする一心会4代目会長の金子将之さんにお話を聞いていこう。
「天麩羅って、江戸時代に屋台から始まったもの。実は大衆的な食べ物で、日本のソウルフードなんですよね。本来、手頃な値段でみんなが食べられる料理だったのが、座敷でも楽しめるようになって以来、寿司と並んで贅沢な料理のイメージになっていったんです」。
一心会2代目会長である金子半之助が生前、一心会創立100年史などで語った『わが天丼復活論』には、「伝統の江戸前の天丼を復活する声が増えている。我々職人はその準備を怠らない」とある。将之さんも「江戸前の大衆料理としての天丼を廃れさせてはいけない。夜は高級な天麩羅のコース料理を提供し、一方で昼は大衆料理としての天丼、天麩羅定食を広めていきたい」と語る。
江戸前の大衆天丼を多くの人に知ってもらうため、『一心 金子』オープンの日には金子の天丼500食を無料でふるまった。当初の予定では300食。予想以上に人が集まった。「伝統の天丼を皆さんに知っていただこうと赤字覚悟で頑張っちゃいました。気づいたら翌日の食材まで使ってしまっていて」と将之さんは笑う。
金子の天丼は店の看板メニューとなり、日々行列ができるほどの人気に。2019年の消費税増税に伴って行ったメニュー改定で惜しまれつつ通常メニューからは姿を消したが、現在は周年記念やイベント時などに限定販売されている。
味の決め手は丼つゆ。毎日表情を変える「丼つゆは生き物」
本日いただくのは大かき揚げ天丼920円。カウンター席に陣取り、天麩羅を揚げる職人の技を目の前で眺め、ワクワクしながらできあがりを待つ。
衣をたっぷりつけたタネを油に投入。シュワシュワシュワーっと音を立て、勢いよく泡がたつ。初めはやさしく油に泳がせる。少し落ち着いてくると、ピチピチといった音に変わってくる。その間、箸先で感触を確かめながら、きつね色になるまで何度もひっくり返す。職人は目と耳と指先の感覚で揚げ具合を確認しているのだ。まさに熟練の技。
天丼の味を決める重要な役割を担うのが丼つゆだ。将之さんはこう話す。「丼つゆはつぎ足しでずっと使っています。金子伝統の味です。ぼくが教わったのは、“丼つゆは生き物”だって。毎日表情を変える。たしかに、毎日味が変わるんですよ」。
かつおの一番だしをたっぷり使い、メインの味付けは醤油とザラメ。毎日火を入れて、毎日味見をする。「今日はちょっと甘いんじゃないかとか、今日はしょっぱいぞとか。毎日安定した味に持っていくのはなかなか難しい」と将之さん。“だしは一番だししか使わない”“醤油を利かせたメリハリのある味”が江戸料理の「粋」な味付けなんだそう。
「最近巷で人気の天丼は、丼つゆをただ上からかけるだけ。伝統のやり方は、天麩羅を丼つゆにくぐらせるんです」と将之さん。そうすることによって旨味が足され、丼つゆがどんどんおいしくなっていくとのこと。
いよいよ大かき揚げ天丼の登場! 懐かしさを覚える錦絵のふた付きどんぶり。ふたをして少し蒸らすのも江戸前の伝統なんだそう。ふたを取ったときに立ち昇る香りがさらに食欲をそそる。
かき揚げの具はエビ、マイタケ、マコモダケ、長ネギ、ナス、アスパラ。具は日によって替わるが、食感と甘辛の丼つゆとの相性を大事にして選んでいるという。熱々のうちにいただきます!
厚めの衣にいい塩梅にしみこんだ丼つゆ。ふたをして蒸らしているとはいえ、ほどよいザックリ感が残っている。具材のシャクシャク感も心地よい。そして、この丼つゆ、主役の天麩羅がなくてもこれだけでご飯いけちゃう! と思えるほど絶妙な味わいだ。甘辛とはいえ、甘すぎず、どちらかというと醤油の味がたっている。これが江戸料理の“醤油を利かせた粋な味”! 江戸料理に出合えたという実感がわいてきた!
この甘すぎない丼つゆのおかげで、いくらでも食べ進められてしまう。お米の炊き具合もちょうどよくておいしい。さらに将之さんから「途中まで食べてから追加するのがおすすめ」と教えてもらった、半熟卵の天麩羅120円を投入!
丼つゆをかけてちょうどよい硬さに炊かれたご飯、そのご飯に丼つゆがかけられ、衣たっぷりで丼つゆがよく絡んだ天麩羅が乗る。なるほど、先に聞いた「味を決めるのは丼つゆ」に納得である。
江戸前の“粋”な心を守るのが使命
一心会は金子家が代々会長を務めている。将之さんは小さい頃から、自分も将来は天麩羅の道に進むんだろうな、と頭の片隅では思いながらも、別の道に進むことも考えていたそう。いろんな選択肢があるなかで、大学卒業時に将之さんが選んだのは和食の道。
「大学生の時から、一心会が当時手がけていた新橋の天麩羅専門店で手伝いをしながら、板場にも入って修業を始めていたんですが、一旦和食を学びたいと思って」。都内の由緒ある料亭を紹介してもらい、そこで6年間修業した。
その後、一心会の4代目会長に就任。一心会では、調理士紹介業や飲食店のコンサルティングを行っており、その運営が将之さんの本業だ。それでもできるだけ店にも顔を出して、お客さんと言葉を交わし、丼つゆの味をチェックする。
オープンにあたって下準備をしていた時は、会社員や学生さんが多いので、土日は人出が少ないのでは、と思っていたという将之さん。「それがふたを開けたら、近隣にお住まいの方たちや、平日この辺りで働いている方が週末に家族を連れて来てくださる。土日の方がお客さんが多くて、ちょっとびっくりしてます。ここのお客さんはみんな本当に天麩羅を好きで食べに来てくれています。素晴らしいお客さんです」。
ちゃきちゃきの江戸っ子である将之さんにずばり、店のコンセプトを聞くと、「“粋”ですね。イコール“江戸の心”です。オープンの時に思い切って天丼を無料でふるまったのもそうですし、醤油を利かせたメリハリのある味付けも江戸料理の“粋”です」。
天丼にも今の流行りがあるけど、江戸料理の“粋”をなくしてはいけない。「江戸前の“粋”な心を守るっていうのは、コンセプトというより、もう使命ですね、私の」。
今回、江戸前の大衆天丼で江戸料理の“粋”を教えてもらった。この次はカウンター天麩羅やお座敷天麩羅も、ぜひぜひ体験してみたい。
取材・文・撮影=丸山美紀(アート・サプライ)